粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

【落語】崇徳院

男女の出逢いがマッチングアプリ全盛となった現代にあっては、あるのかどうかも疑わしい、もの珍しい"恋わずらい"を題材にした演目「崇徳院(すとくいん)」。

古風な題材ですが、雅味があり、江戸時代のほのぼのとした、微笑ましいムードを感じさせる小題です。

とても落語らしいといえば落語らしい、ドタバタ喜劇のような展開なので馴染みやすく、落語不案内の方にも、そして百人一首好きの方にも、なぜか古典全般のお勉強になるお題となっております。

 

◾️あらすじ

噺は、さる大家の若旦那が病で床に伏せるところからはじまる。

父親である大旦那の気がかりもひとかたならず、評判の名医にもたのむのだが、若旦那の身体の不調の原因はわからずじまい。

名医の見立てでは、どうやら心の病、若旦那の心中には深く秘めたる思いがあるようで、これを紐解かないことには回復は見込めないという。

心の問題ならばと、おまえさんのその胸中、どうにか受けとめてやろうと大旦那も気を揉むが、じつはこの若旦那、生来の内気かつハニカミ屋な性分で、親に本心を打ち明けることを極度に恥ずかしがり、ただただうつむき、床に伏せって、やつれていくばかりである。

とはいえ、このまま指をくわえて看ているばかりではいられない。

やっとのことで若旦那から言質をとりつけたのが、幼馴染である出入りの職人・熊五郎にならば、その心中を明かすというものだった。

 

さっそく熊五郎を呼びつける大旦那。

ところが、このクマさん、ガサツ、無神経が顔に張り付いたような男で、繊細な若旦那とは正反対の性分である。

床に伏せったわが息子を気遣って大声を出すなと言っているのに、あいさつ口上もやたらと声がでかい。

あらためて親から見ても、なぜにこの二人の仲が良いのだろうかといぶかりつつも、とにもかくにも、ここはどうして、このクマ公にまかせるしかない。

ということで、すっかり萎れて床についたままのダウナー若旦那と、ムダに声がデカいハイテンションなクマとの会話がはじまった。

 

「どうしました、若旦那。病名がわからないっていうじゃありませんか」

「ふう。医者にはわからなくっても、あたしにはわかってるんだよ」

「なんだい、そうなのかい? 医者にはわからないのに、若旦那にはわかるって? どういうこってすか?」

「ほんとうは誰にも言わずに死んじまおうかと思ったんだけど、せめて、おまえさんだけには言っておこうと思って。……けれど、あたしがこんなこと言ったからといって、おまえさん、笑っちゃいけないよ」

「冗談言っちゃいけねぇや。人の病いを聞いといて、笑うなんて奴があるもんですか。さあ、なんなんです? 言ってごらんなさい」

「……ほんとうに笑わないかい? そんなこと言っておいて、笑うんだろう。あたしは笑われでもしたら、それこそ恥ずかしくて死んじまうよ」

「だから、笑いませんって。ええ、笑いませんとも」

「しかし、ねぇ、そうはいっても、あたしがこんなことを言ったら、えへへ、やっぱり笑うんだろうねぇ、えへへ……」

「言ってる本人が笑ってりゃぁ、世話ねぇや。若旦那、あっしは笑いはしませんから、言ってごらんなさいよ、ほら」

「そうかい? ほんとうに笑わないかい? じつは……、じつはねぇ……、あたしの病ひは……、恋わずらい……」

「だっははは!」

「ほら! やっぱり笑ったじゃないか!」

「すんません、すんませんって。もう笑いませんってば! しかし、まあ、また、恋わずらいとは……、いまどきたいそうな病をしょいこんじまって……。いったいぜんたい、どういうことなんです? なにがあったんですか?」

 

若旦那の話では、ひと月ほど前、花見に出かけた際に、たまたま茶屋で出会ったどこかのお嬢さんにひと目惚れしたのだという。

このお嬢さん、水もしたたる美貌だったそうで、見とれる若旦那にニコリとはにかみ、やがて立ち上がって帰ろうとするが、膝からハラリと袱紗が落ちたことに気がつかなかった。

これを拾い上げて手渡す若旦那。頬を染めながら礼をいうお嬢さん。

するとこのお嬢さんは茶屋の店主に料紙を求め、なにごとかしたため始めた。

別れ際、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」としるした短冊を若旦那に手渡して行ったが、これは百人一首にある崇徳院の歌で、下の句が「割れても末に逢はぬとぞ思ふ」となる。つまりは、「今はここで別れても、後にかならず逢いましょう」という心だとして、若旦那、おもいっきり舞い上がってしまったのだ。

そう。とどのつまりは互いに一目惚れ、両想いだったわけである。

 

「その歌をもらって帰ってきたんだがね、それからというもの、なにを見てもお嬢さんの顔にみえるんだ……、掛け軸のだるまさんがお嬢さんに見える、花瓶の花がお嬢さんに見える、鉄瓶がお嬢さんに見える、おまえの顔までがお嬢さんに見える……」

「だあっ! 近いってぇの、近寄りすぎだよ、若旦那! 気味がわるいったりゃありゃしねぇ。それにしても、ひどくおもいつめたもんですな。よござんす。あっしも男だ。ここは、ひとつ、若旦那のために一肌脱いで、なんとか一緒にしてさしあげましょう。で、お相手は、どこの方なんです?」

「それが、その……、わからないんだ……」

 

困ったことに若旦那、あまりの出来事に息を呑んで惚けるばかりで、肝心要をしくじった。所番地でも聞いておけばよいものを、相手がどこのお嬢さんなのかわからないという。

さあ、どうする。

話を持ち帰ったクマが、大旦那に顛末を話す。

 

「よくぞ聞き出してくれたね、クマさん。ありがとう、せがれの命の恩人だ。あれがそれほど思い詰めたお嬢さんなら、なんとしてでも、もらってやらねばなるまい。で、クマさん、たのまれついでに、先方へもかけあってくれるんだろうね」

「は? いや、旦那。そりゃあ、乗りかかった舟ですし、若旦那のためだ、やぶさかじゃぁありませんが、ですが、そのお嬢さんなんですが、どこの方だかわからねぇわけで……」

「わからないといっても、日本人だろ」

「そりゃあ、そうでしょうけれども……」

「それなら、まずは江戸じゅうをさがしてごらんなさいよ。それで見つからなければ、横浜。横浜でわからなければ、静岡、浜松、名古屋、大津に、京都、大阪。しらみつぶしに捜したとあらば、いずれは見つかるでしょうよ。見つけてくれたならば、先月、お前さんに貸した金、あれは棒引きにしようじゃないか、ええ。それから、いまお前さんが住んでいる三軒長屋、あれもつけてやろう」

「へえ、そりゃあ、ありがてぇお話ではありますが、ですが、なにしろ雲をつかむようなことですし……」

「おい、定吉や、そこにわらじが十足ばかりあるだろ。かまわないから、それをクマさんの腰へぶらさげちまいな。たのみましたよ、クマさん」

 

大旦那に押し切られて、泣く泣く長屋に戻るクマ。

長屋では女房にも「この三軒長屋をくださるのかい。あーら、運がむいてきたわね。おまえさん、しっかりと捜してきておくれよ。はやくいっといで!」と不承不承も丸め込まれて、家からもたたき出される。

と、その日から、若旦那のため、クマ公の遮二無二のお嬢さん捜索行が始まったわけだが、なにせ、手がかりがない。

足を棒にして、まるまる二日間を棒に振るも、カミさんから「おまえさん、どんな捜し方をしてるんだい?」と尋ねられて、言葉に窮するクマ。

「いや、それは、その……、このへんに水の垂れる方はいませんかって……」

「なにやってるんだい! ドザエモン捜してるんじゃないんだよ。それじゃ、わかるわけないじゃないか。おまえさん、旦那に歌を書いてもらったんだろ。それがなによりの手がかりじゃないか。それを往来で大声で唱えながら歩いてごらんよ。そうすりゃ、それを聞いた人が、声をかけてくれるはずさ。それでもだめなら、お湯屋とか、床屋とか、人の集まるところへ行って、どなってごらんよ。だれかが、その歌についてはこんな話がありますとか、こんなうわさを聞きましたとか、おしえてくれるはずさ」

 

手弁当片手に、今日も往来をあてどもなく歩きまわる熊五郎。

「瀬をはやみぃ〜、岩にせかるる滝川のぉ〜」

「ちょいと、豆腐屋さん」

「だぁっ、ちがうちがう。人を豆腐屋とまちがえやがって。あぁ〜あ、それにしても、とんだことをひきうけちまったなぁ。この調子じゃぁ、若旦那よりもおれのほうが先に逝っちまうぜ、とほほ……。しょうがねぇ、かかぁの言ってたとおり、河岸でも変えるか」

