粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

愛嬌

いつだったか、呑み屋で後輩から聞いた話である。

その後輩が高校生の頃、いまからもう30年近く前のことになろうか、当時、アメリカのほうで、どうやらヒップホップという音楽が活況を呈しているらしい、ラッパーやDJと呼ばれる人たちがいるようで、その存在が日本でも徐々に認知されつつある、といった時分に、どういういきさつでそれを知ったのかは忘れたが、周りの友だちのあいだでも話題にのぼっているし、なんだかよくわからないが、目新しく、イケてる感じがしてカッコいい、だから自分もその流行に乗ろうと、近所のレコード屋に足繁く通い始めたそうだ。

 

が、田舎の高校生である。

自分もDJというものをやってみたいが、実際のところ、それがどのようなことをやるのかもわからない。

情報もないなかで、DJとは、とりあえず、ラジオで喋っている人たちと似たようなことをやっているのだろうということで、自分の好きな曲を集めて、それを順にかけながら、合い間合い間に、ノリノリの寸言をさしはさんだミックステープを作ったという。

思い出しただけでも恥ずかしい、自分の黒歴史ですよ、とか言っていたが、この話には尾ヒレがついていて、そちらのほうが、なかなかどうして面白かった。

 

作り出したら興が乗り始めたらしく、ハイテンションで、「イェ〜イ」とか、「ヒュ〜」とか言いながら、わけのわからないマシンガントークを囃し立てて、何本かテープを作ったそうだ。

時間をおいて聞き返してみると、顔から猛火が出るほど恥ずかしい内容で、結局、お蔵入りにすることに。

夜分に悶々としながらしたためたラブレターを朝、冷静になって読み返してみると恥ずかしさのあまり血の気が引く、といった類の、よくある話だ。

それで、しばらくほおっておいて、その存在を忘れていたという。

ところが、くだんのテープが、その後輩の友だちに流出してしまう。

おそらく、友人同士でテープの貸し借りをしている際に、間違って渡してしまったのだろうと言っていた。

そしてある日、その後輩が学校へ行くと、友だちグループ界隈、学校のクラス界隈で話題沸騰になっていたという。

その、あまりにも面白すぎる一人語りに、調子に乗った後輩の友だちがクラスでそのテープを流して、爆笑が渦巻いたそうだ。

涙を流しながら笑っているヒデー奴もいましたよ、と後輩談。

たんなる笑い話で済まずに、なかなかどうして、と思ったのは、次のくだりだ。

 

学校のクラスというもののなかには、いろんな子たちがいるわけだが、目立つグループの男子、女子、そうでない子ら、学校の体制に従う真面目な優等生もいれば、学校嫌いな不真面目な子もいるだろう、比較的おとなしいオタクのような子らもいれば、なかには人と交わることを極度に嫌う子だっている。

その後輩のクラスにも、ひとり、周囲と隔絶した、およそ無表情な、どちらかといえば根暗な、人のなかに混じっても一言もしゃべらない、そんな子がいたそうである。

コミュ障というよりも、そもそもハナから人の輪のなかで己の存在を消そうとしているような子で、その子の能面のような顔からは、およそ人の感情などというものを引き出すことはできないと思われているような子である。

 

が。

そのテープを耳にしたその子が、そのときはじめて笑ったそうである。

 

クラスの周りの子たちも、その子の笑った顔をそのとき初めて見て、皆んなして驚いたそうである。

後にも先にも、その子が学校のなかで笑ったのを見たのは、その一回こっきりだったそうだ。

まあ、仲のいい友だちでもなかったし、存在感が薄かったんで、話したことすら記憶にない子だったんですけどね、と言っていた。

 

聞いていて、黒歴史どころか、味わい深い、いい話だな、と思った。

その後輩も元より誰に触れまわることもなく勝手に恥ずかしいことをしただけで、本来、能面の子の笑顔と接点もつけようはずもない、とるに足らない別個の些事である。

それが、どういうわけだか、人生の機微で、たまたまめぐり合わせがついたわけだ。

能面の子の笑いに辿り着いた、こういう不思議は、人の世の滋味深い綾を感じさせる。

酒を酌み交わしながら、愛嬌はときに人を救うのではないか、なんて話をしていると、そんなもんスかね、とグラスを傾けていた。

考えなしのその後輩の、いつもの受け応えである。

 

それにしても、身から出た錆で、だれかをクスッとさせるなど、これほど粋なことはないではないか。

そう言って褒めてやると、その後輩もニカッと笑っていた。

 

いい笑顔だな、と思った。