粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

徒長枝

先日、呑み屋で興味深い話を聞いた。

といっても個人的に食指が伸びた話、というだけであって、笑い話や与太話ということではない。

呑み屋というところでは、まあ、おおかたはくだらない話をするものである。

馬鹿っぱなしや下ネタなどを好んでするところが通常ではあるが、ときにはこんな人生に感じ入るような、教訓めいた話もポロッと出てきたりもする。

 

そのとき、たまたま相席したお客が植木職人、庭師、つまりは造園業に従事しておられる方だった。

ということで、酒の呑みすがら、その人から樹木というものに関するいろいろな話をうかがったのだが、ところで「徒長枝」ということばをご存じだろうか。

「とちょうし」と読む。

あてがわれている漢字のとおり、意味も字ヅラのまま、現物も文字どおり「いたずらに長いエダ」というものだそうだ。

不覚にもこれまでの人生で出会ったことのない言葉だったので、へぇーと興味関心をそそられ傾聴していたのだが、この「いたずらに長い枝」というものがどんなものかというと、受け売りとなるが、それにはまず木の剪定(せんてい)の基本というものから紐解いていかねばならない。

 

たとえば自分の家に植っている木が境界線を越えて隣家の敷地まで伸びてしまったシチュエーションを考えてみよう。

このとき、境界線のところで伸びた枝を一箇所、パチンと切ったとする。

すると、どうなるかというと、木というものは切ったところから芽を出し、枝を伸ばすものなのだそうだ。

つまりは切断部のわきっちょから芽を出し、そしてここで登場してくるのが「徒長枝」である。

切ったところから、それまであった枝よりも倍近くにもなる若くて勢いのある、長大な枝が、ムクムクと数ヶ月程度をかけて育っていくそうなのである。

この徒長枝、ほんとうに"ご立派"なものだそうで、おそろしく発育が良く、切り口からそそり立つように直立し、しかも花芽をつけない、ただただ樹形を乱すだけの枝で、 たとえば元の枝が1メートルのものだったならば、代わりに生えてくる徒長枝は1.5〜2メートルにもなるそうだ。

ということで、やはり素人が迂闊に手を出すのはあきらかな粗相しかないのであって、なにも知らずに切ったが最後、数ヶ月後以降にまたぞろ同じ徒労、いやそれ以上の苦労を味わうハメになるというわけである。

そしてこの例のように、素人がやりがちな切り方として、木の枝先のほうばかり剪定し続けるというものがあるそうだ。

これをやるとどうなるかというと、その木は枝先に次ぐ枝先に新たな枝をどんどん伸ばすことになり、外側にばかり葉つけるようになって、幹に近い内側にはいっさい小枝も育たなくなり、葉もつかず、スカスカの状態になってしまうそうだ。

いわば、腕だけが異様に長いヤジロベエのような状態になるという。

これは樹木にとっては一種の奇形であり、きわめて不健全な状態であることはいうまでもない。

ということで、木が生育していく方向を見定め、かつ残すべき枝を見極めて、生育方向から逸れる枝を幹の元のほうで適切に間引いていくことが肝要だという。

つまり、先ほどの例であれば、境界線で切るのではなく、玄人は大胆にも大枝ごと"元から断つ"。

ここに長年の経験や勘どころというものがあるそうで、やはり職人の剪定技術とは深みがあるものだなと感じ入った次第である。

 

ところで、話を聞いていて面白いなと思ったのは、この徒長枝というものが樹木の防衛本能に根差した代物であるという点である。

樹木というものはみずからの全体の発育バランスを保ちながら成長する。

すなわち、全体的に、まんべんなく"拡大"、成長していくわけだが、ところが、なんらかの外的要因、たとえば強風や積雪、人為の切断などによって枝が折れ、欠損部が生じたとすると、そこに余所で使うはずだった成長エネルギーを注ぎ込んでリカバリーしようとする。

徒長枝とはつまり、緊急措置で生じた、局所に過剰なエネルギーが供給されて長大化した枝というわけだ。

そして要するに、こうやって樹木は樹形バランスを崩していくわけだが、だが、考えてみてほしい。

木というものをイメージするとき、たいていの人が、二等辺三角形に一本棒を足した模式図的な姿を思い浮かべると思う。

だが、これはじつは、というか当然のことながら、"不自然なカタチ"なのだ。

樹木はもちろん、さまざまな生育条件のなかでそれぞれに根を張り、枝を伸ばし、葉を広げるわけだから、きれいな三角形になるはずがない。

そもそも樹木は複数の枝先を太陽に向かって伸ばし、葉の表面を日光に向けて育っていく、ある種の"ワイヤー状(ツル、ツタ状)"のものだと思ったほうが実状に近い。

ならば単純な日照条件によっても、周囲の建物などがつくる影を避けて迂回しようとするのだから、模式図からは遠く離れたフォルムになるのは必定である。

天然の森や林では当然、木々が隣接しているわけだから、日照の取りあいとなり、単純な三角形などあろうはずもない。

そもそも徒長枝を残した変化のあり様だって、いびつに見られようとも、樹木にとっては樹形のひとつのあり方なのだ。

ところが人間側の理想という手前勝手な都合で、悲しいかな、ねじ曲げられることになる。

つまりは無理矢理、強引に三角形にしようとするものだから、切るほどに、 "矯正 "しようとするほどに樹木は徒長枝を伸ばし、のたうちまわるように"暴れる"ことになる。

家の近所を歩いてみると、至るところでそういった木々を見かけるだろう。

暴れまわるのを無理やり押さえつけられたかのような切られ方をした木々、ともすれば、それで禿げ上がったかのように枝を落とされ続けた木さえ見かけることもあるだろう。

人間は樹木をまるで仇のようにあつかっていると、その職人さんが語っていたが、たしかに樹木の側からしてみたら、たまったもんじゃない不条理であることには間違いない。

 

ところで、そもそも日本の庭というものは、山谷の勝景を切り取って家庭で楽しむためのものだったそうだ。

だから"自然風"の、自然の有り様をそのまま切り取ってきたような庭の景観を好み、剪定技術もそのように発達してきたそうである。

一方で、広大な森を開墾してきた歴史を持つヨーロッパの庭は、自然を征服・制御するかのような刈り込み型の整形がメインに配置されるそうである。

いにしえの西洋貴族の大きな邸宅をかこむ、まさにバリカンで刈り込んだ丸、三角、四角の樹形──、これはもともとの日本の庭にはなかったもののようだ。

ともあれ、これは文化の違いというものであって、どちらが良い悪いではないことはお断りしておくが、それにしても現代の日本の住宅事情からすれば、"自然風"はもとより、訳のわからない和洋折衷、もとい、呆れるほどの和洋混在ぶりを通り越して、ほんとうに庭を必要としているのだろうかと思わんばかりの木々草花の扱いようともいえる、ともすれば木々たちの阿鼻叫喚の様相を呈している庭も少なくないように見受けられる。

そのくせ、新築物件のイメージ図などには必ずといっていいほど緑を添えたものばかりが並び、大都会のど真ん中にそびえ立つ高層ビルの完成予想図にすら、なにかしらの木々が植った理想図が散見されるが、はっきり言って、そこに描かれた木々は人間のイメージや意図とは異なる原理で生きるものであることを、しかと思い知らなければならない。

そこに木を植えることは、けっして気軽な添えもののような事柄ではないのだ。

邪魔になったら伐り倒せばいい、そんな身も蓋もないことを考えながら木を植えようとするのならば、いっそのこと木を植えないことのほうがはるかに健全で自然の理に叶う。

そこに木を植えるのならば、そこで「その木と共に生きていく」というくらいの覚悟と責任が必要であるように、杯をあおる職人さんの話を聞いていて思った次第である。

 

さて。

樹木の在り様というものは、古くから人の生涯や人間社会のあらましなどについての喩えや教訓などの引き合いに出されることが多いもののひとつである。

人の一生においては、外向的に、社会と交わり活発に働きかける時期もあれば、内向的に、己の内面をじっくりと見つめなおすという時期もあるわけだが、これを樹木の生育になぞらえることがある。

春から夏にかけて花をつけ葉をしげらせる在り様は人の社会での活力あふれる活動を、秋から冬にかけて葉を落とし枝だけの裸の姿になり、対してじつはこの時期に地中で根を広く深く張りめぐらせる在り様は人の内面の涵養を連想させる時期として、人間は樹木の生の営みと成長とを人の在り方として模してきた。

自分の人生のなかで振るわない、不遇と思われる時期であっても、それはこれ、木が根を張りめぐらせるように、地道にじっくり自身の内面を掘り下げる成長の時期、心の滋養を蓄えていく時期だと思い定めることは、大地に強固に根を張ってブレることのない樹木のありようをそのまま想起させるものといえるだろう。

人間社会のあり方についてもそうだ。

すでにして、樹形(図)そのものが、社会とシステムそのものをあらわしているといえる。あるいは、転じて社会・経済・文化の成長の仕方そのものだといってもいい。

人間社会の諸々の活動というものは、一本の樹木の成長と拡大を彷彿とさせるような、苗木が根を張って土中から水と養分を吸い上げ(投資)、やがて成木となり花を咲かせ(起業)、枝と葉を広げてエネルギーを蓄え(営業)、果樹であるならば収穫物を実らせ、その成果物を得るという営み(収益)を繰り返している。

 

ところで、ここで少々余談となるが、「隔年結果」ということばをご存知だろうか。

はじめて聞き知ったことなので驚いたのだが、果樹が果実を実らせるのは、じつは毎年ではなく"隔年"なのだそうで、たとえば今年、実をつけた果樹は、来年は実をつけずに、再来年に結果するのだという。

なぜかというと、これは成長と生殖を一年おきに交互に繰り返すためで、つまりは一年を通して蓄えたエネルギーをその年に成長(枝を伸ばす)に振り分けるのか、生殖(実をつける)に振り分けるのか、ということだそうで、なるほど、そう聞くと、じつに理にかなった生理現象だと納得できる。

さらには、この生態をより正確に言明すると、この現象は一本の樹木のなかのそれぞれの枝ごとで"成り分け"されるそうである。

たとえば成木になる以前の若木であるならば、成長にエネルギーを全振りするため、木全体で実をつけないこともあるそうなのだが、成長するにしたがって、実をつける枝と実をつけない枝が分かれていくようになり、そしてそれらが毎年入れ替えで交互に結実と成長をくり返しはじめる。

成熟して結果する枝と成長に走る枝とで役割が分化して、一本の木のなかで混在するようになるわけだ。

なので、一見すると毎年実をつけているように見える木も、じつは枝単位で観察すると「隔年結果」が認められるということなのだが、個人的にこの話は目から鱗であった。

畢竟、この事柄ひとつとってみても、人間、たとえあることで成果を得られなかったとしても、別の側面に目を転じれば、別のなんらかの成果を得ているものだという教訓を引き出せることもできるし、「隔年」というのも、なぜだか腑に落ちるライフ・サイクルのあらましがうかがえるようで、なかなかに面白い樹木の生態だなと感心してしまったのだが、いかがだろうか。

 

脱線をくり返して申し訳ないが、それにしても、そんな人の典範となるような樹木のあり様のなかで、最初の話に戻るが、「徒長枝」という存在があること自体、とても面白く感じられて、いわゆる"突出"した存在、突き抜けた存在というものが、自然界の現象として、一個の樹木の生理・生態として存在するというのが、やはり興味をひくわけである。

徒長枝というのは、全体のまとまりのなかからは飛び出てしまう存在だから、まま、折れやすいし、折られやすい。

「出る杭は打たれる」ではないが、突出した枝というものはやはり周囲の環境によって淘汰の対象とされやすいのは道理であって、それでも折られては伸ばし、折られては伸ばし、としていくさまは強靭な生命力を感じさせると同時に、一方で、やはりたび重なる風雪や人為的な切断によって発芽が止まってしまうということはありうるそうなので、徒長枝という存在と事象の背景に、収まるべきところに物事は収まるという摂理も暗示されているというわけだ。

しかしながら、それでも、である。

厳しい自然環境のなかで結果的に残った徒長枝、残ることを許された徒長枝は、その後のその樹木の樹形を牽引していくような大枝へと進化するという。

徒長枝も年数を経れば、ほかの枝と同じように機能し、その徒長枝が織り込まれたカタチで、その木は見事な樹形を形成するのである。

腕の立つ植木職人の剪定においても、あえて徒長枝を残すことで、その後、数年かけて樹形を整えてやるということもするそうだ。

突出しすぎたことで、一見すると、無用、不用の長物とみなされる徒長枝にも、れっきとした意味があるわけである。

 

──と、酒場でそんな話を交わしながら、なるほどと感じ入っていると、ふとBGMのロックの曲が耳に舞い込んできた。

若い頃、夢中になってよく聴いたバンドのもので、懐かしさが去来するとともに、これを耳にして次のような思いも湧いた次第である。

 

自分が若い頃には、このバンドのような、良い意味で"突き抜けたバカ"が多くいたものである。

それこそ、徒長枝のように尖って、突き抜けようとして、奇を衒って、羽目を外して、内に抱えたエネルギーをどうやって発散すればよいのかわからずに途方に暮れながらも、なにもせずにはいられないような、そんな考えなしの、つまりは有象無象の"バカ"どもが周囲に沢山いたように思う。

そして、それが面白かった。

そんな正しく真面目な"バカ"どもが、なにかしら"やらかす"ことほど、見ていて気持ちのいい、面白いことはなかったように思う。

音楽でも、芸術でも、他のどんな分野でもいいが、そんな、周囲におかまいなしにグイグイ"独走"するような存在が、あらたな"独創性"の芽を垣間見せてくれたような気がするのだ。

しかるに、ここ最近、そのような存在にお目にかかれずに、絶えて久しいように感ずる。

世の中全体が「賢く」「手堅く」なっているきらいを感じるのだが、そういった「スマートさ」にどこか「つまらなさ/詰まらなさ」を感じてしまうのは世代的ノスタルジーが強すぎるからだろうか。