その後、熊五郎、湯屋や床屋などをあてに渡り歩いて捜し求めるも、いっこうに手ごたえがない。

「いらっしゃい」

「こんちわ。混んでますか?」

「いえ、いまちょうどすいたところで」

「さよなら」

「ちょ、ちょっと、お客さん! すいたんですよ! すぐにやれるんですよ!」

「ちっ、すいてちゃいけねぇんだよ。こちとら都合があるんでぇい。……よし、この床屋はどうかな? こんちわ。混んでますか?」

「ええ、ごらんのとおり。五人ほどお待ちなんで、ちとつかえてますから、後ほどいらっしゃるとありがたいんですが……」

「いえ、そのつかえているところを捜していたんで」

「はい?」

「あー、あー、えへん、ちょいと失礼して、やらせてもらいます。瀬をはやみぃ〜〜〜」

「うわ! びっくりしたな、もう! なんだい急に、大声なんか出して」

「もし、あなた、それは崇徳院さまの御歌では?」

「(!) よ、よくご存知で!」

「ウチの娘が近頃それをよくやってますよ」

「(!) ひょっとして、ひょっとすると、おいくつなんで?」

「八つです」

(ガクッ)

 

湯屋を十八軒、床屋を三十六軒、さんざん髭も剃りたおして、わずかっぱかしも生えていない。

夕刻の頃合いになり、もうフラフラ、それでも今朝一度顔を出した床屋にフラフラと迷い込んでヘタリ込んでいると、フラっと鳶職風の男が店に飛び込んできた。

「おう! 親方、ちょいと急ぐんだけど、やってもらえねぇかい? あ、待ってる人がいるのかい。まいったなぁ」

「あっしのことですか、ええ、あっしならいいんですよ。もう、どこも剃るところがないもんですから……」

「そうなのかい? すいませんねぇ、じゃ、親方、ひとつたのんまさぁ」

「はいよ。しかし、ばかに急ぐんだねぇ」

「ああ、おタナの用事でね」

「おタナといえば、そういえば、どうなったんだい? お嬢さんの具合のほうは?」

「それがなぁ、かわいそうに、どうやら、もうあぶねぇんだと……」

「そうかい、あぶないのかい。 気の毒に……、あの小町娘がなぁ……」

「ああ、旦那もおかみさんもまいってるみたいで、見ちゃいられねぇよ」

「けれど、お嬢さんは、いったいなんの病なんだい?」

「それが、いまどき珍しいことに、恋わずらいなんだとよ……」

 

「瀬をはやみィッ!!!」

 

突然、クマにむしゃぶりつかれて、びっくり仰天のトビ。

「お、おい! いきなり、なにしやがる!」

「三軒長屋……三軒長屋……」

「おいおい、気味の悪い念仏なんか唱えて、なんなんだい、親方ヨォ、このやっこさんは!」

「てめぇに逢おうがために、艱難辛苦如何ばかり……、瀬をはやみィ、岩にせかるる滝川のォ……」

「お、おい! てめぇ、なんでその歌を知ってやがる! なに! てめぇのところのお店の若旦那が? こりゃぁ、いいところで出会ったもんだ! もう少しで、こっちも江戸の外を捜すはめになるところだった。おれもおめぇを離さねぇぞ! さぁ、おれんとこのおタナへ来いってんだ!」

「なにをいってやがんだいっ! おめぇこそ、ウチのおタナまで来い!」

「なにおぅ! てめぇこそ!」

「なにおぅ! おめぇこそ!」

「おいおい、よしな、よしな、よしなさいってば! はなしをすればわかるてぇの! お、おい! あぶねぇ、あぶねぇ!」

互いに引っ張り合うクマと鳶のなにがし。

おたがいに自分の店に連れ帰ろうと引き摺りあったあげく、はずみで、大きな花瓶が倒れて、前にあった鏡をぱりんと割ってしまう。

「そら、やっちまった! いわんこっちゃない。鏡をこわして、商売あがったりだよ。どうしてくれるんだい?」

「いや、親方、心配しなくてもいい」

「なぜだい?」

「割れても末に買わんとぞ思う」でサゲ。

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 袱紗(ふくさ)

方形の絹の布。もともとは「掛袱紗(かけふくさ)」として、慶事・祝事の贈答品を持参する際の道中での日除けや塵除けに用いられたが、江戸時代になるとこの覆い布が発展して、裏を付けた二枚合わせとなり、さまざまな用途で使われるようになったそうだ。

ちなみに茶道でも用いられ、「帛紗」と書き、懐中に携帯して茶碗の下に敷いたり、盆や受け皿の代用として用いられる(小袱紗)。

江戸期の袱紗の有名な刺繍に「紺繻子地鯛模様」(こんしゅすじたいもよう)というものがあり、これは二尾の鯛を結わえる綱の端を扇のように開いて熨斗のように見せるデザインをしており、大きな目の「目出鯛」が向かい合わせで「夫婦仲良くおめでたい」という意味が込められていて、袱紗を出会いのきっかけとするこのネタの伏線を暗示させる。

▼ 崇徳院/「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に逢はぬとぞ思ふ」

百人一首にも収められた有名な歌で、出典は『詩歌和歌集』。「瀬をはやみ」は「川の浅く流れの速いところ」で、「岩にせかるる滝川の」は「岩に堰き止められた滝のように流れの速い川」の意。「割れても末に逢はぬとぞ思ふ」は岩にせきとめられて「川の流れが二つに分かれようとも、ゆくゆくは一つになる」ように、これを別れた男女にかけて、「今は離れ離れになったとしても、ふたたび出逢いましょう」という想いを歌った句である。

崇徳院、崇徳天皇は第七十五代天皇で、保元の乱で有名。後白河天皇と争うも敗れ、讃岐松山へと配流となるが、生涯これを恨み、舌を噛んで流れ出た鮮血で「願わくば大魔王となって天下を悩乱せん」という、すさまじい怨念も記した人物だったそうだ。「瀬をはやみ」は乱以前に詠んだ恋歌だが、そこには一途、激烈な情念が込められていて、落語のほうでは、そこまで互いに好き合って床にまで伏せってしまうという、恋煩いの伏線ともなっている。

▼ 床屋

式亭三馬の滑稽本『浮世床』にもその様子が活き活きと描かれているとおり、床屋は江戸期において銭湯とともに町内のクラブ、サロンとして親しまれていたようである。

落語のほうでの「浮世床」、ほかに「無精床」「崇徳院」などの舞台ともなっており、当時、原則として一町内に一軒と限って許可された床屋(内床という)は資格制で、建屋の階上が町内の会所となっている床屋も多く、床屋の親方(主人)が町奉行所同心の手先もつとめたそうだ。髪結いだけを生業としていなかったわけである。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

「恋わずらい」という、古風この上ない題材をあつかった噺だが、それだけにというか、江戸期のなんとものんびりとした時代の雰囲気が伝わってきて、いかにも落語らしい、ほのぼのとした作品である。

恋する若旦那とお嬢さんのあいだでドタバタする周囲の人たちがいっそのことほほえましく、現代ではありえないような他人様のために徒労を買って出る、おおらかな"世間"の在りように憧憬の念すら覚える、和気藹々とした滑稽噺である。

 

上記、あらすじのほうでは割愛させてもらったが、この噺の演出で、若旦那の余命が幾許もないという設定を強調する噺家もいる。

若旦那の命が五日も持たないということから、熊五郎は大旦那から三日で捜してこいと命じられ、なおいっそうせわしない展開でもって聴衆をいっきに惹きつける演出もあれば、他にも、熊五郎が床屋と湯屋を何軒もまわるハメになることから、ほうぼうでヒゲを剃られて、ツルツル、テカテカになってしまうという面白い演出もあったりする。

各噺家の視点と力量でいかようにも面白くなってしまう噺なので、ぜひにそれぞれご賞味していただきたい演題でもある。

 

この噺は上方落語中興の祖である初代・桂文治の作で、上方落語の代表作というふれこみになるが、江戸前にも「皿屋」「花見扇」などの題で、ほとんど同じストーリーの噺があったそうだ。

また落語の別の演題で「三年目」という人情噺があるのだが、この噺がその発端部分だという説もある(五代目円生などの速記本に当たると、「三年目」の冒頭部が恋わずらいから始まるとされている)。

 

ここでいちおう、サゲの解説を少々しておくと、いわゆる崇徳院の歌の下の句の洒落であり、「鏡が割れても、月末に(末に)、買わん(弁償しよう)とぞ思う」ということなのだが、江戸時代も支払いが一般的に月末(三十日払い(みそかばらい))であったことがうかがえて、なかなかどうして興味深いものがある。

またサゲにもいくつかのバリエーションがあるそうで、取っ組み合いになった際、熊五郎が相手の「手を放しやがれ」という言葉に対し「いいや放さねぇ(われても末に)、合わすんだ(あわんとぞ思ふ)」と、やはり下の句を押さえた返しで落とすものや、また「皿屋」題の場合、舞台が床屋から皿屋になって、鏡ではなく品物の皿を割るというかたちになって〆たりするそうである。

ちなみに、この噺のように、落語のなかで百人一首を題材にした噺は、「千早振る」など、わりと多く見かけることも付記しておく。

余談になるが、そういうことなので、落語きっかけで百人一首の世界に入る人もけっこういるとかいないとか。

いずれにしても古典全般の勉強の入り口として、落語の世界はそのきっかけとなる事柄を多く与えてくれるものと個人的には感じている。

 

話を戻すと、この演目をオハコ(十八番)にしていたのは、東京では三代目桂三木助だったそうだが、個人的に聴いていただきたいイチオシの噺家は、三代目古今亭志ん朝である。

