粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

搦手

先日、定期健診があった。

まいどのことだが、医者から運動しなさいと言われる。

常套句だとわかっちゃいるが、言われると、そうなんだよなぁ、運動しなきゃなぁ、とため息をもらし、次の日に忘れている。

当初は、何度か、試みたことはあった。

ランニングあるいは筋トレやエクササイズ、降格してウォーキングあるいはストレッチ、降格して散歩あるいは体操。

いずれも続かない。

どうやっても続かない。

続かないとわかるから、やる気がおきない、というていたらくである。

数値目標もあまり信用できないタチである。

会社の業目などでも、所詮、上がり下がりは諸行無常。そんなもん好調のときもあれば不調のときもあるだろうよとタカをくくっている。

だから、自分の身体を数値化されてもまるで具体性を感じない。

 

ところが。

以前から兆候はあったのだが、最近、腰痛に悩まされるようになった。

こちらは、具体的に痛い。

ここにきて、ようやく重い腰をあげることになった。

結局、予防なんてものは実感を伴わないから、どだい無理があると思ってしまう。

どれだけ不安を煽られても、なってみないとわからないのが人間というやつなのかもしれない。

ともすれ、腰痛の対策を考えなければならない。

考え始めたのが昨年の暮れの頃からで、いろいろと検討、試行錯誤した結果、自分にとっていちばん効果があると感じたのが水泳であった。

億劫に感じることも含めて、プールに行くまでのいくつかのハードルは存在するが、そこをクリアして、現場まで行ってしまえば、あとは水の中に飛び込んで、ただ漫然と泳ぐだけである。

それだけで、効果を実感できるほど、腰が軽く感じられた。

もちろん、連日や毎週、通うわけでもない。

それをやればより良いのだろうが、挫折すること請けあいなので、ここ最近は、思い立ったときに近所の町営プールに行くということをしていた。

それぐらいゆるいほうが、自分としては、結果的に続くだろうと踏んだわけだ。

気が向いたときに、呑み屋に足を運ぶ感覚とおなじである。

 

ところが。

その近所の町営プールが閉鎖されることになってしまった。

老朽化によって、天井材の一部が剥落する事故が起きたそうだ。

休館日だったので怪我人などは出なかったそうだが、折からの来館者数の減少もあって、これを契機に町議会が閉館に踏み切ったようだ。

思いがけない方向から、意外な搦め手で頓挫してしまった。

そうきたか、と思いつつも、しかしながら、この一件、自分のことはさておいて、ちょっとした感慨を抱いてしまう。

当たり前のことだが、建物だって老いるのだ。

人間だけではない。

思い入れのある場所でもなかったが、なんとなく、先に逝ってしまったかと、ぼんやりと感傷に浸った次第である。