粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

慰撫

チプカシが好きである。

ご存じない方のためにちょっと解説すると、「チープ・カシオ」の略で、つまりはカシオ製の安い腕時計のことである。

わりと前の話になるが、とある人が(イギリスの方だったと思う)、SNSでこのチプカシのことを投稿して話題になった。

なんでも、その方が庭仕事をしているときに、このチプカシをなくしたそうなのだが、数年後、同じ庭先で同じく庭いじりをしていた際に、このなくした腕時計を土のなかから発見し、驚いたことに、それがまだ動いていて、しっかりと時を刻んでいたそうである。

それに感銘を受けてSNSに投稿したところ、話題となり、界隈でちょっとしたブームとなったという経緯だ。

そういうこともあって、こちらも数年前に購入したのだが、それ以来、なかなかに使い勝手が良いので愛用している。

安いのも自分の身の丈に合っている気がしたし、そのわりに気の利くヤツといった趣きで、アナログ、デジタルともにデザインのラインナップもわりとあり、レトロな感じなのもなかなかにイケているので、気に入って使わせてもらっている。

電池切れとともに、電池交換はせずに新しいものを購入するということを繰り返していて、現在使用しているので4本目となる。

最初に購入したのは、たしか、コロナ前、海外旅行をする際に購入したものだったと思い出す。

電池切れで止まってしまったものも、捨てるのに忍びなく、場所も取らないので、自分には珍しいことなのだが、大切にしまってある。

なんというか、その時計が電池切れするまでのあいだの、その日々の生活が詰まっているようで、ちょっとした感慨を抱かせるからだ。

動かなくなった腕時計の数だけの日常がそこにあったわけで、そこになんともいえず、愛着がわく。

また安いから買い替えがきくのであり、時計の数を増やしていくことで、時を重ねていく実感がもてるような気もしている。

過ぎ去っていった時に未練がなくもないが、それ以上に、過ぎ去っていった時のぶんだけ、現在の人生に愛着がわくというのは、たしかなことのようだ。

些細なことだが、こういう安い買い物にも、人生は慰撫されるのだなと思う次第である。