(つづき)
その後。
しばらくのあいだ、常連客のあいだで、行きつけの呑み屋とバッティングセンターを往復するという日々が続いたわけだが、どんなことにも「調子に乗るヤツ」というのはいるもので、入れ込んで、マイバットを購入、なんてのも流行りはじめた。
店のなかでは「木製がいいか、金属製がいいか」などという話題もちらほら聞こえ始める。
さすがに店のなかで素振りをすることはなかったが、店の脇にちょっとした空き地があったので、そこで大のオトナが顔を真っ赤にしながら素振りをしている、なんて風景も見かけるようになった。
まわりの人たちから見たら、これも異様な光景だろう。
会社帰りとおぼしき、スーツを着たビジネスマンが、バットを片手に、店に出入りしているのである。
見るからにイカつい、こわもての職人たちも、同じくバットを脇に抱えている。
それだけではない。
店に通う女子たちも参戦していたので、同じようにバットをかついで店のなかへと消えていく。
呑み屋なのに、皆でバット持参で出入りしている。
いったいなにごとかと思うだろう。
すわ、討ち入りか、と思わないでもないが、そんな狂犬のような面々ではない。
ぐうたらばかりである。
おかしなことに、これだけバット好きなら、いっそのこと、草野球チームでも結成すればいいものを、と思ったりもするが、皆、口々に「やだよ」「やだよ」「やだよ、めんどくさい」と云う。
「だって、手拭いがほしいだけだもん」
これが、あるべき酔っぱらいの姿だと思う。
ところで。
バッティングセンター通いが馴染んでくる頃には、その呑み屋で「三杯ルール」というのが定番になっていた。
なんのことはない、三杯呑んだら出かけていくというだけのものだ。
酔っぱらった〆に、かっ飛ばす。これが既定路線となった。
もちろん、三杯では止まらずに、へべれけで出かける者もいたが、流行りのピーク時には皆、雁首そろえてこのルールを実行していた。
三杯呑んだら、打席に立つ。
それだけ、本気で手拭いを獲りにいっていたわけだ。
そんなホームラン・ダービーに血まなこになるなか、あるとき、一人の客が、皆がうすうす勘づいていながら口にださなかったことをポロリともらす。
「なぁ、あそこにほおり込むの、不可能なんじゃねぇか?」
そう。
ホームランゾーンが、きわめてからい位置に設定されていたのである。
フライではまず無理。ライナー性の打球でも、どうやれば当たるのか、絶妙にズラしを入れてくるような、そんなマトの位置だといえばよいか。
ライナーを飛ばしている途中で強引に上方向に曲げるしかない、そんな位置なのである。
元高校球児の客の解説によれば、それこそ、よっぽどの豪打で、球に空気抵抗をかけてホップするかどうかはわからないが、とにかくホップさせるしかない、そんなプロ並みの技術を要する位置、だそうである。
おいおい、マジか。
店のなかに、だんだんと不穏な空気が漂いはじめる。
そもそも、酔っぱらって打ちに行っている時点で、野球を舐めてるとしかいいようがないのに、ここでいまさら悔しがったところで、たかがしれてるではないか。
不真面目なことをやっているのに、真面目に悔しがるところに、酔っぱらいの可笑しさを感じなくもない。
が、まぁ、すでに、全員あわせれば、けっこうな額の銭をバッティングセンターに落としている。
結局のところ、気づけば、この老獪なバッティングセンターの手練手管に翻弄されていたというわけだ。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
マイバットまで買わされたうえに、手許には手拭いがないときている。
あの手拭いが欲しい。
どうしても欲しい。
野球のやの字も知らない連中が、肩寄集めて、対抗策を練りはじめるのだった。
(つづく)