徒長枝の話をうかがいながら、心のどこかで、どんな分野でもいい、"突き抜けたバカ"の登場を待望する、そんな果敢無い観照をおぼえた次第である。

 

震えながら安堵する場所

呑み屋でこんな話を聞いた。

数年前からソロ・キャンプを趣味とするお客がいて話をしたのだが、最初のうちはいろいろなキャンプ場へと足繁く通っていたが、最近はほぼ一択、いちばん気に入っている、とあるキャンプ場にしか行かなくなったという。

この趣味にも小慣れてきて、当初のような意気揚々とした気分も落ち着き、まあ、落としどころとして好きなキャンプをゆったり楽しむのに煩雑でもない、手軽な場所としてそこ一択となったのかと尋ねたところ、そういうわけでもないようで、この人は次のように云っていた。

なぜか、そのキャンプ場に"地縁"のようなものを感じるのだという。

他のキャンプ場にいろいろと行ってみたのはむしろ前哨のようなもので、あるとき、その一択のキャンプ場と他所を比較している自分に気がついたそうだ。

そこで「ああ、なぜだかこの場所は、俺の"心地の着く"場所なのだな」と得心したという。

この感覚はなんなのでしょうねと不思議がっていた。

そこにテントを張って腰を落ち着けると、心底ホッと安堵するという。

へぇーと相槌を打ちつつも、自分にそんな地縁のような感覚があるのか不明瞭だったのだが、もしかしたら自分にもそんな場所があるのかもしれないと望洋に想像をはためかせていると、隣にいた別の客もその話に乗っかってきた。

曰く、こちらの人の場合は、とある場所にあるトイレがそうだという。

あまり教えたくないのですがと前置きして、職場近くの、とある駅ビルにある、なぜだかあまり人の立ち寄らないエリアにある従業員兼用のトイレが、自分にとってはそれに当たるかもしれないと話してくれた。

とにかく穴場のようで、周囲の雑踏があるにもかかわらず、どういうわけだかそのトイレだけはいつ行っても利用者がほとんど来ないそうだ。

おそらく従業員であろう利用者がごくマレに用を足しにくるだけで、ただし、その人がそこに立ち寄るときには、ほとんどの場合、人に遭遇することがないという。

そこのトイレだけがぽっかりと静寂につつまれているようで、まるで時間が止まっているかのようとのこと。

仕事に疲れたときに、とくに用を足さないときでも、ホッと一息つくためにそこの個室にこもることもあるという。

これもある種の地縁ということになるのだろうか。

人と「場所」の不思議な関係性に興味深く耳を欹(そばだ)てた次第である。

 

人間だれしもホッと安堵する場所を挙げるというのならば、自宅ということになるのではないかと思いもしたが、こういった話を聞くと、どうやらそうでもないらしい。

思うに、そういった「場所」との稀有の関係性を感じ取るためには、両者の話に共通するような、ある種の"孤独"であることが条件になるのかもしれない。

自分だけの特別な場所とは、社会的な虚飾を脱ぎ捨てられる、自分自身に立ち返られる場所なのであろうことは、ここでご高説をたれるまでもない。

それにしても、そういった場所を持っているというのは、その人の幸せのひとつに数えられるものなのかもしれないと思う。

で。

この話題、酒肴として合い口のいい話だったらしく、その場に居合わせた呑み屋の相席衆で自分にとって落ち着ける場所はどこかという話し合いになった。

まずはこの呑み屋でしょ、と笑いながら、それぞれ思い思いにいろいろな場所を挙げていたが、面白いと思ったのが、「近所のスーパー」と答えた人がいた。

たしかに、とその場にいた皆も納得していたのだが、これならわが身にも覚えがある。

 

たしかに"近所のスーパー"は、どこへ行っても、なぜだか落ち着く気がする。

この場合、「住んでいる家の近く」「近郊の」「地元の」だけではない。

それ以外でも、たとえば旅行に行った先の"近所のスーパー"であったとしても、立ち寄ってみると、どういうわけだかホッとするよね、と皆がうなずいていた。

もっとも、この場合の"近所のスーパー"は、多種多様のテナントが乗り入れするような大型店舗ではない。

あくまでも、そこの地元の人が利用する生活密着型の、食品と生活雑貨のみを取り扱った中小規模の店舗である。

たとえば自分の場合、以前、海外旅行でタイに行ったことがあるのだが、そのとき立ち寄った小規模の「近所のスーパー」でも、日本にいるときと同じようなホッと安堵した感覚を味わったことがあった。

それを話したら、みな、わかる〜と賛同してくれたのだが、国内外問わず、土地それぞれの生活臭の違いはあれども、"近所"というところになにやら安堵する一因があるのかもしれない。

と、ウンウン頷いていたら。

 

「ところでさ」

「なによ?」

「おまえんチの近くに古いスーパーあるじゃん。あそこ行く?」

「もちろん、よく行くよ。ウチからいちばん近いスーパーだし、常連だな。ウチのカミさんなんかは、ほぼ毎日行ってるんじゃないの」

「あのさ」

「だから、なによ?」

「あそこのスーパー、なんであんなに"寒い"の?」

 

そうなのである。

ウチの最寄りのスーパーは、どうしたわけだか、いつ行ってもクーラーが効きすぎていて猛烈に寒い。

自分の体感では入店後、もって10分。5分もいれば震え出すほどの強烈な冷房の効き具合である。

多少、大袈裟に言わせてもらっているところもあるが、実際、常連客もそれを承知でその店を利用しているフシがある。

というのも、常連ならば必ず防寒着を持参して買い物しているので、不用意・無策な一見さんが来ると一発でわかるほどである。

これが冬ならまだいいが、夏、たとえば猛暑日などに防寒着持参で買い物に来る客たちを想像してみてほしい。

どう考えても、おかしな空調ぶりである。

ウチのカミさんも年間を通してマイカーに薄手のダウンジャケットを常備していて、それもこれ、すべてはこの極寒スーパーを利用するためなのである。

従業員の皆さんは当然のようにかなり厚手のジャンパーを着用しているが、なぜそこまで寒くさせるのか、意味がわからない冷え込みといってよい。

もちろん生鮮食品を扱っている関係上、売り物にアシが出るようなことがあってはならないので、そのための空調であることはよくわかる。

回転率を上げるためのなんらかの画策かと邪推したくもなるが、それにしてもあまりにあまりある寒さとしかいいようがない。

直接聞いたことはないが、近所の人の話では、以前のあるときに空調が故障して以来、なぜかそのまま放置プレイ状態だそうで、調節がバカになり手がつけられないまま既成事実化したそうである。

そんなことはないだろうと思いつつ、その調節も修理できるだろと思いつつも、それにしても、甘んじてその現実を受けとめ、店員ならびに地元の利用客がこぞって、粛々とその環境下で経済活動をおこないつづけていることがなんとなく可笑しい。

みんなして、「ま、いっか」と思っているわけである。

ここいらへんのユルさ、グダグダ加減が先ほどのホッとする場所、安堵する場所として認定されるべき加点要素であると思われるが、それにしても、なにせ油断しているとガタガタ震えるほどの寒さである。

店の雰囲気的には、ほっこりする。だがしかし、寒い。

震えるほど冷えるが、でもなぜだか安心するような空気が流れている。

この微妙な"安定"感。

これをどう考えればいいのか、話に興じた呑み屋の相席衆であたまを唸らせた次第である。

 

居心地がいいのに、居たたまれない。

居たたまれないのに、なぜか安堵する場所。

この例に見られる駄々っ子のようなアンビバレントさを鑑みるに、抽象的なもの言いになるが、たんなる「場所」というものにも、ある種の"性格"が存在するのかもしれない。

人と場所とのえにしにもそういった性格から起因する相性があって、そこになんだか笑える要素があるのならば、その場を行き交うことにも良いほうの意味で"浮足立つ"ような面白さが生じてくる。

意識しないと気がつかないだけで、意外と身近にそういう場所はままあって、それを見つけることが人生を楽しくする秘訣なのかもしれない。

 

表か裏か

近所に美味いナポリタンを食わせる喫茶店がある。

たまにふと思い出しては無性に食いたくなる味で、先日、ぽかりと空いた時間ができたので、舌先に誘われるまま、ふらりと立ち寄ってみた。

最近は若者のあいだで昭和レトロ風というものが流行っているそうだが、その喫茶店はそれを地でいく雰囲気の店で、というか昔からあるので、なんの飾り立てもせずにそのままなつくりの店なわけだが、まあ、そこにホッと一息、腰を落ち着けたわけだ。

この店のナポリタン、鉄板皿に小高くに盛られており、ジュージューと音を立てながら席までやってくる。

その日もかぶりつき、大満足であった。

で、心地好い充足感に身をゆだねながらアイスコーヒーで〆めて、会計を済ませて、家まで帰ってきた。

 

さて。

本題はここからである。

食ってるときには気がつかなかったのだが、帰って家着に着替えようとしたところ、なぜか内側のシャツにオレンジ色のシミがついていることに気がつく。

小さな点が肌着の襟元に2、3、付着していた。

まったくもって、ノーマークだった。

ナポリタンというものは服に染みをつける代表選手のような一品だが、不覚にも油断していた。

むさぼったツケである。

どこで飛び跳ねたのだろう?

それほど目立つものでもないように思いもしたが、こういった瑕疵はいちど気になりだすと、どこまでも執拗にその存在をアピールしてくる。

外着ではなかったことが不幸中の幸いだったのかもしれないが、襟元のインナーが露出する三角形の部分にピンスポットで飛んでくるところにあざとさを感じて、不愉快度数もうなぎ登りである。

舌打ちしつつ、洗濯物に出そうとしたときに、はたと立ち止まった。

 

その日は、うららかな小春日和と言おうか、それまでの肌寒さからひるがえって気温が昇った日だった。

じんわりと汗ばむ陽気で、実際、外を歩いていて多少の汗もかいた。

加えて、喫茶店でナポリタンをかき込んでいた際にも、ハフハフと汗をかいていた。

つまり、シャツが汗を吸っている。

そこで日頃からつねづね感じている「洗濯物問題」が懸案として再浮上してきたのだ。

 

洗濯物問題とはなにか。

洗濯機に服をほおり込むときに、オモテのまま入れるのか、それともウラっ返して入れるのか、という問題である。

オモテ面を洗うのか、ウラ面を洗うのか、この問題に長年つきまとわれ、悩まされてきた。

たとえば、先ほどのナポリタンの目立つシミといった、外側から付着したわかりやすい汚れならば、オモテ面一択だろう。

いつだったか、洗剤のテレビCMで、シミや汚れ箇所に原液を直接ぬり付けて洗うタイプの商品が宣伝されていたが、つまりはそういうことだろう。

一方で、目立たない汚れのケースなら、どうだろうか。

たとえば夏の猛暑日に汗をダラダラかいた場合には、下着や肌着などはウラっ返して洗いたいものである。

だが、オモテとウラ、両方から攻められた今回のケースのような場合に、どちらの面を外側にするのか、懊悩するのだ。

いつも、ここで、ピタッと停止するわけである。

こういう場合、どちらにすればいいのか、ほんとうに困ってしまう。

 

この問題について少々、整理しておくと、平素、洗濯物を出すときには、自分のなかで「基準」がある。

「汚れた面を外側にする」というものだ。

服というものは、日常生活で着ているぶんには、それほど、あからさまに汚れるというものでもないだろうが、そこは"気持ちの問題"で、次のようなマイ・ルールに準拠して、粛々と洗濯物を出している。

──それほど目立つ汚れがない普段は、外着はオモテ面を外側に、下着・肌着はウラ面を外側にして洗濯物に出す。

──目立つ汚れ・シミがあるときは、その面を外側に露出させて洗濯物に出す。

このマイ・ルールをかたくなに守り続けている。

 

そして、このマイ・ルールに対する洗濯物問題としていちばん悩まされるのが、くつ下だ。

こちらは、臭い、という方面からの問題も浮上する。

あの臭いはワレからのものなのか、靴の側からのものなのか、よくわからなくなるときがあるのだ。

落としどころとしては、最近、同じ靴ばかりを履いているなと思い立ったときにはオモテにして洗濯物に出し、おろしたての靴や靴の履き替えをよくする時期にはウラにして出す、ということにしている。

だが、このくつ下も、オモテとウラ、両方から攻められること頻発のごとしで、先ほどのケースと同様に、どちらを外側にして出すか、はっきりいって、いまだ正解を得ないままでいる。

 

そして今回、この問題に決着をつけるべく、一歩前へと踏み出してみた。

すなわち、ウチにあった洗剤の説明書きをしかと読んでみることにしたのだ。

すると、洗濯のあらまし、メカニズムとは次のようなものであると自覚するに至った。

 

服とはまず、おおむね糸の集合体であると捉えることが前提となる。

ということで、洗濯という行為は、糸を水に浸けることによって、糸から汚れを分離する、ということが大枠をなしている。

洗濯機が水をかき回したり、現在はもっぱらやらなくなったが、手洗いで服をゴシゴシとすることは、汚れをこそぎ落としているというよりは、むしろ水の浸食を手助けするようなものだということが、まずわかった。

洗剤は水に浸透することによって、水といっしょに糸から汚れを分離することをサポートをしたり、分離した汚れが再付着しないよう、双方に防壁膜を形成する役割を果たす。

そして、ここでのミソは、糸の「物性」にある。

糸というものは、服の形状へと編み上げられることによって「内側/外側」という概念が出来上がるだけであって、糸そのものは、どこまでいっても糸のままである。

そして単純に、洗濯という運動は糸の物性それ自体に作用するだけであって、糸が水にヒタされるのであれば、ありていにいって服のウラ、オモテは関係ない。

洗剤の説明書きが相手取っていたのは、小癪にもこちらを置き去りにして、繊維質がどういうものであるのか、というほうで、長年抱いていた純心な疑問を嘲笑うかのようにスルーしていた。

