粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

落とし穴・上

むかし、秘密基地遊びというのが流行った。

 

現在、アラフォー、アラフィフあたりの年代の方々に該当する思い出ぶかい遊び、ということになるのだろうか。

それ以前の年配の方々、あるいは現在の子どもたちも、こういった遊びをやっていた、あるいはしている、のだろうか。

よくわからないが、とにかく当時、友だちどうしで誘いあって、公園の隅っこや雑木林のなか、野外のだれも訪れなさそうな場所に、自分たちだけの、小さな隠れ家をつくって遊んだものである。

 

大人になった現在でも思うが、この「隠れ家」というものには、人を惹きつける魅惑的な引力があるように思う。

この秘密基地遊びの元となったものは、自分の記憶では、当時のロボット・アニメだったように思うが、どうであろう。

自分らの世代では、たしか、ファースト・ガンダムに登場する、ジャングルのなかに隠れ潜む秘密基地ジャブロ、がイメージの元だったように記憶している。

これに憧れて、か、それか、アフリカで樹上生活をしている人々のツリーハウスや、アジア太平洋地域の海沿いで生活している人びとの高床式の家屋、南米の密林のなかで暮らす人びとの地形を生かした住居などなど、そういった世界中に点在する一風変わった「住み処」というものにも惹かれるものがあって、この遊びをするうえでの念頭にものぼっていたように思う。

たとえば、建築家・藤森照信さんがつくりあげる世界観などをイメージしてもらうと話が早い。

自分たちだけの、ああいう自然を生かした隠れ家が欲しくて、それで秘密基地づくりに熱中したわけだ。

もちろん、小学生のすることだから、そこまで凝ったものなどできようはずもない。

だがしかし、そんな家や建物を夢見ていたのはたしかで、つまりは、この秘密基地遊びというものは、人類の「住居」というものに思い致すほどの深みのある、それでいて、ある意味で本能と自由な発想に根差した色彩豊かな遊び、ということだったのかもしれない。

 

この秘密基地、最初の頃は、それこそスカスカの、子どもが数人、円座して収まるような単純なスペースといった風合いで、要するに、かくれんぼのための、隠れる場所に毛の生えた程度の出来のものだった。

そこに、自分たちの好きなもの、漫画だの、菓子だのを持ち込んで、そのスペースでワイワイやるというのが、この遊びの本懐であった。

ところが、なかには凝り始めるガキどもも現れて、どこから持ち出したのかわからない、ゴミだか、ダンボールだか、ブルーシートだか、建築資材的なものだか、あやしげな材料まで持ち込んで、巧みに組み上げ、作り上げる、というところまでだんだんと進化するようになる。

最終的には、簡易的な掘立て小屋程度までは完成させるに至ったのではないだろうか。

小学生とはいえ、まこと、たくましい想像力と工作力を発揮したものである。

 

さて、本題はここからである。

今回は、この秘密基地遊びの「三歩、先を行った話」をしてみたい。

この話はある意味で、人類の歴史を辿らんばかりの、あるいはどこかでその悠久の歴史と重なるほどの、教訓めいたニュアンスも含む話でもある。

あえて大風呂敷を広げさせてもらったが、二歩目、三歩目の話などは、読まれる方々の見識と解釈にゆだねてみたい内容となっている。

ただし、このスチャラカ・ブログが書くことだから、大目にみてほしいところは、ままある。

退屈かもしれないし、話半分に読んでほしいと思うところもあるが、それにしても書き手としては、あれはいったい、なにを意味する現象だったのだろうかと訝しげに思う出来事が並ぶ。

あらかじめ断り書きをしておくと、これから書くことは、自分が小学生の時分、自分が生まれ育って遊んだ地域で、実際に起こった事象である。

 

それではまず、一歩目から。

秘密基地遊びが流行り始めると、地域の至るところに、秘密基地が林立、乱立するということが起こる。

当然、自分たちのグループ以外の子どもらも、あちこちに、せっせと、自分たちの城を築くわけで、そこでこのフェーズでは、場所の奪りあいならぬ、他のグループがつくった秘密基地を潰しあうという現象が起こることになる。

まさに旋風が巻きあがるがごとく、さながら群雄割拠、国盗りの様相を呈するというわけだ。

見つけ次第、片っ端から、他のグループが築きあげた秘密基地を潰していく。

ひどいものである。

子どもというものは、ときとして、こういった酷なことを平然とやってのける。

だがここには、ちょっとした説得力のある、あるロジックも介在していた。

つまりは、これは、秘密基地なわけだから、いかに他のグループから見つからない場所に築城するかが、この遊びのおもしろさであって、他のグループの目を出し抜いて、いかに秘密裡に自分たちのベースを構築していくのか、が遊びの醍醐味になるというわけだ。

当時はこれに、ゾクゾクしたものである。

たんに秘密基地をつくって、はい、終わり、ではなくなったわけで、秘匿することのえもいわれぬケラクにのみこまれるところまで歩を進めることになったというわけだ。

 

と同時に、逆も然り、ある日、自分たちの秘密基地に集合したら、無惨にも破壊されていた、なんてことも、もちろん、しょっちゅうあった。

そうなるたびに、今度は、血相かえて、他のグループの秘密基地を草の根分けてシラミ潰しに行く、なんてこともやっていたわけで、小学生ながら、むかしのヤクザのシマ争いのようでこわい。

ただし、そこには、わりと統制のとれた、ちょっとした暗黙ルールもあった。

潰すときは秘密裡に処理する、というルールだ。

おもて立って、ケンカや抗争のようなことはしない。

なぜなら、秘密基地だからだ。

秘密のものだから、当人たちのいないところで秘密裡に片をつけるというのが、どういうわけだか、不文律としてあった。

いま思い返すと、ここいらへんは面白く感じるところだが、仮に他のグループの子たちが当人たちの秘密基地でわいわいと遊んでいるところを目撃しても、そのときは手を出さなかった。

目をつけておいて、その子たちがいなくなったら、後から行って、やはり解体するのだが、こういうところは、子どもながら、惻隠の矜持とでもいうべき分別があったのだろう。

特定のグループの秘密基地を狙い撃ちにするということもなかったし、そこいらへんは、カラッとした子どもの王国の単純明快さがあった。

 

そして、二歩目。

(つづく)