この噺の決定版ともいえる、出色の出来栄えだと思うので、是非に YouTube などでご鑑賞されたい。

 

それにしても昨今、若者の"恋愛離れ"という話題が巷にあがっているのを見るにつけ、人のことを好きになってしまうことに離れるもなにもあったものだろうか、と思ってしまうのだが、こういった感想も古びてみられるのならば、なんとも寂しい風潮になったものだと、この噺を聴いていてふと感じてしまう今日この頃である(「崇徳院」に触れた以下、【随想】記事はこちら)。

 

◾️ YouTube 視聴

▼ 映像あり

・笑福亭松喬[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=ArVb59hKAww

・金原亭馬生[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=HcaiyUNHTzs

・三遊亭小圓遊[四代目]:https://www.youtube.com/watch?v=XKWRweTU478&t=88s

▼ 音声のみ

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=MO-f3S1r1KY

・桂三木助[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=o8L_rUU2n4g

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・興津要 編『古典落語』(講談社学術文庫、2002年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

 

【落語】首提灯

落語のなかの奇想天外、シュールな噺は江戸前のほうに多いといわれますが、この「首提灯(くびぢょうちん)」という噺もそれにあたります。

意味深なタイトルで、一見すると怪談を想起するかもしれませんが、そこは一味違います。奇々怪界であることにはかわりませんが。

しかもこの噺は仕方噺(仕草噺)の代表格。寄席で噺家が演じる雰囲気をまるごと味わってほしい、いわゆる"落語らしい"ストーリーとなっています。

 

◾️あらすじ

噺は増上寺近くの芝山内で辻斬りが出没するとの噂から始まる。

芝山内は品川の廓への道すがらにある寂しい場所で、そこを噂など意にも介さぬふうの酔っ払いがひとり、酔興も良い頃合いで歩いていた。

 

とはいいつつも内心、じつは怯えている。

が、こちとら江戸っ子である。

冗談じゃねぇ、出れるもんなら出てきやがれ、辻斬りめッ!

強がりもたいがいだが、酒の勢いもあり、侍ふぜいに日頃の鬱憤、思わぬところもなきにしもあらずで、あたりにわめき散らしながら怖さを紛らわせている。

 

すると「おい、町人」。

出た!

闇夜にふらりと大小をたばさんだ巨躯があらわれる。

 

すわ襲われるかとヒヤッとなるも、どうやら江戸へ出府したての田舎侍のようで、麻布への道順を尋ねてきた。

「なんでぃ、おどかすねィ」

ホッとため息をつきつつも、おどかされたという癪もあってか、いちど火のついた先ほどからの悪態がなかなかどうして止まらない。

酔狂はしくじりの素である。

目上に対するも、その横柄な態度は田舎者だからなのか、丸太ん棒めと、ひと言多く突っかかる。

ひと様にものを尋ねるのならば、いくらサムライであっても、もっと殊勝にしやがれ、とこれみよがしにうそぶく始末。

さんざん毒づいた挙句、とどのつまりは墓穴を掘ることに。

これでもかという無礼口上を酔いの上だと我慢に我慢を重ねていた侍のほうだったが、こと家紋の服に啖呵を切られては、おだやかでいられない。

堪忍袋の緒も切れようものである。

 

白刃一閃。

居合い抜きで、喰ってかかった酔っ払いの首をすっぱ抜く。

 

が。

あまりに見事な腕前だったので、この酔っ払い、素っ頓狂なことに、首を刎ねられたことに気づかなかった。

 

足早に立ち去る侍を背に、ひと騒動おわってもいまだ首を斬られたことに気づく様子もない自業自得のこの酔漢。

鼻歌などを歌って調子よく残りの夜道を流しているのだが、なぜだか息が洩れる、視界がズレる、だんだんと首が定まらなくなる、千鳥足ならぬ千鳥首とあいなる。

今晩は酔いのまわりも早いのかな、などとぼやきつつ、呑気なことこの上ない。

 

が、何遍か首の曲がりを直していると、首筋に血糊がべっとりと。

おいおい、まさか、こりゃぁ、やられたのか、いや、やられていたのか!

痛くも痒くもなかったってぇことは、あの侍、手練の早業のことよ、達人なのか、と妙な感心もしたりする。

ともすれ、首を落としちゃ、てぇへんだ、膠(にかわ)でもつけとけば大丈夫かしら、じゃなかった、どうするよ、おい!

と、気づいたときには後の祭りである。

 

が、くしくも間が悪いときとはあったもので、火事場騒ぎで人だかりができているところにばったりと出くわす。

行く手には、手に手に提灯かざして火事場へと駆け寄せる野次馬だかり。

火事と喧嘩は江戸の華である。

火事とあっちゃぁ、この酔っ払いの血も騒がずにはいられない。

首のことそっちのけで、一目散に火事場の渦中へと駆け出して、人だかりを向こうに両手で自分の首を前へかざして、提灯よろしく「はい、ごめんよ!ごめんよ!」でサゲ。

 

◾️落語のことば補説

▼ 増上寺・芝山内

芝山内は大半が三縁山広度院増上寺の境内で、江戸期は景勝地として知られた。現在の東京都港区芝公園。

▼ 辻斬り

「つじぎり」とは文字どおり、武士などが街中などで通行人を刀で斬りつけることをいう。つまりは「通り魔」である。

江戸前期に頻発したそうで、徳川幕府はもちろん犯人に厳罰を処した。凶刃に及んだ者は死罪である。

辻斬りの犯行理由はさまざまで、刀の切れ味を実証するための「試し斬り」や、たんなる憂さ晴らし、金品目的、自分の武芸の腕を試すなどがあったそうだが、被害にあった善良な江戸町民たちからすれば不条理きわまりない帯刀社会の現実がそこにあったわけだ。

▼ 田舎侍

大名の家臣には、地方の国元に仕える「国侍(くにざむらい)」と、江戸の藩邸に常詰めする「定府侍(じょうふざむらい)」とがあったが、前者は参勤交代に従って出府し、江戸藩邸に一定期間住み込みで出仕するため「勤番侍(きんばんさむらい)」とも呼ばれた。

この勤番侍、短期の江戸滞在で、給金も安かったということもあり、散策や遊興も満足にできず、当然のことながら江戸不案内で、着物や羽織の裏地に丈夫一遍の浅葱色(あさぎいろ・緑がかった薄い藍色)の木綿を用いていたところから、江戸の町民たちからは野暮な「浅葱裏(あさぎうら)」と軽蔑されていた。

首提灯で、たんなる町人風情の酔っ払いが喰ってかかったのには、こういう背景があったからである。

実際、江戸期の各藩の財政は常時逼迫しており、江戸に住む庶民から「田舎侍」と揶揄されるとおり、勤番時にはかなり惨めな生活を送っていたようだ。

小遣いは一日百文以内に切り詰め、駕籠にはけっして乗らず、蕎麦屋で蕎麦湯をがぶ飲みして腹の足しにし、酒も安くて強い焼酎ばかりをあおるという緊縮ぶり。飯屋にさえ入れず、露店の焼き芋でしのぐという「芋侍(いもざむらい)」の惨めさで、素町人以下の"寒い"ふところ具合を、「サンピン野郎」「駄サンピン」(三両一分の扶持(薄給)を"サンピン"といった)とさげすまされていたそうである。

▼ 火事と喧嘩は江戸の華

江戸時代、史実によれば「火災都市」といわれるほどに火事が頻発し、さまざまな理由によって市街地を広範囲にわたって繰り返し焼き払った歴史的大火が世界でも類例を見ないほど多かったそうだ(Wikipediaより)。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉の由来には諸説あるようだが、字ヅラのとおり、火事と喧嘩を見世物・娯楽としてとらえていた江戸庶民のしたたかさが垣間見れるような含意ももちろんあるが(実際、火事の様相を紅葉に見立てた風流もあったそうだ)、"喧嘩"のほうは、たとえば酔っ払い同士が肩をぶつけて始めるような程度の低い諍いを指すものだけではなかったようである。

この場合の喧嘩とは江戸庶民の誇りをかけた消火活動、火消し同士の火事場あらそいを指すものとしてとらえたほうが意味に奥行きが出そうだ。

まず、この時代の消火活動は放水による鎮火がメインではなかったそうだ。延焼を阻止するための周辺建屋の撤去、火の風下に立つ家屋を倒壊してまわるのほうに主眼がおかれたようである。

要するに起きてしまった大火のまわりから、いっさいの可燃物を取り払うことが主目的とされたわけで、江戸の火消しが大工さながらの「鳶(とび)の者」とされたのは、これがためだ。命懸けで家を叩き壊してまわったわけである。

ここいらへんに江戸っ子の手荒な「ガラッパチさ」の由縁がありそうだが、つまりはワッと燃え盛る紅蓮の大火を非日常を演出する舞台装置としてとらえ返すのならば、そこに町人火消し同士の看板を背負った対抗意識、ひいては舞台廻し(喧嘩)としての華があり、火事場という舞台にこそ庶民の生活を守った火消しの意地と心意気があったと見るべきだろう。

