毎年想う。
ついにこの季節がやってきたと。
蚊、である。
ウチは5階建てマンションの5階なのに、なぜか蚊がいる。
蚊がやってくる。
蚊が飛来する。
蚊が漂っている。
それくらい、蚊とのたたかいに追われる。
いろいろな対策をとるも、それでも、夜、寝ていると、耳もとのあたりをプーンと飛んでくる。
このプーンを聞くと、本能が反応する。
身体が反応してしまう。
それでもむかしは、数回の応酬で確実にパチンとしとめていた。
だが、歳なのだろう、反応速度の減衰で、スカることがやたらと多くなった。
それが、いっそうイライラさせられて、目が冴えわたって、夜中なのに寝るのもそこそこになってしまう。
これは、ほんとうにいかん。
そして、かんべんしてほしいと毎度、げんなりする。
心情的には、虫とはいえ、殺生沙汰は好まない。
むかし、ブラッド・ピット主演の映画『セブンイヤーズ・イン・チベット』というのを鑑賞したことがあるのだが、この映画のなかでチベットの仏教僧たちが、自分たちの寺院を建立する際に、基礎を据えつけるため土地を掘り起こすのだが、その土のなかからミミズがたくさん出てきて、しかし、殺生沙汰を避ける戒律のために、そのミミズたちをていねいに別の場所へと手でのける、というシーンが出てくる。
そんなことしていたら、建設が進まないだろうことをわかっていながら、自分たちの流儀を曲げない姿に、ブラピとともに、いたく感心したのを覚えている。
これを観て、一寸の虫にも五分の魂、小さな虫に手をかけるのは、今後の人生でやめておこうと、自分の心のうちでひそかに誓ったクチである。
そうであるのに、蚊については、本能でパチンとやってしまう。
これにも毎回、忸怩たる想いがつのるのだが、つぶされた蚊のむくろのまわりに、自分の吸われた血をみて、奇妙な達成感を感じる、二律背反する想いを抱く。
そんな思いを抱えつつ、最近、Yahoo!ニュースで朗報ともいえるべき記事を読んだ。
「蚊が”飛べなくなる”新技術/商品化も検討/花王」というものだ。
「画期的な蚊よけ」と謳っている。
開発元の花王によると、蚊の体表全体には小さな凹凸があるため、水を吹きかけただけでは、はじかれて落とすことはできないようなのだが、この水に、洗剤の成分である「界面活性剤」をいれて吹きかけると、蚊が水になじんで濡れることになり、重たくなって、飛んでいる蚊が落ちるという。
「殺虫剤なしの蚊よけ」ということで、花王が商品化も検討しているようだ。
自分の二律背反する想いをわかってもらえたようで、こういうのを待っていた、と喝采を送りたくなった。
どのような商品になるのか、期待もひとしおだが、ほんとうに良いものなら、カスタマーセンターにお礼の電話を一本、入れたいところである。
それにしても、人間が自然とウィンウィンの関係を築くことは、とてもむずかしいことなのだと痛み入るばかりである。