ちきしょう。

結論。

オモテ、ウラ、どっちでもいい、というわけである。

いつだったか、洗剤のテレビCMで、シミや汚れ箇所に原液を直接ぬり付けて洗うタイプの商品が宣伝されていたとリフレインするが、あれはオモテ、ウラの問題ではなく、あくまでも汚れと糸そのものに洗剤を直接行使で添えるためのものであって、オモテから塗ろうが、ウラから塗ろうが、結果は同じということなのだろう。

勘違いにもほどがある、とはこのことである。

 

それにしても、オレの長年の懊悩に費やしてきた時間を返してくれと言いたくなったが、さもありなんと問題の氷解を歓迎すべきときがおとずれたのかもしれない。

刮目せよ。

これからはオモテもウラも関係ない。

ただそのまま、脱いだそのまま、洗濯物に出せばいい。

なるほど、そういうことか。そうだよな、うん、そういうことだよ……

 

と、そうは問屋が卸さなかった。

腑に落ちない。

しつこくも、これは"気持ちの問題"である。

洗濯というものが原理的にそういうものであったとしても、汚れた"面"を"外側"に露出して洗いたい。

それが人情というものなのではないか。

これまで連綿と築きあげてきたマイ・ルール。

崩せない。

これは、どうあっても崩せない。

 

このマイ・ルールを確立するためには苦節の道のりがあった。

じつは、ウチのカミさんは、オモテ面一択派で、過去にこの懸案で一悶着あった。

理由を問えば、乾いた洗濯物をたたむとき、ウラだとオモテに返す手間がかかるから面倒くさい、というものだった。

だから、「ウラのまま出すのはやめて」「洗濯にウラ、オモテは関係ない」、そう言っていた。

だが、しかし。

だが、しかし、なのである。

夫婦げんかとは、こういう些末なところから勃発する。

喧々諤々とやったのち、「おれは肌着をウラっ返させてもらう」とようやく勝ち獲った軌跡まで刻み込まれているマイ・ルールなのだ。

洗剤の説明書きごときに覆えされる代物ではない。

 

何遍でも言わせてもらうが、これは"気持ちの問題"である。

そんな決意もあらたに、洗剤のパッケージをまじまじと睨んでいたところ、カミさんが傍にやって来て、「わたしの言ったとおりだったでしょ」と言い残して去っていった。

そして、両面攻めされたシャツを手に、今日も懊悩するのであった。

 

ハンドル捌き

休日の昼下がり。

とくにやることもなし、居間でトドのようにゴロゴロしていたところ、なにやらカミさんの癇に障ったのか、叩き起こされて、どこかに出かけてこいと言われる。

と言われても、行きたいところもなし、どうしようかなと逡巡しつつも、そういえばクルマが汚れていたなと思い出して、洗車をすることにした。

 

年末の大掃除のとき以来であったが、その前回には外見だけを取り繕って、車内はささっと手を入れただけで済ませたのを思い出し、今回は車内清掃をメインにやることにした。

すると、どうだろう。

出るわ出るわ、スナック菓子のカスが大量にわいて出てきた。

なんじゃ、こりゃ、と思いつつ、清掃を進めていくと、非常に細かい、入り組んだ隙間から、どういうわけだか多種多様なポテチ類のオンパレードである。

変わり種では、マックのポテトのしおれたのヤツなども発見された。

身に覚えがない。

ところで、最近、自分は徒歩通勤である。

どちらかというと目下、このクルマを主に使っているのはカミさんなわけで、つまりはそういうことである。

どんだけ買い食いしてんの?と思いつつ、また、どんだけポロポロこぼしてるのか?と呪詛を唱えたくなったが、家庭内の平和のために敢えなく呑み込んだ次第である。

 

ちなみにカミさんは無類のポテチ好きで、旅行などに出かけると、かならずご当地ポテチをお土産に買って帰ってくるほどに愛好しており、機嫌がナナメのときに「じゃがりこ」を与えると多少不満が緩和される程度に、よくパリパリと食っている姿を見かける。

ということで、小腹が空いたときは迷いなくポテチ一択なのだろう。

運転しながら、股にポテチの袋をはさみ、ポリポリとつまんでいる姿が目に浮かぶ。

そして気づかずにポロポロとこぼしているのだろう。

おのれ。

先ほど家から叩き出された恨みを胸に、車内清掃を進めつつ、そういえばと、別のフラッシュバックではあるのだが、思い出したことがあった。

 

むかし、学生時代であるが、電気工事の職人さんのところでアルバイトをしていたことがあった。

そこの親方がスゴい人で、なにが、というと、運転しながら幕の内弁当を器用に食うのである。

説明がどうにも難儀ではあるが、まず左手でハンドルをおさえて走行を安定させるわけだが、同じ左手で弁当本体を抱えつつ、手の側面の腹を使ってハンドリングする。

ここまではできなくもないが、秀逸なのは弁当を水平に保つ際の左手各指の角度と保持姿勢である。

ときには親指でフックしながら他の指を駆使して2点?3点?で支え、右手で箸を持ちつつ、惣菜や白米などをつまんで口に運び、ときおり、こちらも右手側面の腹で車の操縦のほうに細やかなサポートを添えながら、器用に運転と食事とを交互に連動させて済ませてしまうという"離れ技"だった。

しかも、こぼすこともなく、食べあとも美しい。

けっして"喰い散らかしている"という感じではない。

ウチのカミさんとは大違いである。

すごいですね、と称賛すると、こんなこと造作もない、という。

それが証拠に、ある日には、コンビニで昼飯にカップ焼きそばを購入して店頭でお湯を注いだ後、クルマを出して走らせながら、田舎道にさしかかったところでサイド・ウインドウを開けて、じょぼじょぼと湯切りをして、ソース・マヨ・青のり等の小袋の小さな端を上手い具合にちぎって投入、箸でかき混ぜて製作後、完食にまで至っていた。

これすべて、走行中の出来事である。

また別の日には、湯をなみなみと注いだカップ麺もふつうに食うという器用さであった。

ちなみにクルマはミッション(マニュアル車)であることが業界標準だ。

つまり左手でクラッチも捌かなければならない。

そういうときには、弁当本体を芸術的に右手に手渡すか、フロントボードの上に一時待機させて、操作完了後、ふたたび食事に戻るわけである。

しつこいようだが、これすべて走行中の出来事である。

一連の動作には見ごたえもあった。

 

この技能、ふつう、おむすびやパン類といった単体固形物まで、というところだろう。

せいぜいが素手で、という原始的手法だ。

そして幕の内弁当などの複合体ともなれば、もちろん難易度も上がる。

こちらは箸を使用するという、高等技術にも等しい手練手管を要求される。

さらには麺類をすするなど、実際、なかなかにハードだと思う。

流体、すなわち汁物となると、遠心力や不測の事態等で熱湯をぶちまける惨事を考慮すると、お笑い芸人の鉄板ネタでは済まされぬような、やけどと交通事故の危険度も高まるハイ・リスクの所行である。

が、それを難なく、やすやすと捌いてみせるところに、別の意味での「職人技」というものを見せつけられたような気がした。

 

ちなみに、念のためお断りしておくが、このような運転行為はグレー?ではあるが、危険であることは確かなので、賢明なる読者諸氏はこの技能を研鑽することは固くやめたほうがいい。

仔細は不徳にも不明だが、近年、ケータイ通話ですらアウトなので、法にも触れるかもしれない。

数十年前の事情なので時効だろうということで話しているが、それにしても弁当で捕まるのもなさけないことだし、事故が起こってからではあとの祭りである。

 

余談となるが、電気工事の職人稼業は、忙しいときには1日に現場をかけもちで相当数まわらなければならないこともあるそうだ。

実際にバイトをさせてもらって、そのときも1日に2〜3現場はふつうで、自分が経験したなかでは、多いとき最高で6箇所もまわった。

新築の現場などでは、大工など他の職人さんたちの工事の進度にあわせて、その合間を縫うように施工しに行かなければならず、ほうぼうを駆けずりまわる。

つまり、クルマを止めて昼飯をゆっくり摂る時間もなかったりするわけだ。

ということで、運転しながら弁当を食う、というこのワザは、とにかくあちこちへとクルマを走らせ続ける、そのような職業柄の事情で編み出された技能だったわけである。

 

それにしても親方に、「いや、やっぱりすごいですよ。こういうハンドル捌きの種類もあるんですねぇ」と話すと、照れながら、この技能のいろいろなノウハウや苦労話を教えてくれた。

まず、カップ麺はヌードル系の筒型寄りの形状のほうが捌きやすいそうだ。

これはまあ、わかる。

握り込めるぶん、安定度が高い。

平型、どんぶり型だと支えるのに修練が必要なようで、最初のうちは盛大に湯をこぼして、よく「熱つっ」と内腿を焦がしていたそうである。

それと、これは目から鱗だったのだが、次の現場までの道中をイメージしてコンビニ弁当を選択することもあるという。

たとえば、交通量の少ない直線道路が道中にいくつかあるところでは、汁物を選択するそうだ。

そのポイントにさしかかったところで、手ばなしで麺をすすり、汁をすするためだそうである。

この場合、それまでの前傾姿勢の制約を解き放って背筋を伸ばした端坐の態をとり、やはりズルズル、ガァーと掻き込みたいというのが、麺類を食すときの日本人の本能なのだろう。

もっともこれはアクロバット運転なので公道では絶対にしてはいけないのだが、これも時効ということで、そのノウハウの一端として開陳しておく。

それにしても道順を計算に入れるあたり、プロである。

 

また、これは笑い話だそうだが、ある年の瀬の頃合、現場上がりのご祝儀ということで、お客さんから御重をいただいたそうなのだが、腹が空いたので帰宅まで我慢できず、運転中、つまみ食いを始めたそうだ。

三段重ねのおせちの弁当で、小分けにされた惣菜が各種つまっていたそうだが、フロントボードに三枚並べ、いくつか食べたいものに当たりをつけて取っ替え引っ替え取ろうとしたところ、運転に集中しなければならないシチュエーションが来てしまい、つまみながらも途中からなにを食っているのかわからなくなってきたことがあったそうだ。

これとこれとこれ、と見繕っていたはずの惣菜が、運転に気を取らたせいで(本来、運転に集中せねばならないのだが)、別のものを口に運んでしまい、予想していた味と違う味が口のなかにひろがって、てんやわんやだったそうである。

甘いと思って口にしたものがしょっぱく、しょっぱいと思ったものが甘い。

もう、なにがなんだかわからず、かつ運転にせわしなく、おかげで、せっかくのご馳走が台無しだったそうである。

当たり前のことだが、「味わうためには、ちゃんと"止まって"食べたほうがいい」と笑って話してくれた。

 

でもって、親方の最後のこの感想、いま思い返せば、傾聴に値する含みのある至言であるといえまいか。

これは"運転"だけにかぎらない。

食も、人生も、"立ち止まらなければ味わうことはできない"ということを教えてくれている。

ふだんの生活で仕事に追われて忙しくしているのならば、食を味わうこともできなければ、人生を味わうことを忘れさせるものでもある。

立ち止まることで、ふと我にかえって、そこからようやく味というものが舌先に芽吹くのではないかと、この歳になってようやく思えてくるのである。

人生のハンドル捌きばかりにかまけて気もそぞろであるならば、この人生をほんとうに生きているのかという懐疑が影を差す。

足下に意識を振り、アクセルを緩め、ときにはブレーキをじわりと踏みしめなければ、わけもわからず走り続けて、人生の醍醐味を味わうことなく終わってしまうかもしれない。

洗車しながら、そんなことをしみじみと考えさせられた。

 

それにしても、同じハンドル捌きでも、運転しながら弁当の食うためのハンドル捌きというのも、なかなかにわるくない趣向であると思う。

そもそも人間、人生の舵切りなど思うようにはいかないものだ。

もしかしたら、どうこうコントロールするようなものでもないのかもしれない。

かつての友人のなかに、進学と就職を天秤にかけながら、まったく関係のないナンパにうつつをぬかすという輩もいた。

それなりに名のある企業の内定を取りながらも、食指が動かんという理由でそれを蹴り、雀荘に入り浸っていた友人もいる。

その後の鳴かず飛ばずの人生であっても、彼らはそのときどきの"好物"に正直に、忠実にハンドルを捌いて、いまではそれなりの人生を送っている。

本意はさておき好事に走る、というのも、それはそれで、人生とはそういうものではないかと思えてくるのである。

幸、不幸など、誰しもときどきの気の迷いで表裏混然と感じるようなものなのだから、正解のハンドリングなど無きに等しい。

ならば、弁当を抱えながらハンドル捌きするくらいが、ちょうどいいのではないか。

なにもハンドル構えて肩肘張って、シャチホコばる必要などない。

そこから、人それぞれの人生の面白さというものが際立ってくるものだと思えるのである。

 

歯の浮く連帯

男同士の奇妙な連帯感というものは、ときに唐突にやってくるものである。

その日も偶然だった。

若かりし時分、およそ20年前の話になるが、以前に働いていた勤務先での出来事である。

 

その日、少々、気の重くなる、憂鬱な仕事をまわされたのだが、それは自分と直属の上司、そして社長の3人で、近々に立ち上げ予定の出張所候補物件を見に行くという仕事だった。

当時の自分は20代後半、上司はアラフォー、そして50代後半の社長という、世代がまるで異なるメンツで、社用車で現地へと向かうという出張日帰り業務である。

そもそも自分はこの件に関してそれほどタッチしていなかったのだが、現地でも細かく移動するためクルマを運転するヤツが必要だということと、自分が別件で現地周辺の取引先と多少のコンタクトをとっていた経緯があったということもあり、まあ、要するにドライバーとして任命されたわけである。

会社は南関東にあり、出張所開設予定地は北関東だったので、高速を使い、首都高を経由して東北道へと抜けて現地に赴くという道程だった。

当日は現地に午前中のうちに到着したいということで、早朝、5時ごろに社長宅にお迎えにあがり、同乗後、近所のインターから高速に乗りつけて、なんとか首都高東京料金所付近の朝の渋滞につかまらないようにとのスケジュールで動くことになった。

 

一抹の憂鬱は"会話"にあった。

タイトなスケジュールで慌ただしさはあるものの、どう考えてもクルマに乗っている時間のほうが長い。

要するに、「クルマのなかでのトーク、どうすんの? 間がもつの?」というのが不安のタネだった。

正直、直属の上司ですら仕事以外のプライベートの話をほとんどしたことがなかった。

社長とはもとより日常の業務で接点がなく、入社前の面接以来、口をきいたこともない。

そもそも自分は話し下手である。

が、下っ端である自分としては、ただでさえ世代間ギャップがあるというのに、その合間を縫うような滑らかなトークを期待されたらどうしよう、という微妙に強迫観念じみた気負いもあって(取り越し苦労な自意識過剰ともいう)、何遍も申し訳ないが、気が重い、以外のなにものでもない業務であった。

まあ、仕事に行くのだから、仕事の話をすればいいだけのことなのだが、はたして、それで済むのか?