他方では、火事は江戸の華の語源を大老酒井忠清の言にありとする説もある。

あまりの火事の多さにかの老中が「かように火事を起こすは江戸の恥」と洩らしたのを講釈師ないし狂歌師がすり替えたのが、「江戸の華」のいわれとする説である。

"恥の上塗り"を「華」とかぶせてケロりと煙に巻くあたり、いずれにしても江戸庶民の逞しき精神性を感じさせる言葉であることは確かなようだ。

 

◾️鑑賞どころ私見

江戸落語のほうに多い奇想天外ネタ、シュールな小噺のひとつである。

酔っ払いの酩酊ここに極まれりとでもいおうか、あまりにもあざやかな斬り口に気づかずに首の座りのわるさを訝しんで首をウンウンと捻るあたり、やはりなんともおかしい。

 

この演題も仕方噺(しかたばなし)のひとつで、噺家の仕草、身振り・手振り付きで鑑賞することをおすすめしたいが、実際に首がズレていく様は噺家の腕の見せどころときている。

寄席に出かける際に演目に掛かっていると個人的にちょっと楽しみだなと思ってしまうネタのひとつである。

 

この噺のサゲについては、じつは噺家によって幾つかのパターンがある。

上記あらすじのサゲは三遊亭圓生の演出によるもので、火事を見物する人びとの雑踏にまぎれて首を落っことしそうになるのをひょいっとかつぎあげる、おまけに人だかりの向こう側を高いところから遠目で見ようとついに首そのものを持ち上げるところに、なんともいえない笑いの余韻がある。

一方で、林家正藏(彦六)流のサゲというのもあって、こちらの場合は首を斬られたまま火事見舞に駆けつけるという演出で、目的のタナの店先で「へい、八五郎でございます」と提灯がわりに自分の首を威勢よく差し出すサゲとなっている。

こちらも、この酔っ払いのすっとぼけたおかしみが感じられて、捨てがたい魅力がある。

いずれにしても、道往く人びとがみな提灯を掲げているなかで、この酔っ払いだけがただひとり己が首を提灯がわりにかかげて、あせって駆け出している馬鹿馬鹿しさに、想像するだに笑ってしまう。

念のために言っておくが、これを真顔でとらえてホラーだと思うのは野暮の骨頂である。

あるいは、首を斬られていることに気がついているのに、なんでわざわざ火事見舞いにまで行くのかなどと、さかしまな理屈をふりかざしてはならない。なにも考えずに、アッハハと笑うのが正しい落語鑑賞の姿勢である。

 

それにしても、むかしも今も酔っ払いの始末のおえなさについては、ここであげつらうまでもない(このブログでも別のところで少々触れさせてもらったが)。

この噺、酒呑みのしくじりを諫める教訓としても聴けはするが、まあ、それでも、そういうスキだらけの醜態にどことなく"可愛げ"を看取ろうとするまなざしが落語の噺のなかには共通してあって、「しょうがないねぇ」とあきれつつも、あまねく酔っ払いにどこか優しいところに、人の世の救いのようなものをそこはなとなく感じてしまう。

落語のそんな世界観こそが、人を惹きつけてやまない魅力のひとつであることは、現在をもっても確かなことなのである。

 

◾️YouTube 視聴

▼ 映像あり

・林家正蔵(彦六)[八代目]:https://www.youtube.com/watch?v=oFXD8GJTALM

・笑福亭松喬[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=-CB2q88NI_s

*上方落語では同じ演題でも江戸前とストーリーがまるで異なることがある。「首提灯」もそれにあたるのだが、首を提灯に見立てるサゲは同じだ。聴き比べをして、双方それぞれの魅力を味わってみてほしい。

▼ 音声のみ

・三遊亭圓生[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=o0dna0-yCuI

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=hBsF9AL_TqM

 

◾️参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

 

【落語】蒟蒻問答/餅屋問答

落語のなかでも、よく知られた演題であるこのお噺し。江戸寄席で「こんにゃく問答」、上方落語では「もち屋問答」と呼ばれ、噺家のなかでも客ウケが良いとされる、華やかな名作といわれています。

登場する人物たちもみな個性的で、噺のスジもよく練られており、さらにはこの噺、話芸の多彩な仕掛けが随所に散りばめられた「仕方噺」の代表作ともいえる演目です。

こちらの噺も、寄席界隈の木戸口をくぐる最初の一話として、おすすめしたいネタとなっております。

 

◾️ あらすじ

噺は江戸を食いつめた極道者の八五郎が、上州安中に住む蒟蒻屋の六兵衛のもとに流れて来るところから始まる。

六兵衛も元江戸っ子で、若い頃、"呑む打つ買う"をし尽くして江戸にいられなくなり、この地に流れ着いた道楽者であったが、いまはまっ当に蒟蒻屋を営んでいる。

この六兵衛、面倒見がよく、似た境遇で頼ってきた八五郎を世話してやり、とりあえず自分のところに居候させてはいるものの、このままでは埒があかない。

八五郎はとうてい堅気の商売をやれる人間ではないが、八五郎の頭がたまたま丸かったのをいいことに、ならばと住職不在の地元の寺へ居座らせてしまう。

「あっしは経なんぞ読めませんよ」

「いろはにほへとに節つけて伸ばせばよかろう」と無責任きわまりない。

八五郎和尚ではおかしいから、それらしい名前を考えるも、まさか弁慶というわけにもいかないし、弁当ではなおまずい。

「どうだい、弁正あたりで?」

「ベンショウですかい。悪かねぇけど、さかさにすると、なんだか漏らしそうだな」

そもそもがテキトーである。

そんなこんなで、上州安中の薬王寺という寺にガラっぱち坊主が誕生した。

 

弁正和尚、もとより非常識で、べらんメェ調、とにかく僧にあるまじき不作法者である。

法衣は腕まくり、ドテラの胸をはだけて、無聊を託って酒を呑むことくらいしかやることがない。

教育係の寺男の権助が苦言を呈してもなんのその。せめて、ことばだけでも少しはお住持らしくしてほしいと懇願されて、それらしくするかと、酒肴に符牒を当てることに。

生臭(なまぐさ)物にはすべて隠語があるのだから、それでいいだろうと、酒は「般若湯(はんにゃとう)」、まぐろの刺身は「赤豆腐(あかどうふ)」、サザエが「拳骨(げんこつ)」、あわびは「伏鉦(ふせがね)」、かつおぶしは掻く(書く)と減るので「巻紙」、どじょうは泳ぎ方から「踊り子」、蛸(たこ)は「天蓋(てんがい)」、たまごは陽にかざして鮮度を確かめるから「遠眼鏡(とおめがね)」、または中に黄味(公)がおわすので洒落で「御所車(ごしょぐるま)」と滅茶苦茶である。

「おい、権助、天蓋を酢蛸にしてくれ。おめえもいっしょにどうだい」

ことあるごとに酒肴を用意させ、権助相手に酒のガブ呑み三昧で日が暮れてゆく。

それでもこの弁正住職、どうしたわけだか、ざっくばらんな和尚様と地元の評判は悪くない。世の中よくしたものである。

 

そんな折。

寺に訪ねてくる者があった。

「おう、葬式かい。ありがてぇな、もうかるぜ」

赤い顔した権助を応対に出させると、托鉢の若い旅僧が立っていた。

「愚僧は越前の国、永平寺、沙弥托善(しゃみ たくぜん)と申す諸国行脚、雲水の僧にござる。御門前を通行致すに、戒壇石(かいだんせき)に葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さずとある。禅家の御寺と心得、和尚ご在住ならば一問答願わしう心得、推参(すいさん)仕りました」

これを聞いて八五郎、青ざめる。

えらいことになった。問答を挑まれて断るわけにはいかない。負ければ相手に寺を譲って追い出されることになる。

居留守を使って、いっときは追い返したものの、相手は和尚が戻るまで毎日でも訪ねる所存の一点張りだ。

八五郎弁正、あっさり観念して夜逃げを決めこみ、先立つ物をと、権助に寺の金目のものを道具屋に売ってこいと大騒ぎする。

そこへ折よく蒟蒻屋の六兵衛が様子見にやって来る。

事情を聞いた六兵衛。

「寺の品は私物じゃねぇんだ、無闇に処分しちゃあ、いけねぇよ。問答はおれが引き受けよう」

「どうするんです? 親分。問答の心得でもあるんですかい?」

「そんなもん、あるかい。だんまりで通すのよ。するってぇと、相手もあきれて帰るだろうよ。帰らなかったら、あたまから煮え湯でもぶっかけてやるさな」

「なるほど。とっちめたって、裏に埋めるところはいくらでもありまさぁな」

乱暴きわまりない策ではあるが、八五郎、起死回生の思いで安堵する。

 

翌日。

ことばにたがわず沙弥托善、問答に訪れる。

案内に際して八五郎、托善に「大和尚は口がきけず、耳も聞こえない」と言い含める。六兵衛からさずけられた策だ。

一方の六兵衛、頭に帽子(もうす)をいただき、手には払子(ほっす)をたずさえて、半眼、坐禅観法寂莫とした大和尚の出立ちで法壇に控える。

托善、唐礼ののち、問答にとりかかった。

「一不審もて参る。法華経五時の説法は八遍にとじ、松風の二道は松に声ありや、松また風を生むや。有無の二道は禅家悟道にして、いずれが是なるや、いずれが非なるや。お答え如何に」

