粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

粒が立つ

夫婦共働きなので、晩飯を一人で食することがある。

 

ありがたいことに、可能なかぎり自炊することをモットーとしているカミさんのおかげで、たいがいは晩飯の作り置きをしていてくれて、夜、冷蔵庫からそれをゴソゴソと引っぱり出してきて、いただいている。

白飯も、カミさんが朝、出かける前に炊いてくれていて、小分けにされたタッパーを冷凍庫から出して、チンしていただいているのだが、ときどき、冷凍加減なのか、米がまとった水分量の加減なのか、味がイマイチというときがある。

が、これはこれで、いたしかたない。

炊かれた米の宿命を、いただく身としては甘んじて受け入れなければならない。

 

ところで。

 

ときに、米を切らして、冷凍庫にタッパーごはんがないというタイミングがある。

そんなときは。

 

「お米を買い忘れてしまったので、今晩はパックのごはんを食べて」

 

という書き置きがしてある。

 

なるほど。パックごはんね……

 

そう、ぼんやりと思いながら、缶詰やら乾物やらが詰め込んである常備用保存食棚とでもいうべき吊り戸から、パックごはんを取り出してくる。

こういう機会は少ないとはいえ、以前から積み重なって、今日、ふと思った。

 

「意外と、イケるのね……」

 

正直、だいぶむかしに食ったとき、チンしたときにまわりのプラスチック容器がへにょってなのか、ケミカル臭がして「マズっ」と思った経験があったのと、どこかの防災訓練に参加したときに常温で食したところ、ボソボソだったという思い出があって、かなりの偏見をもっていた。

が、いつからか、そういう偏見を思い起こすこともなく、ふつうに食っている自分がいたわけだ。

食に対するこだわりはもとよりないとはいえ、腹におさまれば、ま、いいんじゃね、という年齢も過ぎ、最近は、どうせ食うんなら少量でいいから美味いもんが食いたいという欲求がめばえる難儀なお年頃になって、そこをなにくわぬ顔で自然と突破してきていたパックごはんに、ちょっと驚いてしまった。

 

ふつうに美味しい。

 

そこまで来るための陰の企業努力に、想いを致してしまった次第である。

 

昨今のコンビニ弁当や冷凍食品の進化は衆目に謳われているが、パックごはんについては知らなかった。

シクった冷凍タッパーごはんなどお話にならない、それをはるかに凌駕するクオリティなのではないかと瞠目する。

 

箸ですくってみると、粒が立っているように見えた。

 

なんだか、こうべが垂れる思いがした。