やはり、多少のリップサービスが必要なのか?

考えれば考えるほど、気が滅入ってくるばかりだった。

 

当日。

社長をピックアップして、無事に高速に入り、首都高に差しかかっていた。

車内ではやはり仕事の話で、社長と上司が各業務の進捗などについて情報交換していた。

自分のほうにも、社長から「最近、仕事はどうかね」という常套トークをいただき、まあ、そこはおざなりに無難な返しでその場をおさめたのだが、結局というか、やはりというか、話は途切れる。

社長と上司の業務トークも、平社員の自分がいる手前、それほど突っ込んだ話もできないのか、停滞気味の様子である。

そこで首都高の渋滞につかまってしまう。

と同時に、はかったようにトークも止まり、クルマのなかには完全な静寂がおとずれた。

こういうときの、なんともいえない間のもたなさ、というか、場をどうやって取り繕おうかとヤキモキするような焦燥感は、やはり胃に悪いものがある。

世間話をするにも、それなりに気心が知れている間柄でないと切り出すのもなかなかにむずかしいものである。

自分は放っておいて、お二人で勝手に話してくれよと願いながらも、残念ながら上司も、じつは社長以外の役付きからの引き抜きでこの会社に入ってきた経緯のある社歴の浅い人で、おそらく社長と軽口を交わすことのできる間柄でもないのだろう。

つまりは会話が出てこない。

となれば必然、こうなるだろう。

 

助手席に座っていた上司が「渋滞につかまりましたね。交通情報を聞いてもよろしいでしょうか」といってラジオのつまみをひねった。

ハイウェイラジオの周波域にはいなかったので、ザッピングの後、某FMキー局の朝のラジオ番組に合わせていた。

都心のビル群を横目に、おしゃれな曲が流れる。

交通情報は55分からです、とのアナウンスが流れ、しばらくそのラジオ番組を聴くことになった。

あいかわらず、車内は無言である。

 

それは突然のことだった。

ラジオ番組はそのとき、某有名ヴィジュアル系ロックバンドのヴォーカルにインタヴューするという内容だった。

そのバンドの新譜が発売されたそうである。

背景にその新譜の曲が流れるなか、インタヴューを進めている。

そこで、こんなやりとりがあった。

 

「◯◯さんが、影響を受けたアーティストは、どなたですか?」

 

まあ、ありがちな質問である。

車内の雰囲気もあって、みな傾聴モードに入っていたが、さしたる関心もあるわけでもなし、この場をやり過ごすためだけに聞き流しているだけだが、次の瞬間、引っかかりを覚える、謎の答えが返ってきた。

 

「ボクの母です」

 

〈ん?〉と思ったが、そこはふつう、昔のミュージシャンの名前とか出るのではないのかと思いつつも、まぁ、いいだろう、先が気になる。

 

「へぇ、お母さまもアーティスト活動をなさってたんですか?」

「いえ、ふつうの母親です」

「え、では、なぜ?」

「ボクというアートを産んだから……」

「……」

「──」

「(ハッとして)そっ、そうですか、お母さまですか……」

「女性はみな、アーティストですよ。"人という芸術"を産み出す」

「……」

「──」

「……なるほど、そうですか、そうです、よね」

「ええ、そうです。"ボク自身がアートそのもの"ですから」

「……」

 

……この発言、周囲はいったいどのように受け止めればいいのだろうか。

 

まず、事実、この発言によって、ただでさえ冷え込んでいた車内がより一層の凍結状態におちいったことは言うまでもない。

さむい。

とにかく、さむい。

ひゅうぅぅ、という擬音では足りない冷え冷えとした悪寒が車内に走った。

ただでさえ無言の行、状態なのに、輪をかけて居たたまれない、この寒さからどうにか逃げ出したい、という神仏に祈りを捧げんばかりの状況である。

電波の向こう側でも実際、インタヴュアーの声色から"ドン引き"の様子が伝わってきた。

が、一方で、発言した当人は「バッチリ決めたった」という達成感とともに、ある種のオラオラ感すら漂う空気で、その後も自説を展開する始末である。

その、意想外の氷結の魔術の暴発によって、スタジオおよびこちらの車内の底冷え感がよりいっそう濃縮還元状態である。

本人以外はみな瞑目して、勘弁してくれよ、と心のなかで漏らしているはずだった。

 

正直、百歩譲って、こういう"くさい"セリフに、世の女性は惹かれるのだろうか。

よくわからないが、これは可能なかぎりの好意的な解釈ではあるが、この"アーティスト"は、おそらくいろいろなところで同じような質問をされているのだろう。

本人にしてみれば、通り一辺倒の答えをすることに飽き飽きしていたのかもしれない。

かつ女性ファンも多く、その心意をおもんばかったのだろう。

リップ・サービスも兼ねて、このような凶行に及んだのかもしれない。

が、繰り返すが、これは百歩譲った、かなり歩みよった惻隠の解釈である。

 

あるいは千歩譲って、このセリフを額面通りに受け入れたとして、これがはたして朝から言うセリフだろうか。

このような口説き文句は、然るべき時間、然るべき場で使ってもらいたい。

たとえば、このセリフを夜の繁華街での専門業務、ホスト稼業従事者の方々が限定的シチュエーションで取り扱うのならば、それはそれで勝手にやればいいことであるし、なんら異論もない。

だが、通勤通学の時間帯に、大衆向けに"キメて"もいいものなのだろうか。

ボクもあなたもアーティスト、と言われても、「ちょっとなに言ってるのかわからない」、朝からの足どりもくだけんばかりの脱力感に見舞われるのではあるまいか。

いわんや、朝の気怠るくも爽やかな勤労意欲を全力で阻止しにかかっているのだろうか。

 

もしくは万歩譲って、このセリフに共感できる人たちがいるとして、一方で、この"歯の浮くような"セリフに全身全霊で拒絶反応を示す人間もここに確かにいるということを、声を大にして言いたい。

こういうセリフに、「うわぁあああ」と頭を掻き毟りたくなる人種もいるのだ。

思わず「マジか……」と口からポロッと出てしまったのだが、助手席からは相槌を打つように上司が小さく「ないわー」とつぶやく声が聞こえてくる。

後部座席からは「ヤバいな」と社長がひとりごちっていた。

当時、"ヤバい"というワードはまだ若者言葉で、年配の人が口にするのをあまり聞かなかったものだが、社長が思わずそれを漏らしていることに驚きつつも、激しく同意した次第である。

 

そして、奇妙な現象が起こった。

ここにひとつ、"こういうことは絶対に言わない"という共通認識で、世代を超えた男どもの連帯が生まれたのだ。

そう。

こういうセリフは絶対に言わないし、言えない。

万が一、このようなイマジナリー・ワードが頭を掠めたとしても、恥ずかしさのあまり金輪際、口に出すことはないだろうという、そういう恥の分水嶺のこちら側にいる男どもの連帯感である。

こういうメンタリティは昨今、片寄った、狭窄な感性だといわれてしまうのだろうか。

が、そうであっても、そんなこと知ったことか、である。

だって、恥ずかしいんだもの。

その一事だけで、この車内の男どもは十二分にわかりあえたわけである。

 

で、そこからは、これまでの車内の沈痛な雰囲気が嘘のようにひるがえる。

なんというか、なにを言っても、「うん、わかる」と理解しあえるような、奇妙な連帯意識が芽生えたわけである。

上司が続けて、「こういう"歯の浮く"ようなセリフを臆面もなく言えてしまう、ある意味、"突き抜けた"人たちが、芸能人になるんですかね」と言っていた。

うん、わかる。

「そうかもしれんな。こんなこと、ふだんの生活でだれかに言ってみろ。気が触れたかと思われるぞ。ウチのカミさんなら、言ったが最期、出家するかもしれん」と社長。

うん、わかる。

いや、よくよく考えてみると訳のわからないコメントではあるが、上司も自分も「なるほど」と腑に落ちる。

ちなみに社長から、「いまどきの若い男児は、女を口説くときに、こんなキザったらしいセリフを言いまわすのかね」と尋ねられたのだが、「ムリです。ないです」と即答しておいた。

そうだろう、そうだろう、と社長、上司。

といった塩梅で、その後、すでにわかりあえた者同士、会話が無くとも苦でもなく、終始なごやかに、奇妙な連帯感につつまれながら、この日の業務はつつがなく、流れるように軽快に進行して、一日を終えたのであった。

そういう意味で、当初の懸念を払拭してくれた、あのヴィジュアル系ロック・アーティストの"歯の浮く"発言に感謝せねばなるまいとも思った仕儀である。

 

それにしても、こういう恥ずかしい殺し文句にあい対して、"歯の浮くような"と形容するとは、おそろしく言い得て妙である。

この形容表現を発明した人というのは、稀代の天才ではあるまいか。

肌が粟立つような遣る瀬ない文句を耳にして、"咀嚼しようにも、噛みしめられない"という、歯槽膿漏が悪化しそうなこの表現。

絶妙というほかない。

叡智である。

 

ちなみに、こういうセリフをナルシスティックに感じてしまう感性は、2024年現在、廃れつつあるのだろうか。

先日、エッセイストの酒井順子さんの『無恥の恥』(文藝春秋、2022年)という文庫を読んでいて先述の出来事に思いを致したのだが、この本の帯には次のようにある。

 

「「マザコン」が罵倒語だった時代ははるか遠く、若い男たちは堂々と母とデートし、母とハグするようになった。昔の親は、謙遜のあまりわが子を「豚児」よばわりしていたが、今ではSNSで「ウチの王子」「姫」と堂々と愛でるように……」

 

こういう若者たちがいるのならば、先のセリフも難癖なく受け入れ、"ボクはアートそのもの"と真顔で考えているのかもしれない。

思えば、あのヴィジュアル系ロック・アーティストの追っかけをしていた女性ファンたちが、いまでは人の親である。

そうであるならば、現在、ボクも、ワタシも、みんなアーティストと言えてしまう人たちが世の趨勢を占めているということになる。

となると、気づけば、このような"歯の浮いた連帯感"をもつことのほうが"恥ずかしい"ことになっているのかもしれない。

 

でも、どうなんだろう。

やっぱり、あのセリフはないわな、と、そんなことを歯槽膿漏が悪化して歯がぐらつき始めたこの年齢になって、歯科の診療台のうえに寝かされながら、先日、頬をすりすり、ぼんやりと反芻した次第である。

 

煽がれる

昨日、困ったことに"気づいた"ので、ここに筆をとることにする。

ウチは、カミさんとの共通の趣味というのが銭湯に行くことで、月に2、3回、近隣の施設におもむいている。
ときには遠出して、温泉につかりに行くこともあるが、ふだんはまあ、市内と隣市、隣町にある数箇所の浴場を気分で巡回している。

そこで昨日、少々、困るというか、煮え切らない出来事があった。

昨今、銭湯ブーム、サウナブームというのがあったが、いまも継続しているのだろうか。いや、継続しているのだろう。
というのも、なかでもよく通うスーパー銭湯でサウナブームが続いており、なにかにつけてイベントをやっているのだ。
ブームで利用客が多いのはしょうがない。保養施設だし、そこは大衆の憩いの場なのだから、多少の混雑は甘んじて受け入れよう。
だが、困るのはイベントのほうである。

そのイベントというのが、サウ活している客向けに、サウ活応援団なる、店側が用意したむくつけき男たち5〜6名が、なにやら密室のなかでワッショイと掛け声をかけているのだ。
おそらく時間制限を設けて、我慢比べとまではいかないまでも、サウ活客どもをサウナに閉じ込めて、長逗留させるイベントなのだろう。
ちなみに、自分はサウナが好きではない。

広い浴槽に脚を伸ばして湯船につかるのを良しとする性分なので、サウナには入らない。

よって、実際にどんなイベントをやっているのかは知らないのだが、サウナのほうから聞こえてくるワッショイというお祭り騒ぎから、そんな当て推量をしている。
風呂につかりながら、なんだかワチャワチャやっとるな、と横目で見ているのだが、まあ、正直、うるせえな、と思っている。

 

しかも、さらに困るのが、湯船からあがって、ほとぼりを冷まそうとベンチに座っているときである。

全裸で夜風にあたる至福の時間だ。
だがそこに、サウナから出てきた客とともに、サウ活応援団がやってくるのである。

 

サウナから出てきた客は、全身から湯気を立ち登らせつつ、冷水を浴びるか、水風呂につかるかした後、周辺のベンチに次々と座っていくわけだが、それをサウ活応援団が追いかけて、バスタオルを広げて、あおぐ、ということをやりはじめる。

しかも、どういうわけだか、関係のない自分のようなただベンチに座っているだけの客にも、一緒になって煽いでくるのだ。

目の前でサウ活応援団の男どもが、汗を吹き出し、目を血走らせて、バスタオルをバサバサとはためかせて、こちらを煽いでくる。

内心、いらないんだが、と思いながらも、なし崩し的にイベント客と間違われて、なぜか、煽がれる羽目になっている。
向こうはTシャツ、短パン、ねじりハチマキ姿なのだが、こちらは全裸である。