六兵衛、無言、反応せず。

「いま一不審もて参る。法海に魚あり。尾もなく頭もなく、中の支骨を断つ。この儀如何に。お答えを、お答えをッ!説破ッ!」

六兵衛、無言、反応せず。

托善、これは禅家荒行のうちの無言の行かと察し(誤解し)、ならばこちらも無言にて問わんとする。

左右の親指と人差し指を合わせて丸い輪をつくり、胸元からぐっと前へ突き出した。

〈この儀、なんとする?〉

六兵衛、手にした払子を衿首に差して、両腕を伸ばし、大きな輪を描く。

〈ハッ! 畏れいりました〉

托善、平伏ののち、こんどは十本の指を立てる。

六兵衛、右手を突き出し、五本指で応える。

〈ハ、ハーッ!〉

托善、またも平伏。次に右手の甲を前に向け、三本指を突き立てる。

すかさず六兵衛、右の人差し指で右の眼の下を押さえて《あっかんべぇー》。

托善、おそれいったとほうほうの体で逃げ出した。

 

脇で一部始終を見ていた八五郎、なにがなんだかわからない。門前まで托善を追い、引き留めて仔細を聞く。

「大和尚の〈ご胸中は?〉とお尋ねいたしましたところ、《大海のごとし》とのお答え。〈十方世界は?〉と聞けば、《五戒で保つ》とおっしゃる。及ばずながらいま一問答と、〈三尊の弥陀は?〉と問えば、《目の下にあり》とのお答え。当山の大和尚はまこと博学多才。拙僧の到底及ぶところではございません。両三年修行して参ります。ご免」

本堂に戻ると、一方の六兵衛、なぜだかカンカンに怒っている。

「どういうこってすか?」と八五郎が尋ねると、「野郎は、このあたりの乞食坊主だろうよ」という。

なぜって、「あの野郎、おれが蒟蒻屋だってこと知ってやがったのよ」

「そうなんですかい?」

「そうよ。〈おめぇのとこの蒟蒻はこれっぱかしか〉って手つきでケチつけやがった。いまいましいから、俺んところは《こんなに大きいや!》ってやってやったら、こんどは〈十丁でいくらだ?〉ときやがる。《五百文(もん)だ》とやったら、しみったれ坊主め、〈三百文にまけろ〉ってえから、《アッカンベー》してやった」

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 上州安中

現在の群馬県安中市

▼ 呑む打つ買う

大酒を呑み、博打を打ち、女郎を買う(女遊びをする)。男の三大道楽といわれ、三大しくじりともいわれる。道楽にふけり、身持ちをくずすというのが、落語のなかに出ばってくる男どものよくある身上として再三語られる

▼ ドテラ(褞袍)

防寒・寝具用の大きめに作られた、綿を厚く入れた広袖の着物

▼ 寺男(てらおとこ)

寺で雑用する下男。僧侶ではない

▼ 住持(じゅうじ)

宗門から派遣されて寺を管理する職分をさすことばで、「住職」も同意。寺の所有者ではない。ということで、勤行に問題があれば追い出されることもあり、その寺が「無住」になることもままあったという。ちなみに「坊主」は「僧坊のあるじ(主)」という一般呼称。職分をあらわすことばではない。「和尚」ということばは元来、高僧の敬称で、日本では時代を経て一般呼称となったが、じつは宗派によって発音が異なるそうだ。この噺に出る禅宗、そして浄土宗では「オショウ」、天台宗では「カショウ」、真言宗では「ワショウ、ワジョウ」と呼ぶそうである

▼ 符牒(ふちょう)

同業者内、仲間内でのみ通用することば、合言葉、隠語、暗号。落語ではことば遊びとして、よく引き合いに出される

▼ 越前国(えちぜんこく)

現在の福井県北部にあたる、北陸の要所にあった国。かの国で有名な禅寺である永平寺は禅師・道元が開山した

▼ 沙弥(しゃみ)

7歳以上20歳未満で、仏門に入り髪をそって十戒を受けた男子出家者をいう。修行未熟な僧の意

▼ 雲水(うんすい)

行雲流水のごとく諸国を行脚して教えを乞う修行僧

▼ 戒壇石(かいだんせき)

寺の門前に置かれた「葷酒山門に入るを許さず」などを記した石碑のこと

▼ 葷酒(くんしゅ)

ニラ、ニンニクなどの臭くて精のつく野菜、および酒を指す

▼ 問答(もんどう)

仏法に関する修行者の質問と師の解答。他宗派と異なり禅宗に特徴的なのは、以心伝心のひらめきを重んじ、抽象的かつ簡潔であることをよしとしたところだそうだ。蒟蒻問答でのやりとりは、禅宗だからこそ成立したといってよい。綿密な言語による具体的な授受を旨とする他宗派ではこうはいかなかっただろう

▼ 推参(すいさん)

招かれていないのに自分のほうから押しかけて参上する際の謙譲語

▼ 帽子(もうす)

禅宗の僧がかぶる頭巾。定型はないようだが、烏帽子様が多い

▼ 払子(ほっす)

獣毛、麻などの束を柄につけた仏具。本来は蠅を追い払うための道具だったという

▼ 坐禅観法寂寞(ざぜんかんぽうじゃくまく)

座禅を組み、悟道を黙想すること静かなり、との表現。この噺における「口ならし」「言い立て」(名調子、名フレーズ)の一節から切り取った文句である。先だてのあらすじでは割愛させてもらったが、落語の噺のなかには、その噺固有で使われる決まり文句のような箇所があり(無い噺もある)、蒟蒻問答の場合だと「高麗縁の薄縁は雨漏りのために茶色と変じ狩野法眼元信の描きしかと怪しまるる格天井の一匹龍は鼠の小便のため紛失と相成り欄間の天人蜘蛛の巣にとじられ幡天蓋は朝風のために翩翻と翻り、正面には釈迦牟尼仏、左の方には曹洞禅師箔を剥がし煤をあび、一段前に法壇を設け一人の老僧頭に帽子を頂き手には払子を携え眼半眼に閉じ座禅観法寂寞として控えしは当山の大和尚、とはマツカイ(真赤)な偽り、何にも知らない蒟蒻屋の六兵衛さん」(京須偕充『落語名作200席(上)』より引用)と噺家がまくしたて、そこで客がワッと盛り上がる。アナウンサーが話すような、いわゆる「早口ことば」にあたるものだが、噺家が口調や話すスピードの確かさを試す常套句でもあり、前座駆け出しが練習のためによくこういった言い立て文句のあるネタを高座にかける。有名な「寿限無」は典型的な口ならしネタである

▼ 唐礼(とうれい)

中国の儀礼を唐礼といい、これに対して日本の和礼がある。唐礼には道教の考え方が反映されており、和礼はこの要素を除いたものだそうだ。禅宗では唐礼をもって僧尼の礼懺修法としたそうである

▼ 一不審もて参る(いっぷしんもてまいる)

禅問答に取りかかる際の語句。「ひとつ疑問を呈します」といった意味

▼ 説破(せっぱ)

禅問答において質問に応じる語句。この噺では「承れ」「よく聞け」といった意味で、相手を言い負かそうとする受けことば

▼ 十方世界(じっぽうせかい)

四方(東西南北)と四維(西北・西南・東北・東南)と上下(天地)の世界という意

▼ 五戒(ごかい)

仏教語。不殺生(ふせっしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪婬(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不飲酒(ふおんじゅ)の戒律をさす

▼ 三尊の弥陀(さんそんのみだ)

阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩をさす

▼ 拙僧(せっそう)

僧侶が自分のことをへりくだっていう表現

 

◾️ 鑑賞どころ私見

当ブログ名に冠させていただいた、もうひとつの名作、関東では「蒟蒻問答」、関西では「餅屋問答」と呼ばれる演目で、またぞろ私事恐縮ですが、こちらは自分が初めて寄席を観覧したときに高座に掛けられていたネタで、思い出と思い入れ深き噺ということで、ご紹介させていただく。

江戸で「こんにゃく」、上方は「もち」、両者に共通するのは"かたくない"ということで、つまりは「ふにゃふにゃ問答」、通常であれば堅っ苦しいはずの仏教の問答が"腰くだけ"になっているのを笑うというおはなしである。

 

この噺、落語のほうでは「仕方噺」といって、噺家の所作・仕草・身振りで見せる演題である。

その代表作ともいえる一品で、昭和の時代に落語のテレビ放送が始まった際にはよく演目にあがったネタだったそうである。ゆえに年配の御仁には、ご存じの方々も多いかもしれない。

仕方噺なので、たとえば音声だけの鑑賞には不向きといえ、もちろん文字で読むのにも限度があり、ましてや先ほどの当方の稚拙なあらすじではどうあっても力及ばずなので、動画ないし、ぜひに噺家の実演を味わってほしい。

サゲ前の丁々発止は、この噺家ならどんなふうにやるんだろうと見比べる意味でも、一見の価値ありとつけ加えておく。

 

ところでこの噺、旅僧が「たのもう!」と門前に訪れるシーンを間仕切りとして、便宜的に前半・後半に分けてストーリーを眺めてみると、どうしても問答のある後半部に目がいってしまいがちだが、前半の八五郎と寺男の権助とのやりとりのくだりも、伏線とその後のスジを演出するものとして、じつは重要なパートである。

