粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

バッティングセンター[後編]

(つづき)

結局、対抗策といっても、所詮は酔っぱらいの浅知恵である。

出した結論は、三杯呑む前に打つ(博打ではない)であった。

バッティングセンターに立ち寄ってから店に来る、というだけの、ほんとうに始末に追えない悪あがきである。

だって、酔っぱらいだもの。

このごに及んでまだ、シラフならいける、と思っているところが救いようがない。

 

兎に角。

 

バッティングセンターの魂胆が露見してからというもの、まずは、酒の肴が本域の野球話に塗りかえられる。

そして、あのホームランゾーンに打球を叩き込むために、野球に青春をかけているわけでもなんでもない連中が、酩酊しながら、キラキラまみれになりながら、手拭い欲しさに、腐ることなくバットを振り続けたわけである。

 

「おい、知ってるか。王さんいるだろう、あの昭和のホームラン王。あの人むかし、一本足打法を生み出すために、寮の畳の上で、真剣振ってたらしいぞ」

「マジで?」

 

「スイングにキレを出す方法、知ってるか。なんでも、あの昭和球界のスーパースター、長嶋さんがやってたらしいんだけどよ、全裸で素振りするのがいいんだってよ。こう、腰を回転させるだろ。このときに自分のジョイ・スティックが、こう、ふともものところにパチンと当たる、その音でスイングのキレがわかるんだとよ」

「へぇ、なんかすげぇな。でもよ、そしたら、女子はどうするんだよ」

「知らね」

 

話題の出元が昭和なのがアレだが、こんな馬鹿話が横行しつつ、さてさて、どんなことにも「凝りだすヤツ」というのが出てくるもので、おのれの打撃スタイルを編みだす、なんてことをやりはじめた。

大袈裟に言っているだけで、たいしたことはない。

要は、プロ野球選手たちのいろいろな構えの「ものマネ」である。

もう、無茶苦茶な格好でバットを振り回しているヤツもいた。

狭い打席のなかを、勢いつけるために、瞬間ダッシュなるものをして、バット振ってるヤツもいた。

酔っぱらう前なのに、すでに酔っぱらってるとしか思えない、まったくもって、しょうがない連中ばかりである。

 

で。

 

ここまでつらつらと、ほんとうにくだらないこと書いてきたが、冒頭でチラリと触れたように、いつになったらお前の肘が曲がるのかというと、ここである。

 

バッティング談義を花咲かせるなかで、自分の打ち方ではどうしてもフライが揚がってしまうと切り出したところ、連れから矯正措置が入った。

 

「右バッターはさ、むしろ左手で打つんだってよ。左手で引っ張るだろ、右手のほうは添えるだけで、こう、被せるように上から捻るんだってさ」

「へぇー」

 

これが正しいのかどうかは知らないが、こんななにげない会話をまにうけて、一所懸命に振っていたら、どこか右肘に違和感がある。

が、酔っぱらっているので、気にすることはない。

ちらほらと手拭いを獲る他の客も出始めていたので、次は自分がかっさらって自慢したい。

それしか頭にない。

 

右肘?

なんのことでしょう?

 

てな具合で、馬鹿のひとつ覚えにピッチングマシンと対峙し続けた。

 

数日後。

 

「おい、おまえの右肘、なんか黄土色になってねえか?」

「あれ? あ、ほんとだ」

「おいおい、腫れてねえか?」

「え? あ、ほんとだ」

「なんか曲がってね?」

「お、おう。曲がってるな」

「大丈夫かよ?」

「まあ、べつに、そこまで痛くもないしな。それよりも手拭いだろう」

「そうだな。手拭いだよな」

 

もう、ほんとうに始末に追えない。

身から出た錆であることはいうまでもない。

 

結局、湿布を貼って、腫れはキレイさっぱり引いたので、医者に見せることもなく今日まで来てしまった。

なにせ酔っぱらってるので、曲がったように見えただけで、ほんとに曲がったわけではない。

が、それでも、いまでもたまに、肘が張ることがある。

もちろん、生活に支障はない。

 

先日、たまたま重い荷物を持ち上げたときに、右肘がちょっとピキっとなった。

それで、このバッティングセンターのドタバタをふと思い出したというわけだ。

 

自分で自分を笑うしかなく、なさけないばかりだが、こういう馬鹿馬鹿しい話は、なんというか、ありありと鮮明に思い出せる。

人生、他にも一生懸命がんばったことはあるはずなのに、そちらはとんと、思い出すのがにぶい。

一銭の得にもならないような、こんな、くだらない出来事のほうが、どうやら価値ある思い出になるようだ。

 

結局、あのバッティングセンター通いの熱狂と勢いはどこへいったのか、なんとはなしに終焉を迎える。

そんなものである。

酔っぱらいのすることだ。

ケロッと忘れて、次の関心に移っている。

店の軒下の傘立てに、ビニール傘に混じって、誰かのバットが刺さっていた。

 

そんな折。

酔っぱらいたちも店も、平常運転に戻った頃に、しばらく顔を見せていなかった客が、バットを抱えて店のなかに入ってきた。

 

「あれっ? 終わっちゃったの?」

 

そのすっとぼけた、かわいげのある顔に、店中から笑い声があがった。