全裸だと、なぜだか、ことわれない。
すでになさけない姿をさらしているわけで、さらになさけないことに、ことわれない、という忸怩たる思いが胸に去来する。

かんべんしてくれよ、と思いながら、こっちの銭湯に来たのは失敗だったなと毎回後悔するのだ。

 

冒頭で"気づいた"といったのは、どういう偶然なのか、この銭湯に来ようと思った日にサウ活イベントが開催されているからだ。

ウチは夫婦共働きで、かつ土日固定休の職種というわけではなく、平日にカミさんと休みがかぶった日に銭湯に出かけている。

なのに、どういう確率なのか、この銭湯に来るとイベント日にバッティングするのだ。

どんだけイベントやってんの? と思って、開催日一覧を眺めるも、そこまでの頻度ではない。

にもかかわらず当たる、のである。

風呂から上がって、帰りがけにカミさんと話すと、どうやら女湯のほうではやっていないらしい。
なんの因果か、と不承不承にため息をつくばかりである。

このスーパー銭湯、じつは家からいちばん近くて、わりと通いやすい立地にあるのだが、そういうこともあって、昨日も考え無しに出かけてしまった、という顛末である。

次回こそは別の銭湯に行こうと思いながらも、惰性で同じことをくり返しそうで、まいど自分にあきれて、ため息をつくわけだが、こういうため息もリラックスのうちにはいるのだろうかと、ちょっとばかし諦念した気分になった次第である。

 

一輪咲き

少々、残念なことがあったので、ここにしるしておきたい。

今年の夏も終わりにさしかかっている。

この夏の終わりの、なんともいえない物哀しい風情というものが、いったいどこからくるのだろうと、ふと疑問に思うものである。

年初から徐々に気温が昇っていき、暑さのピークを過ぎたことから、これに世の栄枯盛衰をかさね合わせる、などという大仰なことを連想させられるからだろうか。

まあ、なんとなく、夏の終わりはそういった"盛りを過ぎた"情緒をそそるような空気を孕むように感じられる。

さて、そんな折に輪をかけて残念なことがあったわけだが、それは、自分が住む地域の晩夏の花火大会が今年をもって終了してしまったことである。

花火大会といったが、大会と呼称するのもおこがましい規模の、ほんとうにささやかな「花火小会」ではあるのだが、これが風情があって、なかなかによかった。

が、これが終了とあいなった。

 

この花火小会、なにが良かったかというと、地区の自治会が毎年この時期の夏祭りの最後に、少ない予算の関係だろうが「たった5分間だけ」、およそ10発程度の打ち揚げ花火をあげるのだ。

20:00に始まって、20:05に終了する"花火大会"である。

この5分間、近所の人たちが皆、夜空を見上げる。

これが、なんというか、わるくない風情なのだった。

都会とも田舎ともつかない都市部から離れた郊外の、あるいは中間部の、たとえば新幹線の車窓からはあっというまに通過して、気にも留まることのない地域の、その小さな地区だけのとりとめもない数発の花火である。

三大花火大会や隅田川や淀川などの大きな花火大会の夜空を咲き誇る豪華絢爛、百花繚乱たる圧倒的な迫力などはもちろんない、侘しいばかりの一輪咲きである。

それも数本ぱかし、咲いたら、あっという間に散る。

あがったと思ったら、サクッと終わる。

だが、それがよかった。

なぜなんだろうか、豪華な花火大会よりも、なぜかそのほうが、自分の気に入るところだった。

花火を見上げるときの情緒的なことは人それぞれだし、高揚する人もいれば、感傷的になる人もいるだろうが、ここではそういう情感うんぬんではなく、あっという間に終わるところが、花火の本質をよりくっきりと知らしめているようで、潔くて好きだった。

なけなしの予算でも、数発の花火を打ち上げようという自治会の人たちの心意気もよいではないか。

が、ここには記さないが、諸々の事情でもって、先日、最後の花火が夜空に消えていった。

来年はあがらないと思うと残念だが、そこは諸行無常である。

そうであっても、やっぱり、あの一輪咲きの美しさを手許に取っておきたいという我執を拭うことはできなかった。ので、ここに残しておこうと思う。

 

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(2023年8月26日撮影)

 

写真を見て、なぜか合掌したくなった。

 

片寄

とりとめもない話をしたい。

ほんとうにとりとめもないことなので、ここに書くのもどうかと躊躇ったが、最近、なにかというとチラチラとあたまをよぎることなので、書いて排泄したくなった。

 

夏の暑い日が続いている。

温暖化の影響とか異常気象とか言われているが、猛暑といえど、夏は暑いものと思っているので個人的には異存はない。

が、最近、右側だけが灼ける、というのがひっかかっている。

仕事柄、よくクルマを運転するのだが、そうしていると差し込む陽の強さで、右腕が灼けるのだ。

右腕だけが黒い。

最初は気づかなかったのだが、カミさんに言われて、自分の両腕を見比べてみると、明らかに右腕だけが黒い。

これが、どうにも、いかんともしがたい。

ならば、左も灼けばいいのではと思いつつも、わざわざそれもやるのもどうかと思うし、ばかばかしいとはっきり思いながらも、気になる。

そう思って、最近の自分の行動を振り返ってみると、なぜか、自分の右側を陽にさらしているようである。

 

この片寄はなんなんだと思う。

たとえばウチはマンションで、喫煙するときにベランダの自作ブースに出てタバコをふかすのだが、休みの日の昼間などに、ここでも右側を陽にさらすことになる。

スペースの関係で、その自作ブースに置けるベンチの向きが、どうしても自分の右半身を外側、つまり陽の当たる側に向けるしかない仕様となっているからだ。

ので、最近家でタバコを吸うときは、右側の身を焦がしながら黙然とタバコに火をつけている。

こういう奇妙な片寄は、最近、なぜかついてまわる。

移動の電車で乗降口のドアの脇にもたれかかって立っているときも、ふと気がつくと、右側を窓に当てて寄りかかっている。

得意先に出かけたときも、案内された応接間で、他にも人がいるのに、なぜか自分がいちばん右端に座り、そこに陽が当たってくる。

どういうわけだか、そんなシチュエーションばかりである。

右側ばかりが黒ずんでいく。

 

先日、喫茶店で知り合いと世間話をしていたときも、そうだった。

はっと気づくと、陽の当たる大きなガラス窓に自分の右側面が写っている。

窓際の席を選ばなければよかったと後悔しつつも、どうしようかと思ったので、対面で朗々とこちらに話しかけてくるその知人のトークを遮って、こう切り出してみた。

「すいません、いまさらなんですが、席をかわってもらえませんかね?」

「はい?」

「いや、左側を灼きたいんですよ」

「はあ?」

きょとんとしていたが、まあ、そうなるだろう。

 

とりとめもない話だ。

が、こういう不思議な片寄というものがなぜかあって、もしかしたらそういう偏りが人のおこないを左右し、その人の人生の軌道をうっすらと曲げる、なんてこともあったりするのかもしれないなと、長々と話し込む目の前の知人の顔を見ながら、ぼんやりと思った。

 

尾を曳く

だいぶ以前に自分のなかで確定事項になったことが尾をひいて、状況が変わった今になっても、わかっちゃいるが、その姿勢や態度というものをなかなかにくずせない、ということが、誰しも、ひとつやふたつ、あるかと思われる。

先日、呑み屋でそんな話をしていたら、珍妙な話を聞いたので、ちとここに書いてみようと思う。

 

まず自分の場合から話すと、過去のある体験から、電子機器に磁石を近づけるということにいまだ抵抗を感じる、というものがある。

たとえばスマートフォンのカバーなどに磁石を使っているものがあるが、これを使うのが躊躇われるのだ。

むかし、父親が使っていた仕事用のちょっとした精密な計算機かなにかに、遊びで使っていた磁石を近づけたところ、それがものの見事に故障し、こっぴどく叱られた経験があった。

このとき、どういうわけだか、叱られたことよりも、磁石を近づけるという自分の行為が計算機の息の根をとめたという事実のほうがショックだったようで、それ以来、磁石を電子機器には絶対に近づけないと「誓った」のである。

「誓った」などというと大袈裟なことと思われるかもしれないが、以来およそ40年間、この「誓い」を守り続けてきたのだから、その意味に重みも増そうものである。

が、そんな誓いの重みがいくら増したところで、世の中は変わっていくもので、結局のところ、昨今、多少、磁石を近づけたところで故障しない電子機器が登場することになる。

俺の誓いを返せと言いたくもなるが、わかっちゃいるが、なかなかにその姿勢をくずせないというわけである。

で、呑み屋でのなにげない会話から、そんな話をしてみたら、「ぼくにもそういうの、ありますよ」という返しがあった。

 

さて。

この返しの内容をここで話す前に、まず、この返した当人、この会話のキャッチボール相手のことについて少しばかり話しておく必要がある。

まあ、店の常連の呑み友だちということになるのだが、「バー・ホッパー」という言葉があるのをご存知だろうか。

要は、どこかの店一軒に腰を据えて呑むことなく、一杯呑んだら次の店、一杯呑んだらまた次の店へと、はしご酒する人のことをバー・ホッパーというのだが、この人もこれで、つまりは"せっかち"な人なのである。

しかも、なにかにつけて行動が異様に早いという特徴を持つ人で、たとえば居酒屋に一緒に行くと、店員が持ってきた注文した小皿料理を、来たそばからパクッと食べてしまうのである。

その早さは、その場で店員に持ってきた料理の皿を返してもいいのではないかと思えるほどに早い。

律儀にも、注文前に当人のほうからこのことを話すくらいで、「いや、自分、食べるの早いんで、個別で注文してもいいですか? 皆さんは皆さんで、大皿でも頼んでください」という念の入れようである。

なぜにそんなに早く食べたいのか、意味がわからないが、そのこと当人に問いただしてみると、食事にかぎらずなんでも、ぱっぱっと済ませたくなって、ムズムズするんだそうである。

別の常連に聞いた話だと、この人と喫茶店に行ったときに、出てきたコーヒーをあっという間に飲んでしまい、小1時間ほどその喫茶店でだべっていたそうだが、そのあいだに4杯もおかわりしたそうである。

おかわりし過ぎだろ、と眺めながら、話しているあいだも終始、どこかソワソワしていて落ち着きがないようで、「ありゃ、もう、ある種の病気だな」との感想をもらしていた。

 

まあ、そんなせっかちな人なので、返ってきた話も人柄を感じさせるものだった。

と、その話をする前にあらかじめ、ここから少々、下世話な話になることをお断りしておく。

話を戻すと、目下の話題は「だいぶ以前に自分のなかで確定事項になったことが尾をひいて、状況が変わった今になっても、わかっちゃいるが、その姿勢や態度というものをなかなかにくずせない」というものである。

そのせっかちな人の内にできあがった確定事項というのが、「ネット上にある怪しいサイトに30秒以上とどまると、デバイスがウィルスに冒される」というものだそうである。

かなり昔、学生の頃、友人から聞かされたそうで、それを異様に警戒するあまり、30秒以内にネットのページをザッピングすることが常態化してしまい、現在に至るという。

前々から、カウンターに座ってスマホを覗いているその人を見ていて思っていたのが、画面の切り替えが異様に早いのだ。それで、はたしてページを読めているのかと疑問に思えるほどに早い。

もっとも、ケイタイでネットの画面1ページあたりを見ている滞留時間とでもいえるものは、どんな人でも、まあ、数十秒くらいなのだそうだから、この人だけの特徴とはいいがたいのかもしれない。

が、この人の場合は、それがある特定のジャンルの動画を視聴するときにも適応される、というのがミソなのである。

特定のジャンルとは、まあ、察していただきたい。

スマホを観るのなら、両手がふさがるジャンル、と言っておこう。

左手にスマホ、右手に急所、と言った具合である。

 

さて、少々、難はあるものの、想像すると、おそろしく滑稽なことになっている面ヅラが浮かぶ、というわけである。

30秒以内に、ページ画面を切り替えなくてはならない。

画面と急所との往復で、お祭り騒ぎになっていること、この上ないだろう。

それでも人間、致すことは致せるそうだ。本人談。

本人もネタにしていたが、どれだけ"候う"なのかと、申し訳ないが、笑ってしまったのだが、そのせっかちな人にしてみれば、画面のほうも急所のほうも、その刹那はのっぴきならない問題となるだけに、始末がわるいわけである。

いや、本人も、わかっちゃいるそうだ。

30秒という、どのような根拠があって、その滞留時間でデバイスがオシャカになるのかと。

そんなはずはないと思いつつも、どういうわけだか、いちど信じ込んでしまった手前、しかも生来の性格と相俟って、もはやこの習慣を是正することはできない、と感じてしまっているそうである。

なんというか、面白さと気の毒さが綯い交ぜになって、笑いが溶けていくようだった。

不謹慎な話で申し訳ないが、呑み屋でのこういったなさけない話は恰好の肴であり、馬鹿馬鹿しい話ほど垂涎のマトである。

これも本人談だが、画面と急所の往来で目がまわりそうになり、気づいたらスマホをカクカク振っていたそうである。

サゲがまるで落語の噺にある「夢金」のような趣向ではないか。

 

ときに思うのだが、人間のこういう融通のきかなさというか、やり切れなさというか、おろかさというものには、どこか、そこはかとない哀しみのようなものが感じられて、なんというか、とらえどころのない、泣き笑いの想念がふとあたまを掠めることがある。

ちょっとムネをしめつけられるというか、滑稽なのだが、哀しさが透けてみえるというか、それだけに、なんだかこの世の悲喜交々が愛おしく感じられると言おうか……。

くだらなく、ばかばかしく思えることほど、こういった思いがふと湧いてくるので、人間、よくわからない生き物だなと戸惑いつつも、そこのところの余韻というか、残滓が尾を曳いて、滑稽さに情がわくものと思えてくるのであった。

 

印度

落語のなかに「雛鍔」という噺がある。

このなかに登場する植木屋の倅というのが「いかんともしがたい」こまっしゃくれた腕白で、これが笑いを誘うという根太になるのだが、最近この噺を聴いていて、ふと思い出したことがあった。

