ワイヤレス・イヤホンとの相性が悪い。
なくすし、こわす。
使い終わるたびにポケットにそのままつっこむので、どこにいったのかわからなくなり、落としているのか、まぁ、失くす。
使い終わるたびにポケットにそのままつっこむので、そのまま洗濯してしまって、破壊する。
使い終わるたびに、充電もあるのだから、きちんとケースに収納すればいいものを、それをしないのが悪い。
中国製の廉価版をなんどか買い替えるはめになっていて、金銭的なダメージもバカにならない。
使うシチュエーションを思い返せば、使うときはどうやら無意識にスマホ本体をジャケットの胸ポケットなどに収めているので、それならば有線でもかわらないだろうということで、そちらに乗り換えることにした。
で、どれを購入するか、ECサイトで有線イヤホンを調べていて、意想外に、ちょっとおもしろいなと感じることがあった。というか、思い出すことがあった。
商品検索をすると、線の長さが「3メートル」「5メートル」のものが売られている。
まだ売られていたのかという感想と、そもそも、なぜに、そんなに長いのか、と思ってしまう。
想像すると、この長さというものがなんとなく笑えるような気がするのである。
外出先で使用するのなら、服のポケットやカバンなどにスマホやミュージックプレイヤー本体を入れて使用するのだから、長くてもせいぜい1メートルといったところだろうか。
だとしたら、なぜに3メートルも? なぜに5メートルも? と思わないだろうか。
個人的には身長を超えるような長さはいらないと思うのだが、もちろん人それぞれ使い用は千差万別なので、ここでは計り知れない。
でも、無駄に長く感じられて、なぜか笑ってしまう。
もちろん、ニーズがあるからその長さが売られているわけで、その場合、たいていは室内使用だろう。
テレビの端子から引っぱってくる使い方だと思うのだが、ワイヤレスの時代になっても、そういう使い方をする人が依然としているのはわかる。
たとえば高齢者の方々で、耳が遠くなって、ワイヤレスの存在を知らないがために、旧来のように、この3メートルイヤホン、5メートルイヤホンを使って、テレビを視聴するなどしているのだろう。
ことわっておくが、こちらの使い方を笑っているわけではない。
これはきわめて正しい使用法であり、おかしみのかけらもない。
そうではなくて、この3メートルイヤホン、5メートルイヤホンを出かける際に使っているとしたら、想像するに、しつこいようだが、ちょっとおもしろくないだろうか。
ムダに長い。
ひきずる。
なにかと絡まる。
イヤホンの線が、なにかと邪魔をする。
このありさまを自分なぞは、けっこうおもしろく想像したりするのだが、それについては、じつはいくつか思い出すことがあるからだ。
高校生の頃、柔道部の部活の後輩で田中くん(仮名)という子がいた。
その子がある日、顔面に大きなすり傷をつけて部活を見学するということがあって、「どうしたん?」と尋ねると、通学途中に自転車で盛大にすっ転んだという。
そういうときこそ、柔道部なんだから、受け身をとれよと周囲から、それこそ盛大にツッコミを入れられると、できるような状況ではなかったという。
どういうことか、よくよく聞いてみると、自転車の前かごに入れたカバンから携帯音楽プレイヤーの線を引いていて、それがこの3メートルイヤホンだったそうである。
それが、転倒した際に、盛大に体にからみついて、受け身をとれるどころではなかった、ということだった。
部員みんなで笑い転げることになったわけだが、それ以来、あだ名が「3メートル田中」となった。
3メートル田中。
まじまじながめると、なんとはなしにおかしみをそそり、いろいろと想像を掻き立てる、おもしろいあだ名ではないだろうか。
まるで巨人族、というあだ名なのに、本人はいたってふつうの、ヒョロっとした線の細い子だったと記憶している。
もちろん、そんなにタッパもない。
あるはずもない。
あったら、こわい。
身長のことでなかったのなら、なぜに、そんなあだ名なのか。
3メートルという「長さ」が、謎が謎を呼ぶあだ名で、本人の知らないところで想像が勝手にひとり歩きする、おもしろすぎるあだ名だと思うのだが、どうだろう。
迷惑このうえないあだ名でもあるが、そこはどうして、身から出た錆である。
申し訳なく思わないでもないが、こちらにとっては楽しい思い出だ。
こんなことも思い出す。
下世話な話だが、学生の頃、友人が壁の薄いアパートに住んでいて、エロビデオを観たいのだが、音漏れを気にして、この5メートルイヤホンを購入したそうである。
ことを済ませた後、そのまま寝てしまい、なんども寝返りをうったのだろう、目が覚めるとこのコードが体中に巻きついていて、身動きが取れなくなったそうである。
ウソかマコトか、ほんとうのところはわからないし、どうでもいいが、その状態から「コードを引きちぎって脱出した」と言っていたのがよかった。
しかも下半身モロ出しの格好だったそうである。
映画のなかでよくある、なんらかの組織に拉致されて、身柄拘束されたとこから懸命に脱出、ではなく、自分で勝手に簀巻きになったうえに、しかも下半身モロ出しで脱出しようともがいている、なさけない様子を想像すると、5メートルイヤホンの「長さ」がはたした役割のおもしろさをわかっていただけるだろうか。
ところで。
帯に短し襷に長しということわざや、大は小を兼ねるということわざもあるが、先に挙げた例のような「長すぎる」ことの役に立たなさっぷりや、まったくもって大は小を兼ねないさまをあらわすことばはあるのだろうか。
さしあたり、長は短を兼ねない、といったところなのだろうか。
この「長さ」の面白さをどうにか伝えたいのだが、おのれの不明と筆のにぶさを呪いつつ、ふて寝をするしかない無念さがどうにもかたはらいたい。