落語はことばの芸というだけあって、この噺にかぎらず、ほかの噺でもよく"言い換え遊び"をする。

よく耳にするかもしれない「掛けことば」、あるいはダジャレなどもこれに含まれるが、この噺にも出てくる「符牒」「隠語」のように、日常茶飯事を比喩、暗喩して遊ぶところも落語の聴きどころといえるだろう。

この噺では俗物をそれらしく仏教語に仕立てあげようとしているわけだが、ほかの噺でも、このような頓知(とんち)が効いたことばも多く出てくるので、ご賞味されることをおすすめしたいところである。

ともすれ、伏線に話を戻すと、前半で酒を般若湯と言い換えるような語りのトンチが、後半の無言の問答のうちで生じる"勘違い"を予見させる構図となっているわけだ。

この噺の聴きどころとしては、後半はわりと定型化しているので、個人的には前半部を噺家たちがどのように聴かせてくれるのだろうか、というのを楽しみに鑑賞させてもらっている。

 

さて、この噺。講評などでは、庶民が権威や知識人などに対して抱いている感情、居丈高で高尚なところを笑い飛ばす心意気などが反映された噺とよくいわれる。

確かにそうなのだが、個人的には"すれ違い"の面白さをただただ正面から忌憚なく笑えばいいのではないかと思っている。

勘違いとすれ違いで笑いをとる王道中の王道ばなしなわけだから、その見当違いをそのまま楽しめばいい。

思えば、人はみな十人十色、同じ出来事に居合わせたとしても、感じることも考えることも、とどのつまりは人それぞれなわけである。

どこまでいっても主観は主観。

自分がそう思って話していることも、相手がそのように思って受けとめているわけではないし、逆もまた然りである。

要するに、人と人のあらゆる会話や日常の交差のなかに、主観同士の勘違いとすれ違いというものはすでに、つねに潜んでいるわけだ。

人の交わりは、そもそもが勘違い、そもそもがすれ違い、ということなのかもしれない。

そしてまた、人というものはそういった勘違いやすれ違いにほだされて、思わず笑ってしまうという性質も持ちあわせている。

ならば人の交わりとは、そもそもが"笑ってしまう"ものなのではないか。

愚説で押し切らせてもらったが、誰しも"にらめっこ"で笑ってしまう、これはそれに近い。

そして、にらめっこは真剣さが増せば増すほどに笑わずにはいられなくなる。

蒟蒻問答はそんな含みを感じさせる噺なのではないかと愚考するものである。

この噺、《あっかんべぇ》ならぬ、そんな"あっぷっぷ"な噺しといえるのかもしれない。

 

◾️ YouTube 視聴

[*2024年4月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 映像あり

・柳家小さん[五代目]・立川談志[七代目]・柳家小三治[十代目]の三人落語(激レア映像です):https://www.youtube.com/watch?v=SB0bEbjZ8sI

▼ 音声のみ

・桂歌丸:https://www.youtube.com/watch?v=dFNnbfmzC2A

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=P0fKYXPEwIQ

・古今亭志ん生[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=BvG6YjAkaz4

・柳家小三治[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=F9GeRlZxZ-k

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=XTDPn_kKgG0

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

 

【落語】粗忽長屋

この噺、大袈裟なもの云いになるかもしれませんが、落語的発想の粋を集約したような超現実的なおはなしとなります。

しかも「ボケ」の究極形といえるかもしれない一言が飛び出す、瞠目すべき展開と落ち(サゲ)。

落語の世界の扉を開ける最初の一話としてもおすすめしたいネタとなります。

 

◾️ あらすじ

噺は浅草の観音様(浅草寺)の前、行き倒れの現場から始まる。

人だかりができており、そこを通りかかった八五郎。喧嘩か見世物か、なにやら面白いものが見れそうだと、集まる人様の股ぐらをくぐり抜けて、騒ぎの渦中に躍り出る。

そこには筵に横たわるご遺体がひとつ。

「なんです? これは」

「行き倒れだよ」

「いつから始まるんです? イキダオレってのは」

「見世物じゃないんだよ。ここに寝てるのは死んだ人だ。身元不明だから、みなに検分してもらってるんだよ」

「なんだい、そうですか。それじゃ、生き倒れじゃくて、死に倒れだ」

わけのわからないことをぼやきつつ、この八五郎、粗忽者でそそっかしく、早とちりが過ぎる性格である。

「おまえさんも、見てやっておくれ」といわれて仏さんの顔を拝むと、びっくり仰天、飛び上がることに。

 

「あ、熊の野郎だ!」

「なんだい、知り合いかい。なら、家族に知らせておくれよ。引き取り手がいないんだ」

「いや、こいつ、独り身なんですよ」

「そうかい、それならおまえさん、隣人のよしみで引き取っておくれよ」

「いやいや、今朝、顔を合わせたばかりなんですよ。本人を連れてきます」

「はあ? なにを言ってるんだい。この仏さんは昨晩、行き倒れたんだよ。今朝、顔を合わせるわけないだろう」

「いや、まちがいねぇ。当人ですよ。熊の野郎、今朝、具合がよくねぇとぼんやりしてましたから」

「おいおい、おまえさん、しっかりしておくれよ。人ちがいだろ。行き倒れたのはゆうべだよ」

「いやいや、間違いありません。そそっかしいヤツなんで、死んだのを忘れて、家へ帰えっちまったんですよ。こうしちゃいられねぇ、本人を連れてきますよ」

「おい! あんた。あらあら、行っちゃったよ。困った人もいたもんだねぇ」

 

長屋へと駆け出す八五郎。ドタバタと熊の元へ。

「おい、熊! クマぁ! ぼんやりしてる場合じゃねえぞ、てぇへんだ! おめえ、死んでだぞ!」

「騒々しいな。なんだい、藪から棒に。こちとら具合が悪いんだよ」

「だから、おめえ、死んでたんだよ」

「死んでた? そんな心もちはしねぇが」

「まったく、それだからおまえはずうずうしいってんだ。死ぬなんてこたぁ、はじめてのことだろう。はじめてのこととなりゃ、心もちなんてわかるはずもねぇ」

「ちげぇねぇ。具合も悪いし、これが死んだ心もちってやつなのかな?」

「おれが知るか。それより、おめえ、ゆんべはどうしてたい?」

「夕べ? ナカ(吉原)ひやかして、馬道で一杯ひっかけて、観音様の脇まで来たのは覚えているけど」

「どうやって、帰えってきたんだい?」

「忘れちまったあ」

「それみねぇ。死んだの忘れて帰えってきちまったんだよ。まったくもう、おめぇくらいそそっかしいヤツはねぇなぁ。ほら、いくぞ」

「いくぞって、どこへ?」

「おめぇのむくろを引き取りにいくんだよ」

「おれのむくろ?」

「当たり前ぇだろ。ほら、いそげ。よそ様にもっていかれたらどうすんだい」

 

行き倒れの現場へと取って返す八五郎と引きずられる熊。

「どうもすいません。本人を連れてきました。死骸を引き取りに来ました」と八五郎。

「おいおい、ほんとに連れてきちゃったよ。困った人がまたぞろ増えちゃったよ」と見張役。

「どうだい、おめえだろ、熊」

「これがおれ? あ、ほんとにおれだ。おれだよ、これは。なんてぇ、あさましい姿に」

「だろ。てめえの死に目に会えたんだ、かえって浮かばれるってもんだ、なぁ。ほら、ぼさっとしてないで、そっち持て」

"本人"も納得。死骸を運ぼうとする。

「間違いだってば」と見張役。

「うるせぇ。当人がおれだって言ってるんだ」と八五郎。

一方で、"自分"の死体を抱きあげる熊公"本人"。

そこでサゲの一言。

「だけどアニキ。おれぁ、なにがなんだか、わけがわからなくなっちゃった。抱かれているおれはたしかにおれだが、抱いているおれはいったいどこの誰だろう?」

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 粗忽(そこつ)

そそっかしくて、抜けている(思慮の足りない、不注意、軽率な)人物をさして粗忽者という。勘違いが酷い有り様といえようか。

落語のあまたある噺のなかでは、この噺のような、突拍子もなく、せかせかして、慌ただしい登場人物が、なにかしらの素っ頓狂な発言をしたり、あるいはスッとボケたしくじりや粗相を犯しつつストーリーが展開していくパターンも多い。

古典落語の世界では、こういった粗忽者たちは大いに笑われはするものの、けっして侮蔑的な対象としては描かれていない。むしろ一様に、しょうがねぇなぁと愚痴られつつも、思いやりと優しさをもって生き生きと描かれている。

▼ 長屋(ながや)

落語の世界の「町人」たちが住む「共同住宅」である。

一般的には、一戸あたり「九尺二間(くしゃくにけん)」といわれ、木戸を引いて中に入ると、まず9尺の間口があり、奥行き二間の「ひとま」という間取りが主流だったそうだ(およそ6畳程度ののワンルームということになる)。手狭ではあるが、この九尺二間が横並びに幾つかひっついて一棟となり、これがいわゆる江戸期の町民たちが住む「長屋」ということになる。