 

若い頃、バックパックを背負ってインドを旅したことがあるのだが、その道中で出会った、噺と同じような「いかんともしがたい人たち」のことをフラッシュバックしたのだ。

いかんともしがたい、というのは、あつかいに難儀する、まあ、困った人たちのことだが、こういう人たちというのはやっぱり、どこへ行ってもいるものである。

ここではさしづめ、まさかインドで出会うとは、といったところになるのだろうが、そんな人たちのことを記しておこうかと思う。

 

一人目。

その旅行ではムンバイ(ボンベイ)からチェンナイ(マドラス)まで南インドの海岸線をメインに移動し、途中、内陸の各都市にも立ち寄るといった旅程を想定し、たいがいを鉄道、あるいは長距離バスでほうぼうに寄るという移動手段を考えていた。

放浪というほどではないが、気の向くままにインドのいろいろなところを見てみたいと思っていたので、鉄道はローカル線を利用することにしたのだが、そのときのことである。

テレビなどでインドの鉄道事情をご覧になったことがある方ならご存知かもしれないが、人が列車の側面にへばりつきながら走るという風景をその旅でもなんどか目にした。

そんな列車だから、要するにハイパー満員列車状態なわけで、車内も当然、鬼混みしている。とくに三等客席がすさまじいということは事前にわかっていたので、鉄道の移動では二等客席のチケットを購入することにしていた。

で、ある路線に乗車したときに、ちょっとした事件が起こった。

自分が予約した席に、先客というか、子どもが座っていたのである。

あれ?と思ったが、なんどか確認してもやっぱり自分の取った席である。

しょうがないなと思って、カタコトの英語でその子にやんわりと「そこはわたしの席ですよ」と言おうとした瞬間──。

対面座席の前に座っていたインドのご婦人が、いきなりその子のことを有無を言わさず平手打ちし、えらい剣幕で怒鳴りつけたのである。

なんぞや?とびっくりしたが、どうやら、その子の身なりが少々、すすけていたことから事情が飲み込めた。つまりは、インド社会に現実的には残存する、身分制の問題である。

そのご婦人もうすうす勘づいてはいたが、自分の登場でそれが確信に変わり、この抜け目ない子どもを叱り飛ばしたかったのだろう。子どものほうも、悪態をつきながら一目散にその場から去っていった。

衝撃の光景を目の当たりにしたものの、困ったのは、その後であった。

このご婦人、あくまでも善意を成したとの気持ち良さから、終始ご機嫌で、やたらとこちらにフレンドリーに接してくる。インドの慣習では女性のほうからあまり男性に話しかけることはないと聞いていたのに、このおばさん、年齢のせいもあるのか、やたらと話しかけてくる。

まいったなと思いながらも、相手はニコニコしているし、どうしようかと思っていたところに、車内の物売りがこちらにやってきたので、すかさず掴まえて、いちおうはお礼ということでカップのチャイをごちそうしたら、輪をかけて上機嫌になった。

こちらも作り笑顔を向けながら、内心、このおばはん、さっき子ども殴っとたしな、と思いつつも、不承不承に話に付き合うしかなかった。

結局、このインドのおばさんが途中下車していったことで、この話は終わるのだが、最後までどこか正義をなした晴れやかさ漲る様子にあてられて、げんなりしてしまった次第である。

いかんともしがたい、こういう人はどこの国にもいるのだろうなと、ため息しか出なかった。

 

二人目。

インドの内陸都市であるバンガロールから、インド大陸の突端にある街カーニャクマリまで移動しようと、深夜バスに乗り込んだときのことである。

大都市からの乗車だったこともあってか、偶然にも、そのバスに自分を含めて3人の日本人が乗っていた。

他の場所で日本人にあまり遭遇しなかったので、けっこう珍しいことだと思ったのだが、出発してしばらくすると、そのうちの一人の日本人旅行者がこちらに話しかけてきた。

旅をし始めて数ヶ月は過ぎていた頃合いである。日本語の話し相手に飢えていたこともあって、旅の情報交換とばかりに話も弾むこととなった。

興味深かったのが、その話しかけてきた旅行者の男性、じつは相棒と2人旅のはずだったのだが、相方のほうがインドに到着して1週間でインドという国に拒絶反応を起こしてしまい、ホテルの部屋に閉じ籠っているという。

インドについては昔から、合う人は合うが、合わない人はとことん合わない国だと言われるのだが、そのご友人は合わないほうを地でいってしまったそうだ。

とくに食事がダメだったそうで、ホテルに籠ってずっとビスケット食ってますよ、と話していた。

それで、どうされたんですか、日本に戻られたんですかと尋ねると、それでも飛行機の往復チケットを買ってしまった手前、すぐに帰ることはせずに、帰国便が出る空港近くのホテルに陣取っているという。気を遣われて、俺はダメだが、お前だけでもインドを堪能してきてくれと、そのホテルで帰りを待っているという、なんとも健気で、しかも気の毒な話だった。

ということで、相方を置いて、どういうわけか一人旅をしているという、こちらも気の毒なその人といろいろな話に花を咲かせていると、なにやら視線を感じる。

「あの人、こっちのこと気にしてますよね」

「だろうね」

「ビミョーに話しかけづらい風貌ですよね……」

「だね。おそらく、めんどくさそうな人のような気がする……」

「ですよね……」

というのも、バスに乗車していたもうひとりの日本人旅行者の男性なのだが、まず、南インドの民族衣装である腰巻きスカート(ルンギという)を着用しており、サンダル履き、しかも上半身は、なんというか、作務衣のようなものを羽織っている。

つまりは、いでたちからして、なんとなく近づきたくない、要するに痛い、そんな風体なのである。

現在でもたまに見かけるのだが、アジアの国々に旅行して、たとえばタイに行ってタイ・パンツを履いて街歩きするのは、正直、みっともないから、個人的にはやめたほうがいいと思う。たぶん、現地の人も引いているだろう。

観光地に行って、貸し民族衣装を着てちょっと写真を撮るくらいならいい。が、観光地以外の場所で、外国人が常時、その国の民族衣装を着ているというのも、かなり不気味に映るのではないかと思う。

と、まあ、いかんともしがたい、要するに、そこのところの認識にズレがありそうな人だったので、なるべくこちらからは話しかけんとこうと思っていたら、向こうも我慢できなくなったのか、やっぱり話しかけてきたわけである。

そこからはもう、そのルンギの人の独壇場である。

今から25年くらい前の話になるが、当時、インドでは、なにやら手から奇跡の粉を出すというサイババという宗教家が注目されていて、日本でも話題になっていた。この人は、そのサイババを追いかけてインドに来たという。

この一事をとってみても、二人して、うわぁ、となったが、驚いたことに、このサイババ信者、出家僧のごとく、日本からインドへと荷物を持たずに来たという。実際、風呂敷包みというか、小さなズタ袋ひとつしか持っておらず、少々ためらわれたが、なかになにが入ってるのですかと尋ねてみると、得意顔で、パスポートと少々のカネ、それと替えのパンツ一枚と言っていた。

へぇー、という感想しか出てこなかったが、なにを勘違いしたのか、自分とインドの同化っぷりにこちらが感心したのかと誤解して、とにもかくにも自分のインド人化についての蘊蓄をしゃべり倒す。

深夜バスの道中である。そろそろ寝たいんだけど思っていても止まらない。しかも、この人、しゃべり口調が念仏のようで、おそろしく眠気を誘うトーンなのに自覚がない。しゃべり続けるその人を前に、正直、いつのまにか眠ってしまった。

初対面の見知らぬ赤の他人に話しかけられて、目の前で寝るというのは、このときはじめての経験であった。

結局、朝、バスの中で目覚めて、横を見ると、もうひとりの人相手に、まだ話し続けていた。

相手をさせられていたその気の毒な人に「寝れたんですか?」と尋ねると、ところどころ意識が飛んでたから、そのぶんは寝たと思う、といっていた。

つくづく気の毒な人だと思った。

結局、バスが目的地へ着くと、そのいかんともしがたいサイババ信者はその場で去っていたのだが、この気の毒な人とは数日、旅を帯同することになり、仲良くさせてもらった次第である。

それにしても、と思う。

インド拒絶者とインド同化者のあいだに挟まれて、つくづく気の毒な人だったなと、今でも忘れられない人物であった。

 

三人目。

一人旅に戻って、最終目的地のチェンナイ(マドラス)までやってきたのだが、旅程を早めるつもりはまったくなかったにもかかわらず、帰国便が出るまでに10日ほどは残っていた。

まあ、最後だし、この街でゆっくりするかと思って、ホテルもおさえてしまい、怠惰に過ごすことにした。

一日ぶらりと散策し、行きつけの食堂も決め、あとはホテルで寝てるか、その食堂でダラダラ過ごすか、チャイ屋台でタバコでも吹かすかと決め込んでいたところ、どういうわけだか、およそ平和とはいいがたい、まったく逆の状況に陥ってしまう。

たしか、チェンナイに着いて3、4日たったくらいだったと思い出す。

昼前までホテルで寝て、遅い朝食を行きつけ認定した食堂でとっていたところ、同じ店のなかの向こうのほうから、なにやら日本語が聞こえてくる。よくよく聞いてみると、関西弁だった。

最初に聞いた声は、こうだった。

「ちゃうちゃう、こっち」

「そや、こっち」

インド人ウェイター相手に、関西弁一本で意思の疎通を図ろうとする二人組の日本人女性だった。

メニューを見ながら揉めている。

英語表記もしてあるのだから、多少なりとも英語を混ぜろよと思ったが、どうやら譲る気はないらしい。ウェイターのほうもタジタジである。

いかんともしがたい、と思ったが、ダルかったので、こちらは仲介する気なぞ毛頭なく、なんとなく関わりたくないなと思って、そしらぬ顔して黙々とメシを食っていたのだが、結局、見つかってしまった。

まあ、しょうがない。日本人は他にいない状況なわけだし、風向きは当然、こちらに向くだろう。

そこからは関西弁の嵐である。

数日前に大阪から来たそうで、来たばかりでいまだ多少の不安があると言っていた。

が、しゃべっているトーンからは、まったく不安の気配は感じられない。

それにしても、と思った。

そのときの自分にとっては関西弁というものがえらく新鮮に映ったのだ。

インドにいる、ということもあったが、こちらはそのときまで生涯、関東在住、親類は東北寄りで、西日本にとんと縁がなかった。ので、まさかインドで生の大阪弁に触れることになろうとは思いもよらなかった。

そんなこともあって、向こうの藁をもすがらんばかりの勢いもあり、流れで彼女たちの旅に数日付きあうことになり、チェンナイ周辺を一緒に観光する運びとなった。

まあ、とにかく賑やかだった。

ふたりとも旅行でテンションが高いというのもあったのだろうけど、大阪の人が二人揃うと、ふつうの会話でも漫才のように聞こえるのかと思ったほどである。

面白かったのが、オーロヴィルを観光したときだった。

オーロヴィルとは、おそらく西欧のヒッピー・カルチャーの聖地みたいなところで、要するにインド思想ナイズされた人びとが世界中から集まってコミュニティを形成していて、まあ、早い話が、みんなで集まって静かな農村で”瞑想する”ような場所である。

が、ここを訪れたはいいが、自分にしてみれば、まったくピースフルな思い出はなく、関西弁のことしか思い出せない。

行くときに道に迷ったのだが、そのときも「ちゃうちゃう、こっち」「そや、こっち」である。

現地に着いて、コミュニティのなかを見てまわるサイクリング・コースがあったのだが、3人で自転車を借りて乗りつけても、「ちゃうちゃう、こっち」「そや、こっち」である。

ドタバタすぎて、まったくもってマインドフルネスにはならない。

チェンナイに戻って来て、行きつけの店で食事をしていても面白かった。

数日経過して、すでに勝手知ったるところになったのか、インド人ウェイターもふつうに関西弁対応になっている。

女子二人、いまだ関西弁しか話さないのだが、インド人ウェイターもふつうにオーダーをとっているのである。うんうんと頷いている姿がおかしかった。

英語ではなく、もはや関西弁こそが世界標準語なのではないかと思い知ったほどである。

結局こちらは帰国することとなり、帰りの空港まで見送りに来てくれて、彼女たちには楽しい珍道中を締め括ってもらって感謝ひとしきりといった具合だったのだが、それにしても、どこまで関西弁で通すのか、その後が気になるところだった。

観光の最中、いくどか英語も少しは使ってみたらどうかと話してみたものの、こう言うのである。

「あかん、思いついても、先に日本語が出てまう」

「せやな」

いかんともしがたいと思ったが、同時に、見あげたことであるとの思いも湧いた。

こういう種類の”いかんともしがたさ”は、悪くない。

そんなちょっとした、清々した気持ちにさせられた。

 

そんなこんなのインド一人旅ではあったが、旅のなかのこうした”いかんともしがたさ”は、思い返すと旅の旨みを引き出してくれる良いスパイスであったと思う。

人生においても、それは変わらないのではあるまいか。

もっとも、困った人に出会ってもそれを鷹揚にイナせる、そんな胆力はほしいところだが、それにしても遭遇してしまった後の祭りで、それはそれで笑えるのであれば、面白かったで済ましてもいいもののような気がする。

少なくとも自分のなかでは、旅の回想にピリリと辛味を添えてくれた、思い返せば小気味よさも感じさせる、そんな気分にひたらせてくれる人たちであった。

 

鎮具破具

学生の頃に哲学の読書会というものがあって、そこへ参加したときに、シモーヌ・ヴェイユという人の、こんな箴言に出会ったことがある。

 

求める目的とは反対の結果を生む努力がある。一方、たとえうまくいかないことがあっても、いつも有益な努力もある

 

激動の二〇世紀前半世を生き、34歳の若さでこの世界を駆け抜けたヴェイユの生涯に思いを致すと、この至言に恩寵にも似た輝きを見出すとともに、根をおろして透徹に現実を見つめた万金の重みを感じさせる。

