粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

隔世の感

ある年齢を超えたあたりから、「不快を減らす」方向に舵を切ることが大切なのではないかと思うようになった。

 

若いころは、「快を増やす」方向へと自然とむかう。ほおっておいても、むかう。

だがそれも、どこかで潮目がかわるときがやってくる。

快を増やすよりも、不快を減らすほうが、より安寧を得られるのではないかと気づくわけだ。

 

ところが、不快を減らそうとする場合、それを意識してなさねばならないのがやっかいなところである。

無自覚でいると快に流されて、逆に不快を溜め込むことすらある。

たとえば、食い過ぎ、がそうだ。

 

先日、焼肉屋に行った。

 

調子に乗って、年齢もわきまえずに食い過ぎた結果、いままでにありえなかったくらい、それこそ冷や汗と悪寒を感じるほど、気持ち悪くなってしまった。

身体がこわばるなぞ、ついぞ無かったことである。

快をむさぼったツケがこれだ。

 

そして考えた。

この場合、不快を減らす焼肉の食い方とはどのようなものだろうか。

答えはわかっていたのだ。

90分食べ放題コースがいけない。

焼肉屋では、小皿づつ注文して、ちびちびやるのがよい。

 

俺も、そういう歳になったのかと、隔世のごとき心境にしみじみ至った。