表通りから裏路地に入ったところにある貧乏長屋をとくに「裏店(うらだな)」といい、長屋と長屋が向かい合うその裏路地には「どぶ板」が張られ、また合間には煮炊きや洗濯などに使う共同の井戸、つまりは「井戸端」スペースがあり、同じく共同便所である「後架(こうか)」、物干しなどの生活空間があり、噺のなかでもよく出てくるワードとしては、このあたりになるだろうか。

それと、現代にも通づるかもしれないと思われる住宅事情としては、「壁の薄さ」がある。落語のなかでも、壁をドンドンと叩いて、隣戸に「椀と箸をもってきやがれ」と喚くシーンなどもときおり出てきて、長屋住まい同士がもつ、気心の知れた連帯を感じさせる描写が随所に出てくる。

▼ 行き倒れ(いきだおれ)

路傍で倒れている死骸(むくろ)のこと。

現代であれば事故現場や殺人事件現場などを想像するかもしれないが、江戸期にあっては寒さ、飢え、病気などで行き倒れてしまう人もあり、ご遺体については町奉行所へ届出後、身元を明らかにするために、この噺のように、むしろ衆目にさらして、引き取り手を探したそうだ。

身元不明となった場合、無縁仏(むえんぼとけ)として本所回向院や三ノ輪浄閑寺などに埋葬されたが、それらの手間や諸経費などがすべて現場の町負担となるため、人だかりができて厄介なところを含みつつも、引き取り手が現れてくれれば大助かりだったそうである。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

当ブログ名に冠させていただいた、私事で恐縮ですが、数十年前、落語の世界に魅了されるきっかけとなった噺である。

そのときの演者はたしか五代目・柳家小さんだったと思う。

録音だったか、NHKないしNHK教育の深夜?朝方?の寄席番組だったかは忘れたが、なにげなく耳にし、いつのまにか惹き込まれ、そして瞠目させられたことを思い出す。

とにかくサゲの一言にガツンとやられてしまったわけである。

以来、この噺を足がかりに落語の世界にどっぷりと浸かり、その豊かで度肝を抜かれる発想力と、それを頓珍漢に笑い飛ばしてしまうメンタリティの強靭さとにすっかり虜になってしまった次第である。

 

それはさておき、この噺、手前勝手な解釈をさせていただくと、いわゆる「アイデンティティ」の問題にも踏み込んでいて興味深い。

じぶんは何者なのか?

呆けたように聞こえなくもないこの疑問はしかし、人の一生を眺めてみると、折に触れて影をさし、わりとのっぴきならない問いかけであるような気がする。

たとえば特異な経験によって心身を喪失したり、あるいは老年性の痴呆などによって自我の統合失調状態、つまり「じぶんがじぶんであることをわかっていない」状態に陥ってしまうなんてこともあるが、じつはこれにかぎらず、人間誰しも、そもそものところ、「じぶんがじぶんであることを、じぶんでは説明できない」という原理的な問題を孕んでいるものなのである。

この「自己同一性」についての議論はたいへんに混み入ったものなので、こむずかしい事はここでは割愛するが、兎に角、そんなやっかいな領域にまでこの噺は躊躇なく踏み込み、さらにはそれを笑いへと昇華させてしまうという離れ業までやってのけている。

この噺が内包する、その逞しき精神性には脱帽するしかないのである。

 

さらに。

自分で自分の死体を引き取りにいって、いったい自分は誰だろうと首をかしげる──。

正直、これはボケの極致といえまいか。

これ以上、ボケることはできないという漫談の極北に届かんばかりの、ある意味、振り切れた、ハチとクマの「ボケ+ボケ」のかけ合いである。

最近の漫才の定番設定と違って、ツッコミ不在のかけ合いとなるわけだが(もとい、ツッコミはさしづめ行き倒れの見張をしている町役となるのだろうが、これはあくまでも端役である)、このどこまでもボケ同士でボケ倒しつづけ、現実を軽やかに超えていくさまを、立川談志が「イリュージョンの世界」と言っていた。

まさにそのとおりである。

しかも、これだけボケ倒しつづけながら、けっして噺を破綻させることなく、きれいにまとめあげるサゲの一言。

諸手をあげて、お手あげである。

さらには、これは"古典"落語である。

現代人はつゆ知らず、ボケの究極形はすでに完成されていたといっても過言ではないのではないか。

江戸期の庶民文化から涵養されたこの飛び抜けた発想力に、ただただ恐れ入るしかない。

それにしても、こんな噺、海外あるいは余所のどこかに存在するのだろうか。

古今東西、不覚にも聞いたことはないが、独断と偏見と身贔屓で、こんな物語が存在する文化性は日本だけなんじゃないかと拙考する。

 

ともすれ、落語の真髄、ここにありきである。

古典落語のネタはこれまでの噺し手たちの語りようと観衆の耳とでもってスジを磨きあげ、無粋をそぎ落とし、骨子を纏めあげてきたものである。

つまりは噺そのものに、それぞれの噺固有の"粋(すい)"と"味"がある。

落語の世界に未踏の方々におかれては、とりあえず芸談や能書はさておいて、噺のなかのこういったシュールなかけ合いなどに舌つづみして、その味わいを確かめてみてほしいものである。

「粗忽長屋」はそういった意味でも落語的発想のなかでわりと定番の味ともいえ、最初の一話としておすすめしたい噺である。

 

◾️ YouTube 視聴

[*2024年4月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 映像あり

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=057r5frXQVY

▼ 音声のみ

・柳家小さん[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=qUKT0_7PkoE

・古今亭志ん生[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=K_nLAxXHYi4

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=ltUmlXN1XlU

・柳家小三治[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=XZKVZiEKGVs

・柳家喬太郎:https://www.youtube.com/watch?v=tqCpDn-NSDM

・林家たい平:https://www.youtube.com/watch?v=olvJpG0Dj3Q

・桂文珍:https://www.youtube.com/watch?v=AMbQVendpd4

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

 

【落語】あたま山/桜ん坊

落語の数ある噺のなかでも、もっともばかばかしく、きわめつけに奇々怪界で、シュールさの極北とでもいえる噺がこの演目となるのではないでしょうか。

 江戸寄席で「あたま山」、上方落語では「桜ん坊」と呼ばれる演題で、このタイトルもじつに意味深です。

短い噺ですが、超現実的な世界観、アクロバティックなスジの展開がぎゅっと濃縮されていて、しかも現代にも教唆を投げかける、じつに含みの多い話でもあります。

 

◾️ あらすじ

さわりはまず、ケチな男が、さくらんぼを食べているところからはじまる。

この男、ケチがすぎて、もったいないからと、さくらんぼのタネまで呑み込む。

すると、そのタネが、どういうわけだか、からだのなかで育って、あたまのてっぺんから芽を出し、さらにすくすくと育って大きな桜の木になる。

やがて花を咲かせ、町中の評判となり、近所の人たちが花見にやってきて、この男のあたまの上でどんちゃん騒ぎをはじめる。

あたまの上に、ひっきりなしに花見客がやってきて、連日連夜、呑めや歌えやと、のべつ幕なし騒いでいるので、うるさくてたまらない。

とうとうあたまにきて、この桜の木を引っこ抜くと、抜いたところに大きな穴ができて、その穴に夕立がふりそそぎ、水が溜まって、こんどは池になる。

すると、鮒だの、鯉だの、魚が棲みつきはじめ、朝から釣り客が訪れはじめる。

わりと釣れるとまたもや評判になって、網を投げ始める者まで出る始末。

さらには、涼みにちょうどいいとばかりに芸者をはべらせて舟遊びと洒落込む輩まで出はじめて、またぞろ人がわんさかおしかけ、どんちゃん騒ぎとなる。

我慢に我慢を重ねたが、うるさくてもう辛抱ならないと、この男、しまいには自分のあたまの上の池に自分の身を投げて、サゲとなる。

 

◾️ 落語のことば補説

▼ さかさおち

古典落語の「落ち/サゲ」にはいくつかのパターンがあり、この噺は「さかさおち」に当てはまる。

ことばのとおり、本スジで話してきたことを最後の最後に逆転させて笑いをとるパターンである。

芸談となるが、この噺をお家芸とした八代目・林家正蔵(彦六)は「花見の場面に「京の四季」を、釣り船の場には「佃」の合方を入れた趣向で聴かせてくれた」そうである(京須偕充『落語名作200席(上)』より)。そして「こういうばかばかしいはなしを聞いていると、誰しも自分の頭の池に身を投げられる筈がないとお思いでしょうが、年寄りに聞くッてぇと、細長いひもを縫う場合、最初は糸目を上にして縫って、縫い上がると物差しをあてがって、一つ宙返りをさせる。すると完全な細ひもになる。理屈はあれと同じで、頭に池があれば、人間がめくれめくれて、みんな池へへえっちまう」(矢野誠一『落語手帖』より)と云っていたそうだ。つまりは裏っ返しであり、噺のスジと生の謳歌?をめくり上げれば、投身自殺にさかさおち、というわけである。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

正直、もの凄い噺である。

現実を越えるどころではない、異次元へとぶっ飛びまくった噺であると思う。

なにせ桜の木があたまのてっぺんを突き破るくらいである。

大袈裟でなく、むかしの日本の庶民文化がたしかに育んだ、次元を超越したイマジネーションに、逆にそら恐ろしいまでの叡智を感じてしまう。

 

