粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

場末の呑み屋の四方山話・その4 「目的地」

(註:今回は話者が3人となっております。車の運転をしない人にはピンとこないかもしれません)

 

「この前さ、クルマ運転してて、すごいことに気づいてしまった」

「なによ?」

「人生のことはすべてクルマで喩えることができる」

「ふぅん、たとえば?」

「人生はクルマの運転と同じで、基本的に前しか向けないし、前にしか進めない。バックにギア入れてるときでも、クルマの向きは前向きだろ。人生のなかで困難な局面があって、進まない、後退していると感じているときでも、前を向くしかないし、前に進んでいくしかないんだ」

「なんだ、そのドヤ顔は」

「後退していると感じたときはシフトチェンジするしかない。1速に入れ替えて、じんわりとアクセルを吹かすしかないわけだ」

「なんかあったのか?」

「いや、ない。思いついただけ」

「ふぅん。でも、そうかもな。動き出すときが、いちばんパワーを使うからな。一方で、動き出してしまえば、それほどの労力はいらない。シフトチェンジも案外とスムーズにいくし、加速してしまえば、わりとトントン拍子に進むのが人生かもしれない」

「だろ。スピード上げすぎると危険なところも人生だろ」

「たしかに。絶好調だと思っていた人が事故って、転落してしまう場合もあるわな。でもよ、前に進むっていっても、道がまっすぐとはかぎらないし、左右にハンドルを切れるし、蛇行運転とかだってできるだろ」

「もちろん、そうさ。人生はまっすぐ進むとはかぎらない。左右にハンドルを切ることもあるだろう。でも、曲がった先ではまた、前を向いて進むしかないようにできている。ハンドルをどちらに切ろうか迷っているような人間なら、蛇行運転でもするだろうよ」

「うまいことをいう。ブレーキを踏むのは、どういうシチュエーションだ?」

「人生の進むべき道を変えたい、違う道に進みたいと思ったときには減速が必要だ。でないとハンドルを切れない。そのままのスピードで突っ込めば横転するだろう。ブレーキが必要になる。要は、それまでの人生を振り返って内省する時間だな、ブレーキ踏んでるときってのは」

「急ブレーキは?」

「そりゃぁ、急ブレーキを踏むときってのは事故る直前だろ。天変地異とか、他のクルマとか建物とかにぶつかりそうになるとか、そういうシチュエーションだけだろ。だいたい、ふつうに運転してれば、急ブレーキってのは踏まないんだよ」

「まぁ、そうかもな。前しか向けず、前にしか進まないんだったら、前方に注意を向けるしかない。先行きに備えるって喩えることもできるな。スピードを上げているときこそ事故りやすいわけだし、前方の車間距離を十分にとるってもの意外に意味深な気がしてきた。マスターは、どう思う?」

 

「あんがいと、的を得ているかもしれませんね。積んでいるエンジンは人それぞれ違うでしょうから、目的地に向かう進み方も人それぞれでしょうしね。全速力で向かおうとする人たちのなかでも、馬力のあるエンジンを積んでいる人の方が速く着くでしょうし。もっとも、早く辿り着こうとする人もいれば、のんびり寄り道しながら向かう人もいるでしょうしね」

「馬力のあるエンジンか。スペックの差ね。才能の差ってのはあるよな、やっぱり」

「まぁな。でも、目的地にたどり着けさえすれば、べつに関係ないよな、才能なんて」

「そうともいう。だけど、先にたどり着いたヤツが次の目的地に向かって進んでいるのを遠目で見て、ねたましく思ってしまうのが人間というやつだよな。でも、まぁ、結局、自分がいま進んでいる道を前に進むしかない」

 

「……ところでさ、どこに向かって進んでるんだ?」

 

「さぁ?」

 

「さぁ?」

 

「マスター?」

 

「さぁ?」

 

(註:呑みの席で実際にあった話です。少々、脚色を加えましたが。人生をクルマでたとえる例は、この会話の後にもいろいろと挙がって、なかなかに盛り上がりました。ほかにもオートマの話、クラッチの話、坂道発進の話、駐車の話などがあります。追い追いアップするかもしれません)