と、まあ、お堅いすべり出しで申し訳ないが、それにしてもこの言葉、味わい深くて、ほんとうに良い言葉だなと思っていて、なるべく努力はしたくはないヘタレな自分にしてみても、たまにはこういう言葉で、どこか自分を鼓舞してみたいと思ってしまうものなのである。

 

ところで、この言葉に掛けるわけではないが、むかし、「求める目的とは、まったく関係のない結果を生んだ努力」というのを目撃したことがある。

本人にはまったくあずかり知れない、まったくお呼びでない結果が、期せずして、意図せずして現れてしまった、奇妙な努力である。

これが、いまをもって振り返ってみても、どうにも掴みどころに欠けるというか、いったいあれはどういうことだったんだろうと、ちょっと首をかしげる事象なのである。

今日はそんな話をしてみたい。

 

こどもの頃、自分の家の隣りに、自分と同学年で、あだ名マッキー(仮)という子が住んでいた。

とくに仲が良かったわけではないのだが、隣りの家の子ということもあり、多少は、学校なりで気にはかけていたのだが、クラスもなぜか一緒になることもなく、別のグループの遊び仲間に属していたこともあって、それほど交流をもつこともない、そんな立ち位置の間柄だった。

外見も中身も、悪い意味ではなく平均的な子で、自分と一緒で、それほど外野に表立って目立つような存在ではなかったのだが、マッキー自身はそうでも、その母親は違った。

今でもこういう呼称はあるのだろうか、マッキーの母親は当時でいうところの「教育ママ」で、とにかく自分の子どもに、勉強、勉強とうるさかった。

隣りに住んでいたのでわかるのだが、夕方から夜にかけて、子どもが勉強をサボっていると、怒鳴り声が聞こえてくるのだ。

お姉ちゃんもいて、この母親に反抗して、ケンカする声もよく聞こえてきた。

外から様子をうかがっていても、まあ、厳しい人だというのはよくわかる。

子どもの数も多くて、受験戦争も厳しい時代だったから、愛情の裏っ返しと言えなくもないが、この母親に関してだけは、マッキーに対して気の毒さを感じざるをえなかった。

 

そんなマッキーであったが、おとなしい子だったので母親には逆らえず、中学に入って粛々と帰宅部に属することとなり、日々、勉学に打ち込んでいたのだろうが、あるとき、様子が変わったように、学校から一目散に"走って"家に帰るようになった。

その様子を見て、どうしたんだろうと思いはしたが、どうせ母親にせっつかれてのことだろうと最初のうちは思っていた。

が、しばらくして、どうやら様子がちょっとおかしいと思い始め、どこかのタイミングで本人をつかまえて話を聞いてみると、かなり羽詰まった、切実な調子で「ファミコンができるんだ」と訴えられてしまった。

 

はぁ? と思ったが、どういうことかと事情を聞いてみると、数か月前からマッキーの母親がパートに出ることになって、夕方に家を空けることになったという。

その母親が家にいない時間に、だいぶ以前に禁じられて封印されていたファミコンで隠れて遊べるということらしい。

母親も日暮れ前には仕事を終えて帰宅する。それまでのあいだの、およそ1時間から2時間程度だが、少しでも長くファミコンで遊びたい。

学校が終わり、放課後を告げるチャイムが鳴った瞬間、ダッシュで下校すれば、早く家にたどり着いたぶんだけ、それだけ長く遊ぶ時間が確保できる。

だから、脇目もふらず、一目散に家まで走る。走って、走って、とにかく走って、なんとしてでも家に早く帰りつきたい。

そう言うのである。

理由を聞いて、ため息しか出なかったが、それでもその心情をおもんばかると、多少なりとも同情を禁じえなかったので、せめてものたむけに、いくつか、自分の持っているファミコンのソフトを貸してあげることにした。

 

そんなマッキーが、放課後のチャイムと同時にダッシュで家へと駆けていく日々がどれほど続いただろうか。

マッキーが走って帰るその姿も日常の風景となり、周囲の人々も、そしておそらく本人も、それが当たり前になって、特段、意識にのぼることもなくなった、ある年の秋。

自分とマッキーが通っていた中学校で、毎年恒例のマラソン大会が開催された。

もちろんフルマラソンではなく、学校の周辺を、まあ、10キロもいかなかったと思うが、ぐるりと周回するというイベントだ。

結論から先に言ってしまうが、勘のするどい方はおわかりかもしれないが、その大会で帰宅部のマッキーが優勝するという珍事が起こるわけである。

 

陸上部やサッカー部のなみいる猛者どもをゴボウ抜きである。

事情を知らない生徒たちや先生方も、なぜ帰宅部のマッキーが?、と唖然としていた。

そりゃ、そうだろう。

正直、パッと見、あきらかに運動部系のオーラは皆無である。こういっちゃワルいが、まあ、風采はあがらないほうだし、どこからどう見ても足が速いとは思えないツラ構えをしている。

マラソンを走り終えた本人も、とくに、なんのことはないという顔をしている始末である。

優勝した嬉しさを噛みしめるなんてこともせずに、なんなんでしょう、この状況は?といった、なんの感慨もないような望洋とした表情をしていた。

運動部の連中も、最初こそ、苦虫を潰したような雰囲気を醸し出していたが、途中から、なんだかよくわからないこの事態を面白がり始めているようだった。

事情知ったる自分にしてみれば、内心、このちょっとした痛快事に拍手を送ったし、理由が理由なだけに、含みのあるおかしさを感じつつも、このやにわにの珍事に、それにしてもと、どうにもつかみどころのない感想を抱いた次第である。

 

このマッキーの“努力”、どう考えればいいのだろうか?

 

マッキーが日々、「走って帰った」のは立派な努力である。

努力とは、目的と結果があって成立するものであるならば、マッキーの努力は目的も結果も要件を満たしている。「少しでも長くファミコンをする」という目的と結果を日々、達成し続けてきたわけだ。

が、間違っちゃいけないのが、「足が速くなる」というのは目的でも結果でもなんでもないということである。本人も望んではいない。

足が速くなるというのはあくまでも、この努力の副産物に当たるわけだが、この副産物が「マラソン大会優勝」という結果を生んだことになる。

が、こっちの結果なぞ、そもそも本人にはお呼びでない結果であって、マッキーの努力は相変わらず「少しでも長くファミコンをする」ほうにそそがれている。

が、周囲の目には、あるいは世間的には「マラソン大会優勝」のほうが、結果としては気位が高いとみなされる。

が、マッキーの表情を見るかぎり、本人にとってその結果はまったく価値がない。目的にもぜんぜん叶っていない。

むしろ、ありがた迷惑このうえないようで、マラソン大会の後に、マッキーのほうから話しかけられて、どうしたん?、と聞いてみると、お願いだから、マラソン大会に優勝してしまった件と、それに絡んで自分が家まで毎日走って帰っていたことは内密にしてほしいと頼みこまれてしまった。

どうやら、この珍事から、真実が母親に露見することをおそれたらしい。

いやいや、大丈夫でしょうと返したが、あんまりにも心配するものだから、内密にすることを確約し、ついでに優勝のご褒美とばかりに、またファミコンのソフトを貸してやるよと言ったら、ものすごく嬉しそうな顔をしていた。

現金なことである。

 

さて、このマッキーの目的と努力と結果から、するりと抜け落ちた事実がある。

本人もまったく意識していないようだし、知ったところでどうでもいいと感じるのだろうが、じつはすごい事実である。

 

マッキーは足が速いという"事実"である。

 

この事実、けっこう大したものだと感じられたのだが、その後のいきさつを追跡観察したところ、これほどぞんざいにあつかわれた事実もそうないのではないかと思えるほど、惨憺たる立ち消え方をする。

まず、本人からして、足が速いという事実をどうでもよいと思っている。

マラソン大会に優勝したという事実から、周囲がマッキーになんらかの働きかけをしたかといえば、なにもない。陸上部の顧問の先生などがスカウトでもすればいいものを、と見ていたのだが、まったくそのような動きもなかった。

母親も、自分の息子がこれだけ足が速いのだから、その才能に気づいてやれよとも思ったが、なにせこれはマッキー本人が露見することをおそれている。ゆえに、伝わりようもなかった。

もっとも、この母親も、足の速さを知ったところで、マッキーに対して勉強一辺倒を望むであろうことは、その後も隣家から聞こえてくる怒鳴り声で火を見るよりも明らかだった。

それで、あっという間に、この一件はクローズドされた。

 

これでは、この"事実"が可哀想である。

事実のことを可哀想に思うなど、金輪際、思いもよらなかったが、これはほんとうにもったいないことだと当時から思っていたし、いまもその思いは変わらない。

事実や、事象や、出来事というものにも、だれかが注意を払ってやらないと、消え去っていくのは当然のことなのだが、ここで少しでも書いてやることで、この可哀想な事実がちょっとでも浮かばれることを切に願う。

 

それにしても、こういう、ちぐはぐなことが起こるたびに、努力とはいったいなんなのだろうと、首をかしげる。

が、謎の努力をしつづけるというのも、人生を面白くする趣向のひとつなのかもしれない。

 

愛嬌

いつだったか、呑み屋で後輩から聞いた話である。

その後輩が高校生の頃、いまからもう30年近く前のことになろうか、当時、アメリカのほうで、どうやらヒップホップという音楽が活況を呈しているらしい、ラッパーやDJと呼ばれる人たちがいるようで、その存在が日本でも徐々に認知されつつある、といった時分に、どういういきさつでそれを知ったのかは忘れたが、周りの友だちのあいだでも話題にのぼっているし、なんだかよくわからないが、目新しく、イケてる感じがしてカッコいい、だから自分もその流行に乗ろうと、近所のレコード屋に足繁く通い始めたそうだ。

 

が、田舎の高校生である。

自分もDJというものをやってみたいが、実際のところ、それがどのようなことをやるのかもわからない。

情報もないなかで、DJとは、とりあえず、ラジオで喋っている人たちと似たようなことをやっているのだろうということで、自分の好きな曲を集めて、それを順にかけながら、合い間合い間に、ノリノリの寸言をさしはさんだミックステープを作ったという。

思い出しただけでも恥ずかしい、自分の黒歴史ですよ、とか言っていたが、この話には尾ヒレがついていて、そちらのほうが、なかなかどうして面白かった。

 

作り出したら興が乗り始めたらしく、ハイテンションで、「イェ〜イ」とか、「ヒュ〜」とか言いながら、わけのわからないマシンガントークを囃し立てて、何本かテープを作ったそうだ。

時間をおいて聞き返してみると、顔から猛火が出るほど恥ずかしい内容で、結局、お蔵入りにすることに。

夜分に悶々としながらしたためたラブレターを朝、冷静になって読み返してみると恥ずかしさのあまり血の気が引く、といった類の、よくある話だ。

それで、しばらくほおっておいて、その存在を忘れていたという。

ところが、くだんのテープが、その後輩の友だちに流出してしまう。

おそらく、友人同士でテープの貸し借りをしている際に、間違って渡してしまったのだろうと言っていた。

そしてある日、その後輩が学校へ行くと、友だちグループ界隈、学校のクラス界隈で話題沸騰になっていたという。

その、あまりにも面白すぎる一人語りに、調子に乗った後輩の友だちがクラスでそのテープを流して、爆笑が渦巻いたそうだ。

涙を流しながら笑っているヒデー奴もいましたよ、と後輩談。

たんなる笑い話で済まずに、なかなかどうして、と思ったのは、次のくだりだ。

 

学校のクラスというもののなかには、いろんな子たちがいるわけだが、目立つグループの男子、女子、そうでない子ら、学校の体制に従う真面目な優等生もいれば、学校嫌いな不真面目な子もいるだろう、比較的おとなしいオタクのような子らもいれば、なかには人と交わることを極度に嫌う子だっている。

その後輩のクラスにも、ひとり、周囲と隔絶した、およそ無表情な、どちらかといえば根暗な、人のなかに混じっても一言もしゃべらない、そんな子がいたそうである。

コミュ障というよりも、そもそもハナから人の輪のなかで己の存在を消そうとしているような子で、その子の能面のような顔からは、およそ人の感情などというものを引き出すことはできないと思われているような子である。

 

が。

そのテープを耳にしたその子が、そのときはじめて笑ったそうである。

 

クラスの周りの子たちも、その子の笑った顔をそのとき初めて見て、皆んなして驚いたそうである。

後にも先にも、その子が学校のなかで笑ったのを見たのは、その一回こっきりだったそうだ。

まあ、仲のいい友だちでもなかったし、存在感が薄かったんで、話したことすら記憶にない子だったんですけどね、と言っていた。

 

聞いていて、黒歴史どころか、味わい深い、いい話だな、と思った。

その後輩も元より誰に触れまわることもなく勝手に恥ずかしいことをしただけで、本来、能面の子の笑顔と接点もつけようはずもない、とるに足らない別個の些事である。

それが、どういうわけだか、人生の機微で、たまたまめぐり合わせがついたわけだ。

能面の子の笑いに辿り着いた、こういう不思議は、人の世の滋味深い綾を感じさせる。

酒を酌み交わしながら、愛嬌はときに人を救うのではないか、なんて話をしていると、そんなもんスかね、とグラスを傾けていた。

考えなしのその後輩の、いつもの受け応えである。

 

それにしても、身から出た錆で、だれかをクスッとさせるなど、これほど粋なことはないではないか。

そう言って褒めてやると、その後輩もニカッと笑っていた。

 

いい笑顔だな、と思った。

 

五分の魂

毎年想う。

ついにこの季節がやってきたと。

蚊、である。

 

ウチは5階建てマンションの5階なのに、なぜか蚊がいる。

蚊がやってくる。

蚊が飛来する。

蚊が漂っている。

それくらい、蚊とのたたかいに追われる。

いろいろな対策をとるも、それでも、夜、寝ていると、耳もとのあたりをプーンと飛んでくる。

このプーンを聞くと、本能が反応する。

身体が反応してしまう。

それでもむかしは、数回の応酬で確実にパチンとしとめていた。

だが、歳なのだろう、反応速度の減衰で、スカることがやたらと多くなった。

それが、いっそうイライラさせられて、目が冴えわたって、夜中なのに寝るのもそこそこになってしまう。

これは、ほんとうにいかん。

そして、かんべんしてほしいと毎度、げんなりする。

 

