粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

落とし穴・下

(つづき)

二歩目。

秘密基地が林立し、秘密裡に潰しあうというフェーズが進化して、一時的に、単純な破壊活動だけが先行するようになる。

つまりは、自分たちの秘密基地をつくる、ということはしなくなり、ただ潰すことだけを目的に徘徊する輩が出始めたのだが、しかしながら、それだけだといずれ地域全体が焼土と化すばかりで、しかも、あまりにも芸がない。

子どもながらにそれを直観的に理解していたようで、そこで次に現れたブームというのが、落とし穴を設置する、というものだった。

他人の秘密基地をあえて潰さずに生かしておいて、そこに秘密裡に落とし穴を仕掛ける、ということをやり始めたのだ。

これもいっとき、この地域では爆発的に流行った。

それこそ、秘密基地のことは忘れ去らんばかりに、落とし穴を掘るほうが人気になったくらいである。

いまでも自分は、秘密基地ということばを聞くと、セットになって、この落とし穴を思い出す。

振り返ると、少々、意外な展開になったなと思わなくもないが、この落とし穴の妙味というのも歴史の綾である。

当時はこれが、ほんとうにおもしろかった。

落とし穴にだれかが落ちる画ズラというのは、本能に訴えかけるおもしろさがないだろうか。

問答無用で笑ってしまう、強力な磁力を備えている気がしてならない。

当時、ほくそ笑みながら、友だちと一緒に嬉々として、他人の秘密基地の軒先に落とし穴を掘ったものである。

そして、穴を塞ぐ偽装工作も完璧にして、後日、ニヤけた顔して現場を確かめに参上したものである。

この落とし穴というトラップを仕掛ける行動というのも、秘密基地のもつ隠匿性に通づる意味合いを持ち合わせているということを、子どもながらにきちんと自覚していて、単純な破壊工作よりも、より高度な駆け引きを楽しめるということをちゃんと理解したうえで、穴掘りに精を出していた。

それだけに、身の入れようもひとしきりであったことを思い出す。

人類の歴史においても、戦時よりも、一見、平和に見える冷戦時のほうが、その裏舞台で繰り広げられる諜報・調略活動が激化するといわれているが、それを地でいくような争いようではないか。

こちらはスパイでもなんでもないが、友だちからどこそこに秘密基地を見つけたと聞きつけると、みんなでスコップかついで、現場まで突撃したものである。

 

三歩目。

秘密基地遊びの三歩先の光景とは、どのようなものになるのか、想像がつくだろうか。

ここまで筆を進めてきた現在でも、あれはいったい、どういう了見だったのか、はたまた、まったくもって、なにを意味する現象だったのだろうかと訝しげに思うばかりである。

その、事の起こりとなることを、だれが言い出したのかはわからない。

だが、当時、それを言い出したヤツの心情は痛いほどよくわかった。

その心象風景を解説しよう。

 

落とし穴というものは、だれかがその穴にハマる瞬間を目撃するからおもしろいのであって、これまでの秘密工作ではそれを見れない。

その当たり前の事実に、あるとき、ハッと気づくわけだ。

それまでは、現場に残された残骸と痕跡を確認して、それにほくそ笑んで楽しんでいただけで、そこに達成感はあるものの、爆発的な笑いはない。

これに不満がつのりはじめたのだ。

ということで、自分たちの領土に敵を誘い込み罠に嵌めるという奸計をだれかが思いつく。

他のグループの子を懐柔し、自分たちの秘密基地へと招き入れて、自分たちの秘密基地の前に仕込んだ落とし穴に落とす、という狡猾な手をとりはじめる。

最初のうちは、うまくいく。

が、敵も馬鹿ではない。

誘われた時点で、罠だと気づくわけだから、とたんにこの計略は瓦解するわけである。

で、ここからである。

三歩先の光景はここにある。

 

なにを思ったのか、自分たちでつくった落とし穴に、自分たちで落ちる、ということをやり始めたのである。

皆んなで一所懸命に穴を掘り、これでもかと精巧に蓋の部分を偽装する。

それで、我をも先にと挙手をして、俺が俺がと、こぞって落ちたがるのである。

落とし穴の出来栄えが惚れ惚れすればするほどに、俺が落ちたい、俺を落とさせろ、と、狂気の沙汰である。

いったい、なにをやってんだか、わけがわからない。

だが、この遊びの趣向も、出鱈目におもしろかった。

わかっちゃいるが、それでもだれかが落ちると、笑けてくるのが落とし穴というものである。

自分たちで落ちるのなら世話ないわと知っているのに、なぜかおもしろい。

 

まったくもって、この事態は、どういうことなのか。

いまも不思議でならない。

それでも、友だちと、腹を抱えてゲラゲラ笑って、穴を掘り続けた。

もはや、ランナーズハイならぬ、ディガーズハイ状態である。

要するに、どこか逝っちゃっていたのだと思う。

 

お粗末さまで申し訳なく、まとめに入らせてもらうが、人類の歴史を振り返るに、はたして、こういう事象はあったのだろか。

墓穴を掘るということばはあるが、われから好んで落ちにいく、というのは聞いたことがない。

 

自分たちで掘った穴に、自分たちで落ちて、笑う。

 

しつこいようだが、このあきれるばかりの事象に、文化人類学でも、社会人類学でも、自然人類学でも、民族学でも、民俗学でも、なんでもいい、説明をつけていただけるのなら、せつに教えてほしいものである。

そのくらい、摩訶不思議な少年時代の思い出であった。