粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

大目玉

平日の休み、昼下がりの午後、家で無聊をかこっていたら、遠くのほうから、子どもたちがキャッキャとさわぐ音が聞こえきた。

 

下校途中なのだろう。

遠くのほうから聞こえてくる子どもたちの笑い声というのも、わるくない風情である。

そんなことをぼんやり思っていると、なかから縦笛の音も聞こえてきた。

昔だったら、よくチャルメラを吹いていたものだが、いまはどうなのだろう。

謎の旋律が聞こえてきたが、なかなかにテクニカルで、おもしろい。

こどもの独創性というやつに思いを致しながら、自分の小学校の頃を思い出した。

 

コンビニの雑誌コーナーなどをのぞくと、「昭和◯◯年男」なるタイトルやコピーをよく見かけるが、自分もそこにモロに該当するわけで、この当時はとにかく、第二次ベビーブームの世代ということもあって、子どもの数が多いがゆえの逸脱っぷり、あるいは、どこか脱線気味の風潮とでもいえるものがあったように感じる。

少子化が進む現在からみれば想像つかないかもしれないが、自分が通った小学校でも一学年に10クラス以上はあったわけで、そうなると当然、そこにいるガキどもも海千山千の顔ぶれがそろう。

なにせ、数が多いので、まったくもって、まとまりのないガキばかりだったように思う。

 

リコーダーの音色で思い出したのは、その当時の子どもの独創性が折り為した、見当違いの無軌道さである。

おかしかったので、ちょっと筆をすべらしてみたいのだが、当時、小学校の運動会で、鼓笛隊というものがあった。

現在でも、やっているのだろうか、それとも自分の地域の小学校だけだったのだろうか。

とにかく、その当時の、小学校の、運動会の、鼓笛隊で起こった珍事で、先生たちもどれほど頭を悩ませたことだろうと気の毒になる放蕩話をしてみたい。

 

鼓笛隊というのはマーチングバンドのようなもので、徒競走や玉入れ、組体操などの運動会の定番をやった後に、保護者の前で合奏を披露しながら校庭をねり歩くというイベントである。

親たちも毎年これを楽しみにしていたようだし、先生たちもそれゆえに熱心に指導していた。

しつこいようだが、なにせ数が多いものだから、隊列をそろえようとするのも大変だったと思う。

 

その鼓笛隊なのだが、指揮棒をふるリーダー(ドラムメジャー)、大太鼓、小太鼓、シンバル、トランペット、鉄琴、ピアニカなどの花形楽器群、バトンと旗を振りまわす女子の皆さん、そして、その他大勢のリコーダーという構成だった。

花形楽器群のほうは、たしか、オーディションのようなことをやっていたと思う。

こちらはエリートである。

それだけに、先生の言うことをよく聞く、聞き分けの良い子らが並んでいた。

問題なのは、その他大勢のほうである。

聞き分けどころか、そもそも根本的なところをわかっていない悪ガキどもである。

油断して目を離すと、遊び呆けるにことに熱心な、そんな小憎たらしいガキどもの集まりと思ってほしい。

運動会なのに運動をするのではなく、なぜ自分たちは縦笛を吹きながら校庭をぐるぐると回らなくてはならないのかとすら思っている、まったくもって可愛げのない、こまっしゃくれた連中ばかりである。

この連中が、大胆不敵な粗相をしでかす。

 

最初のきっかけは、ちょっとしたことだった。

リコーダーにいた女子のグループが、自分の縦笛にファンシーな小さなシールを貼り始めた。

自分のものと他人のものとを分ける目印の用途から始まったと思うのだが、それが次第に派手になり、自分の縦笛のオリジナリティを出すまでに飾り立てるようになっていった。

だが、これはまだ、序ノ口である。

そこから、これをうらやましげに横目で見ていた男子どもが、次第に暴挙に出始めるのである。

 

なにをしたかというと、図工の時間に彫刻刀を使う授業があって、あろうことか、その彫刻刀でリコーダーを削り始めたのである。

ボディのところにトライバル・タトゥーのような紋様を入れたり、吹き込み口の部分に削りを入れて、もっと吹きやすくするんだと、わけのわからないことを言い始めるヤツも出てきた。

あるいは指穴を拡張しようとしたりと、リコーダーの機能面に損傷をきたすような芸当も披露し始めて、とにかく、お構いなしの、なんでもござれの様相を呈しはじめる。

周囲への伝播も早かった。

競うように、楽器に切れ込みを入れる。

楽器が泣いている。

挙げ句の果てには、家にあったハンダコテを持ち出して、彫師の如く、龍や虎の紋様を入れんばかりの勢いで、盛大にリコーダーを変形させているヤツも現れた。

できあがったものは、もはや、リコーダーというよりは、ゴボウやレンコンに近い。

あわれな楽器のほうも、涙も枯れ果てただろう。

 

そして、ある日の事前練習で、この不始末が露見する。

当たり前だ。

隊列の後半部からスカスカの音が鳴り響き、ゴボウやレンコンをぶら下げた連中が何食わぬ顔して行進しているのである。

 

怒髪天をつくということばがあるが、このとき初めて見た。

先生方の鬼の形相と、そして、これほどまでの大規模叱責というものを初めて拝ませてもらった。

人はあまりにも怒ると、半笑いになるらしい。

一瞬、許されたのかと思いきや、同時にすさまじい轟音の怒声が鳴り響いた。

その後は怒声の合奏である。

 

たぶん、先生方も、最初のうちは、この事態をどのように叱ればよいのか、わからなかったのだろう。

おまえらは、その、なんだ、とか、おまえらというやつは、どうしてこう、なんだ、という前置きがやたらと長かったことを思い出す。

たしかに、このケースをどう叱ればよいのか、大人になって振り返ってみて、判別がにぶる珍妙な事例だろう。

モノの大切さ、楽器の大切さを叱ればよいのか。

行為の愚かさを叱ればよいのか。

全員でひとつの音に合わせようというときに、なにを血迷ったことをしでかしたのかと叱ればよいのか。

発表前の大事な時期に、とんでもないことをしてくれたと叱ればよいのか。

これらはすべて該当するが、これらを一斉に叱るとなると、たしかに、「うっ」となるだろう。

叱責のポイントを絞れないだけに、先生方も、うわあぁぁ、となっていた。

ガキどものほうは、それをおもしろがって見ていた始末である。

 

結局、変形の著しいリコーダーの持ち主は、卒業生だか下級生だかに借受して本番を乗り切る、ということで事なきを得る顛末だったように思い出されるが、それにしても、この珍事で発揮された子どもの無軌道さに、大人たちはただただ唖然とするしかなかっただろう。

叱りようも、ここまで窮することになると、逆に可笑しさが湧いてくるというものである。

身を削ったリコーダーたちには可哀想なことをしたが、音を出すものに、まったく別の取り扱いを施すなど、先生方も予想だにしなかっただろう。

大人が用意していた枠や型を、意想外の方向からやすやすと飛び越えていくような、そんな、ある意味で天衣無縫の独創性がそこにはあったように思われる。

 

それにしても、彫師の匠のような雰囲気を醸し出しつつ、「ここに切れ込みを入れると、カッコいいべ」とのたまっていた、子どもなのに、渋いオヤジのような顔をした友だちのニヒルな眼光を思い出して、なんだか痛快な気分が甦ってくるようだった。