心情的には、虫とはいえ、殺生沙汰は好まない。

むかし、ブラッド・ピット主演の映画『セブンイヤーズ・イン・チベット』というのを鑑賞したことがあるのだが、この映画のなかでチベットの仏教僧たちが、自分たちの寺院を建立する際に、基礎を据えつけるため土地を掘り起こすのだが、その土のなかからミミズがたくさん出てきて、しかし、殺生沙汰を避ける戒律のために、そのミミズたちをていねいに別の場所へと手でのける、というシーンが出てくる。

そんなことしていたら、建設が進まないだろうことをわかっていながら、自分たちの流儀を曲げない姿に、ブラピとともに、いたく感心したのを覚えている。

これを観て、一寸の虫にも五分の魂、小さな虫に手をかけるのは、今後の人生でやめておこうと、自分の心のうちでひそかに誓ったクチである。

そうであるのに、蚊については、本能でパチンとやってしまう。

これにも毎回、忸怩たる想いがつのるのだが、つぶされた蚊のむくろのまわりに、自分の吸われた血をみて、奇妙な達成感を感じる、二律背反する想いを抱く。

 

そんな思いを抱えつつ、最近、Yahoo!ニュースで朗報ともいえるべき記事を読んだ。

「蚊が”飛べなくなる”新技術/商品化も検討/花王」というものだ。

 

「画期的な蚊よけ」と謳っている。

開発元の花王によると、蚊の体表全体には小さな凹凸があるため、水を吹きかけただけでは、はじかれて落とすことはできないようなのだが、この水に、洗剤の成分である「界面活性剤」をいれて吹きかけると、蚊が水になじんで濡れることになり、重たくなって、飛んでいる蚊が落ちるという。

「殺虫剤なしの蚊よけ」ということで、花王が商品化も検討しているようだ。

自分の二律背反する想いをわかってもらえたようで、こういうのを待っていた、と喝采を送りたくなった。

どのような商品になるのか、期待もひとしおだが、ほんとうに良いものなら、カスタマーセンターにお礼の電話を一本、入れたいところである。

それにしても、人間が自然とウィンウィンの関係を築くことは、とてもむずかしいことなのだと痛み入るばかりである。

 

落とし穴・下

(つづき)

二歩目。

秘密基地が林立し、秘密裡に潰しあうというフェーズが進化して、一時的に、単純な破壊活動だけが先行するようになる。

つまりは、自分たちの秘密基地をつくる、ということはしなくなり、ただ潰すことだけを目的に徘徊する輩が出始めたのだが、しかしながら、それだけだといずれ地域全体が焼土と化すばかりで、しかも、あまりにも芸がない。

子どもながらにそれを直観的に理解していたようで、そこで次に現れたブームというのが、落とし穴を設置する、というものだった。

他人の秘密基地をあえて潰さずに生かしておいて、そこに秘密裡に落とし穴を仕掛ける、ということをやり始めたのだ。

これもいっとき、この地域では爆発的に流行った。

それこそ、秘密基地のことは忘れ去らんばかりに、落とし穴を掘るほうが人気になったくらいである。

いまでも自分は、秘密基地ということばを聞くと、セットになって、この落とし穴を思い出す。

振り返ると、少々、意外な展開になったなと思わなくもないが、この落とし穴の妙味というのも歴史の綾である。

当時はこれが、ほんとうにおもしろかった。

落とし穴にだれかが落ちる画ズラというのは、本能に訴えかけるおもしろさがないだろうか。

問答無用で笑ってしまう、強力な磁力を備えている気がしてならない。

当時、ほくそ笑みながら、友だちと一緒に嬉々として、他人の秘密基地の軒先に落とし穴を掘ったものである。

そして、穴を塞ぐ偽装工作も完璧にして、後日、ニヤけた顔して現場を確かめに参上したものである。

この落とし穴というトラップを仕掛ける行動というのも、秘密基地のもつ隠匿性に通づる意味合いを持ち合わせているということを、子どもながらにきちんと自覚していて、単純な破壊工作よりも、より高度な駆け引きを楽しめるということをちゃんと理解したうえで、穴掘りに精を出していた。

それだけに、身の入れようもひとしきりであったことを思い出す。

人類の歴史においても、戦時よりも、一見、平和に見える冷戦時のほうが、その裏舞台で繰り広げられる諜報・調略活動が激化するといわれているが、それを地でいくような争いようではないか。

こちらはスパイでもなんでもないが、友だちからどこそこに秘密基地を見つけたと聞きつけると、みんなでスコップかついで、現場まで突撃したものである。

 

三歩目。

秘密基地遊びの三歩先の光景とは、どのようなものになるのか、想像がつくだろうか。

ここまで筆を進めてきた現在でも、あれはいったい、どういう了見だったのか、はたまた、まったくもって、なにを意味する現象だったのだろうかと訝しげに思うばかりである。

その、事の起こりとなることを、だれが言い出したのかはわからない。

だが、当時、それを言い出したヤツの心情は痛いほどよくわかった。

その心象風景を解説しよう。

 

落とし穴というものは、だれかがその穴にハマる瞬間を目撃するからおもしろいのであって、これまでの秘密工作ではそれを見れない。

その当たり前の事実に、あるとき、ハッと気づくわけだ。

それまでは、現場に残された残骸と痕跡を確認して、それにほくそ笑んで楽しんでいただけで、そこに達成感はあるものの、爆発的な笑いはない。

これに不満がつのりはじめたのだ。

ということで、自分たちの領土に敵を誘い込み罠に嵌めるという奸計をだれかが思いつく。

他のグループの子を懐柔し、自分たちの秘密基地へと招き入れて、自分たちの秘密基地の前に仕込んだ落とし穴に落とす、という狡猾な手をとりはじめる。

最初のうちは、うまくいく。

が、敵も馬鹿ではない。

誘われた時点で、罠だと気づくわけだから、とたんにこの計略は瓦解するわけである。

で、ここからである。

三歩先の光景はここにある。

 

なにを思ったのか、自分たちでつくった落とし穴に、自分たちで落ちる、ということをやり始めたのである。

皆んなで一所懸命に穴を掘り、これでもかと精巧に蓋の部分を偽装する。

それで、我をも先にと挙手をして、俺が俺がと、こぞって落ちたがるのである。

落とし穴の出来栄えが惚れ惚れすればするほどに、俺が落ちたい、俺を落とさせろ、と、狂気の沙汰である。

いったい、なにをやってんだか、わけがわからない。

だが、この遊びの趣向も、出鱈目におもしろかった。

わかっちゃいるが、それでもだれかが落ちると、笑けてくるのが落とし穴というものである。

自分たちで落ちるのなら世話ないわと知っているのに、なぜかおもしろい。

まったくもって、この事態は、どういうことなのか。

いまも不思議でならない。

それでも、友だちと、腹を抱えてゲラゲラ笑って、穴を掘り続けた。

もはや、ランナーズハイならぬ、ディガーズハイ状態である。

要するに、どこか逝っちゃっていたのだと思う。

 

お粗末さまで申し訳なく、まとめに入らせてもらうが、人類の歴史を振り返るに、はたして、こういう事象はあったのだろか。

墓穴を掘るということばはあるが、われから好んで落ちにいく、というのは聞いたことがない。

自分たちで掘った穴に、自分たちで落ちて、笑う。

しつこいようだが、このあきれるばかりの事象に、文化人類学でも、社会人類学でも、自然人類学でも、民族学でも、民俗学でも、なんでもいい、説明をつけていただけるのなら、せつに教えてほしいものである。

そのくらい、摩訶不思議な少年時代の思い出であった。

 

落とし穴・上

むかし、秘密基地遊びというのが流行った。

現在、アラフォー、アラフィフあたりの年代の方々に該当する思い出ぶかい遊び、ということになるのだろうか。

それ以前の年配の方々、あるいは現在の子どもたちも、こういった遊びをやっていた、あるいはしている、のだろうか。

よくわからないが、とにかく当時、友だちどうしで誘いあって、公園の隅っこや雑木林のなか、野外のだれも訪れなさそうな場所に、自分たちだけの、小さな隠れ家をつくって遊んだものである。

 

大人になった現在でも思うが、この「隠れ家」というものには、人を惹きつける魅惑的な引力があるように思う。

この秘密基地遊びの元となったものは、自分の記憶では、当時のロボット・アニメだったように思うが、どうであろう。

自分らの世代では、たしか、ファースト・ガンダムに登場する、ジャングルのなかに隠れ潜む秘密基地ジャブロ、がイメージの元だったように記憶している。

これに憧れて、か、それか、アフリカで樹上生活をしている人々のツリーハウスや、アジア太平洋地域の海沿いで生活している人びとの高床式の家屋、南米の密林のなかで暮らす人びとの地形を生かした住居などなど、そういった世界中に点在する一風変わった「住み処」というものにも惹かれるものがあって、この遊びをするうえでの念頭にものぼっていたように思う。

たとえば、建築家・藤森照信さんがつくりあげる世界観などをイメージしてもらうと話が早い。

自分たちだけの、ああいう自然を生かした隠れ家が欲しくて、それで秘密基地づくりに熱中したわけだ。

もちろん、小学生のすることだから、そこまで凝ったものなどできようはずもない。

だがしかし、そんな家や建物を夢見ていたのはたしかで、つまりは、この秘密基地遊びというものは、人類の「住居」というものに思い致すほどの深みのある、それでいて、ある意味で本能と自由な発想に根差した色彩豊かな遊び、ということだったのかもしれない。

 

この秘密基地、最初の頃は、それこそスカスカの、子どもが数人、円座して収まるような単純なスペースといった風合いで、要するに、かくれんぼのための、隠れる場所に毛の生えた程度の出来のものだった。

そこに、自分たちの好きなもの、漫画だの、菓子だのを持ち込んで、そのスペースでワイワイやるというのが、この遊びの本懐であった。

ところが、なかには凝り始めるガキどもも現れて、どこから持ち出したのかわからない、ゴミだか、ダンボールだか、ブルーシートだか、建築資材的なものだか、あやしげな材料まで持ち込んで、巧みに組み上げ、作り上げる、というところまでだんだんと進化するようになる。

最終的には、簡易的な掘立て小屋程度までは完成させるに至ったのではないだろうか。

小学生とはいえ、まこと、たくましい想像力と工作力を発揮したものである。

 

さて、本題はここからである。

今回は、この秘密基地遊びの「三歩、先を行った話」をしてみたい。

この話はある意味で、人類の歴史を辿らんばかりの、あるいはどこかでその悠久の歴史と重なるほどの、教訓めいたニュアンスも含む話でもある。

あえて大風呂敷を広げさせてもらったが、二歩目、三歩目の話などは、読まれる方々の見識と解釈にゆだねてみたい内容となっている。

ただし、このスチャラカ・ブログが書くことだから、大目にみてほしいところは、ままある。

退屈かもしれないし、話半分に読んでほしいと思うところもあるが、それにしても書き手としては、あれはいったい、なにを意味する現象だったのだろうかと訝しげに思う出来事が並ぶ。

あらかじめ断り書きをしておくと、これから書くことは、自分が小学生の時分、自分が生まれ育って遊んだ地域で、実際に起こった事象である。

 

それではまず、一歩目から。

秘密基地遊びが流行り始めると、地域の至るところに、秘密基地が林立、乱立するということが起こる。

当然、自分たちのグループ以外の子どもらも、あちこちに、せっせと、自分たちの城を築くわけで、そこでこのフェーズでは、場所の奪りあいならぬ、他のグループがつくった秘密基地を潰しあうという現象が起こることになる。

まさに旋風が巻きあがるがごとく、さながら群雄割拠、国盗りの様相を呈するというわけだ。

見つけ次第、片っ端から、他のグループが築きあげた秘密基地を潰していく。

ひどいものである。

子どもというものは、ときとして、こういった酷なことを平然とやってのける。

だがここには、ちょっとした説得力のある、あるロジックも介在していた。

つまりは、これは、秘密基地なわけだから、いかに他のグループから見つからない場所に築城するかが、この遊びのおもしろさであって、他のグループの目を出し抜いて、いかに秘密裡に自分たちのベースを構築していくのか、が遊びの醍醐味になるというわけだ。

当時はこれに、ゾクゾクしたものである。

たんに秘密基地をつくって、はい、終わり、ではなくなったわけで、秘匿することのえもいわれぬケラクにのみこまれるところまで歩を進めることになったというわけだ。

 

と同時に、逆も然り、ある日、自分たちの秘密基地に集合したら、無惨にも破壊されていた、なんてことも、もちろん、しょっちゅうあった。

そうなるたびに、今度は、血相かえて、他のグループの秘密基地を草の根分けてシラミ潰しに行く、なんてこともやっていたわけで、小学生ながら、むかしのヤクザのシマ争いのようでこわい。

ただし、そこには、わりと統制のとれた、ちょっとした暗黙ルールもあった。

潰すときは秘密裡に処理する、というルールだ。

おもて立って、ケンカや抗争のようなことはしない。

なぜなら、秘密基地だからだ。

秘密のものだから、当人たちのいないところで秘密裡に片をつけるというのが、どういうわけだか、不文律としてあった。

いま思い返すと、ここいらへんは面白く感じるところだが、仮に他のグループの子たちが当人たちの秘密基地でわいわいと遊んでいるところを目撃しても、そのときは手を出さなかった。

目をつけておいて、その子たちがいなくなったら、後から行って、やはり解体するのだが、こういうところは、子どもながら、惻隠の矜持とでもいうべき分別があったのだろう。

特定のグループの秘密基地を狙い撃ちにするということもなかったし、そこいらへんは、カラッとした子どもの王国の単純明快さがあった。

 

そして、二歩目。

(つづく)