粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

尾を曳く

だいぶ以前に自分のなかで確定事項になったことが尾をひいて、状況が変わった今になっても、わかっちゃいるが、その姿勢や態度というものをなかなかにくずせない、ということが、誰しも、ひとつやふたつ、あるかと思われる。

先日、呑み屋でそんな話をしていたら、珍妙な話を聞いたので、ちとここに書いてみようと思う。

 

まず自分の場合から話すと、過去のある体験から、電子機器に磁石を近づけるということにいまだ抵抗を感じる、というものがある。

たとえばスマートフォンのカバーなどに磁石を使っているものがあるが、これを使うのが躊躇われるのだ。

むかし、父親が使っていた仕事用のちょっとした精密な計算機かなにかに、遊びで使っていた磁石を近づけたところ、それがものの見事に故障し、こっぴどく叱られた経験があった。

このとき、どういうわけだか、叱られたことよりも、磁石を近づけるという自分の行為が計算機の息の根をとめたという事実のほうがショックだったようで、それ以来、磁石を電子機器には絶対に近づけないと「誓った」のである。

「誓った」などというと大袈裟なことと思われるかもしれないが、以来およそ40年間、この「誓い」を守り続けてきたのだから、その意味に重みも増そうものである。

が、そんな誓いの重みがいくら増したところで、世の中は変わっていくもので、結局のところ、昨今、多少、磁石を近づけたところで故障しない電子機器が登場することになる。

俺の誓いを返せと言いたくもなるが、わかっちゃいるが、なかなかにその姿勢をくずせないというわけである。

 

で、呑み屋でのなにげない会話から、そんな話をしてみたら、「ぼくにもそういうの、ありますよ」という返しがあった。

 

さて。

この返しの内容をここで話す前に、まず、この返した当人、この会話のキャッチボール相手のことについて少しばかり話しておく必要がある。

まあ、店の常連の呑み友だちということになるのだが、「バー・ホッパー」という言葉があるのをご存知だろうか。

要は、どこかの店一軒に腰を据えて呑むことなく、一杯呑んだら次の店、一杯呑んだらまた次の店へと、はしご酒する人のことをバー・ホッパーというのだが、この人もこれで、つまりは"せっかち"な人なのである。

しかも、なにかにつけて行動が異様に早いという特徴を持つ人で、たとえば居酒屋に一緒に行くと、店員が持ってきた注文した小皿料理を、来たそばからパクッと食べてしまうのである。

その早さは、その場で店員に持ってきた料理の皿を返してもいいのではないかと思えるほどに早い。

律儀にも、注文前に当人のほうからこのことを話すくらいで、「いや、自分、食べるの早いんで、個別で注文してもいいですか? 皆さんは皆さんで、大皿でも頼んでください」という念の入れようである。

なぜにそんなに早く食べたいのか、意味がわからないが、そのこと当人に問いただしてみると、食事にかぎらずなんでも、ぱっぱっと済ませたくなって、ムズムズするんだそうである。

別の常連に聞いた話だと、この人と喫茶店に行ったときに、出てきたコーヒーをあっという間に飲んでしまい、小1時間ほどその喫茶店でだべっていたそうだが、そのあいだに4杯もおかわりしたそうである。

おかわりし過ぎだろ、と眺めながら、話しているあいだも終始、どこかソワソワしていて落ち着きがないようで、「ありゃ、もう、ある種の病気だな」との感想をもらしていた。

 

まあ、そんなせっかちな人なので、返ってきた話も人柄を感じさせるものだった。

と、その話をする前にあらかじめ、ここから少々、下世話な話になることをお断りしておく。

話を戻すと、目下の話題は「だいぶ以前に自分のなかで確定事項になったことが尾をひいて、状況が変わった今になっても、わかっちゃいるが、その姿勢や態度というものをなかなかにくずせない」というものである。

そのせっかちな人の内にできあがった確定事項というのが、「ネット上にある怪しいサイトに30秒以上とどまると、デバイスがウィルスに冒される」というものだそうである。

かなり昔、学生の頃、友人から聞かされたそうで、それを異様に警戒するあまり、30秒以内にネットのページをザッピングすることが常態化してしまい、現在に至るという。

前々から、カウンターに座ってスマホを覗いているその人を見ていて思っていたのが、画面の切り替えが異様に早いのだ。それで、はたしてページを読めているのかと疑問に思えるほどに早い。

もっとも、ケイタイでネットの画面1ページあたりを見ている滞留時間とでもいえるものは、どんな人でも、まあ、数十秒くらいなのだそうだから、この人だけの特徴とはいいがたいのかもしれない。

が、この人の場合は、それがある特定のジャンルの動画を視聴するときにも適応される、というのがミソなのである。

特定のジャンルとは、まあ、察していただきたい。

スマホを観るのなら、両手がふさがるジャンル、と言っておこう。

左手にスマホ、右手に急所、と言った具合である。

 

さて、少々、難はあるものの、想像すると、おそろしく滑稽なことになっている面ヅラが浮かぶ、というわけである。

30秒以内に、ページ画面を切り替えなくてはならない。

画面と急所との往復で、お祭り騒ぎになっていること、この上ないだろう。

それでも人間、致すことは致せるそうだ。本人談。

本人もネタにしていたが、どれだけ"候う"なのかと、申し訳ないが、笑ってしまったのだが、そのせっかちな人にしてみれば、画面のほうも急所のほうも、その刹那はのっぴきならない問題となるだけに、始末がわるいわけである。

いや、本人も、わかっちゃいるそうだ。

30秒という、どのような根拠があって、その滞留時間でデバイスがオシャカになるのかと。

そんなはずはないと思いつつも、どういうわけだか、いちど信じ込んでしまった手前、しかも生来の性格と相俟って、もはやこの習慣を是正することはできない、と感じてしまっているそうである。

なんというか、面白さと気の毒さが綯い交ぜになって、笑いが溶けていくようだった。

不謹慎な話で申し訳ないが、呑み屋でのこういったなさけない話は恰好の肴であり、馬鹿馬鹿しい話ほど垂涎のマトである。

これも本人談だが、画面と急所の往来で目がまわりそうになり、気づいたらスマホをカクカク振っていたそうである。

サゲがまるで落語の噺にある「夢金」のような趣向ではないか。

 

ときに思うのだが、人間のこういう融通のきかなさというか、やり切れなさというか、おろかさというものには、どこか、そこはかとない哀しみのようなものが感じられて、なんというか、とらえどころのない、泣き笑いの想念がふとあたまを掠めることがある。

ちょっとムネをしめつけられるというか、滑稽なのだが、哀しさが透けてみえるというか、それだけに、なんだかこの世の悲喜交々が愛おしく感じられると言おうか……。

くだらなく、ばかばかしく思えることほど、こういった思いがふと湧いてくるので、人間、よくわからない生き物だなと戸惑いつつも、そこのところの余韻というか、残滓が尾を曳いて、滑稽さに情がわくものと思えてくるのであった。