上方のほうで「桜ん坊」と題しているのは、おそらく「錯乱ぼう」とかけているのだと愚考するが、さくらんぼの種から発展するまいど馬鹿馬鹿しい噺で、おもて向きのスジはそうだとしても、じつは意味深な教唆をさまざまに想起させる噺でもある。

 

あたま山の桜の木は、たとえば漫画の吹き出しのようなものと想像してみたらどうだろう。

あたまのなかを桜色に染めて、おめでたいことばかり考えているのは、人間、昔も今もかわらないということである。

くわえて、あることないこと考えてすぎて、吹き出しの林立状態であるといえまいか。

あたまのなかがうるさくてしょうがないのは、現代の情報化社会のありようそのものではないか。

 

吹き出しを具現化したものといえば、たとえば現在のマスメディアを眺めてみればいい。

連日連夜、ひっきりなしに、お祭り騒ぎをしているといえば、テレビなどがそれに当てはまるだろう。

ニュースに、バラエティにと、どんちゃん騒ぎである。

テレビはオワコンだといわれているが、是非もあらず、じねんと騒ぎ疲れて、そのうち身の投げどころでも考えたくもなろうものではないか。

ネットやSNS界隈の炎上騒ぎだって似たようなものである。

AIも、近い未来のヴァーチャルな世界も、どんちゃん騒ぎの末に、投身自殺と洒落込むのだろうか。

 

人間は一日に3万回、あたまのなかで「思考」すると、どこかで聞いたことがある。

つまりは、どんちゃん騒ぎである。

たとえば仏教では、この3万回の思考をあたまのなかから取り除くことが「悟り」だという。

 この噺を聴いて、静けさのなかに身を投げた、男の気持ちに黙然とする、今日この頃である。

 

◾️ YouTube 視聴

[*2024年4月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 音声のみ

・林家正蔵(彦六)[八代目]:https://www.youtube.com/watch?v=qQfQoaQomvU

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=3mqw_8e1zhY

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

【落語】居残り左平次

落語の数ある噺のなかにもヒーローものとでもいえる噺がいくつかあります。この噺はそんなヒーローもののなかでも出色したでき栄えの傑作となります。

落語の世界で語られるヒーロー(あるいはアンチ・ヒーロー)とは、どのような人物なのか? そして演題に冠された「居残り」とは、いったいどういうことなのか? まずはこの疑問をとば口に、このお噺しを一聴してみることをおすすめします。

 

◾️ あらすじ

胸に患いをもつ佐平次という遊び人。

この病の保養には、潮風に陽光、魚介も美味い、海の近くがいいということで、仲間三人と連れ立って品川の女郎屋(じょろうや)へあがるところから噺は始まる。

 

まずは仲間とどんちゃん騒ぎ。

さんざん呑み食いして豪遊したあげく、夜明けとともに仲間の三人は先に帰して、佐平次だけが一人残ることに。

この佐平次、じつは腹に算段があった。

安い割り前で品川遊びをしようと連れ出した三人の仲間には「ここの払いはおれがみるから」と虚勢を張って、代わりに元の割り前は佐平次の老いた母に渡してやってほしいと虚心坦懐言い含める。

勘定の心配をしてうしろ髪ひかれる仲間をよそに、佐平次自身はどうするのかというと、当分のあいだこの品川にどうにかこうにか長逗留してやろうと画策していたのだ。

あれだけ呑み食いしたにもかかわらず、先立つものはもとより持ちあわせていない。つまりは無銭飲食、無銭遊びの確信犯で、しかも大迷惑にも転地保養とばかりに同じ店に居座ろうというのだから、並の神経ではない。

 

一人残って朝寝坊を決め込む佐平次。

勘定の催促に来た女郎屋の若い衆に起こされたのは、もう陽も傾き始める頃合いだ。

「じきに宵の口だな、若いシよ。迎え酒といこうかい。ちょいと頼むよ」

「なんだい? 勘定かい。心得ているとも。ただ、待ちねぇ。おれはつなぎだ、ゆんべの三人がまた来るよ」

「ここだけのはなし、あの三人は実入りのいい商売してるんだ、金のなる木だよ。つかまえておきな。損はさせないよ。それまで野暮はいいっこなしだ」

景気のいいことをさんざんのたまったあげく、乗せるに乗せて肝心なところは煙に巻く。会計がどんどん後まわしになってゆく。

じきに夕暮れのかき入れどきになり、妓楼(ぎろう)は大にぎわいの大忙し。払いのこともうやむやに。

佐平次はといえば、当然の顔して風呂に入り、鰻をつまみ、若い衆にも調子よく馳走したりと、昨日とあいかわらずの椀飯振舞い。

そんなこんなで、あっという間に、また翌朝。

三人さん、いらっしゃいませんでしたが、と聞かれれば、「火急の用向きなぞ出たんだろう、なにせ稼ぎの大きい商売人だからね。おれがここに居るんだ、今晩はきっと顔をだす」としたり顔でいう。釈然としない若い衆も、なんやかんやと押し切られて、結局、昨日と同じなりゆきに。

そして三日目の朝、催促もこれで三度目、ついに佐平次が居直る。

 

一文無しが、ここにいる。

取り立ては? できるわけもない。ビタ一文ないという。

あの三人は? どこの誰だかわからない、行きずりの、合口のよかった、ただのニワカ友だちだと吹かしている。

この男、ハナから居直るつもりなものだから、悪びれず堂々たるものだ。

にっちもさっちもいかなくなって固まる妓楼の者たちを尻目に、むしろ佐平次のほうが気遣いながら、「どうもすいませんね。行灯部屋はどこですか。おじゃましますよ」とばかりに、みずから志願して蒲団部屋(ふとんべや)へ。われから望んで軟禁の身にあいなることに。

 

ともすれ、妓楼は今晩も大繁盛である。

人手が足りず、猫の手も借りたいほどに忙しい。タナの者たちが右往左往とバタバタするなかで、居続けごときをかまっている暇などない。

ここにもう一人、おいてきぼりの客がいた。

「まったく、いつまで待たせる気だい。敵娼(あいかた)が遅れるのはしょうがねぇ。それにしたって、どうなんだい、刺身につける醬油(したじ)まで来ないとはよ。猫じゃないんだよ、醬油がなくて生魚が食えるかってんだ」

「へい、お待ち遠さま」

「おう? 見ねぇ顔だな、若いシかい。まったく、客をおっぽり出して、こちとらいつまでも穏やかじゃいられねぇぞ」

「まったくもって、どうもあいすいません。ささ、下地をもって参りました。ささ、どうぞどうぞ」

蟄居の身の上の佐平次が、醬油の注がれた小皿を片手に、どういうわけだか客の相手をしはじめる。

「それにしても、だんな。敵娼の紅梅さん、聞いたはなしじゃ、ああたにホの字のようですぜ」

「へへ、そうなのかい」

「ええ、そりゃあ、もう。こういう商売ですから、おもてには出しませんがね」

「おい、そこのところ、ちと詳しく聞かせてくれねぇ。おまえさんも、一杯どうだい」

「へへ、こりゃぁ、どうも、ご相伴にあずからせていただきます。どうせいただくんでしたら、こちらの湯呑みで」

「ばかやろう」

この男、ずうずうしいけど妙に愛嬌があって如才ない。

客の苛立ちもおさまるどころか、仕舞いにはすっかり気分もよくなって、祝儀まで切らせるほどに。

客を調子よく乗せているところへ、しばらくしてお座敷にあがってきた紅梅も驚くことに。

「あらま、この人、居残りさんよ」

「えっ! だってこの人、醬油を運んできてくれたぜ」

「へへ、どうもすいません。じつはですな、アレは他の座敷の下げ膳から蕎麦の残りツユをちょいと拝借したものでして……」

「どうりで甘ったるい醬油だと思ったよ!」

それでも、すこぶるウケよくこの場をさばいて、おもしろおかしく陽気に退場。客もねえさんも満更でもないという心もちにさせるのだから、座持ちが巧みなこと、このうえない。

 

そんな調子で、この佐平次、その後も神出鬼没の出入りの座敷で、ことごとく評判を上げてゆく。

昼は昼で、女郎たちの手紙の代筆をしたり、笑える世間話を披露したり、棚子の道具の修繕を器用に手がけてやったりと点数稼ぎに余念がない。タナの者たちのあいだでも、たちどころに人気はうなぎ登りだ。

夜はもちろん、幇間(たいこもち)も真っ青の、八面六臂の活躍ぶりで、客からお座敷がかりのひっぱり凧に。

「座敷がなんだかさびしいな。おい、居残りを呼んでくれ」

「はい、ちょいと〜、イノど〜ん」

「ヘ〜イ、ヨイショッと!」

 

面白くないのは妓楼の若い衆たちだ。入ってくるはずの祝儀が、気づけば、ほとんど佐平次の懐に。死活問題である。これでは苦情が出てもしかたがない。

そこで、ようやく妓楼の主人が重い腰を上げる。

「おまえさんが居残りさんかい。あたしもね、これまでは野暮だと思って口出ししなかったが、ここはどうです、いったん家へお帰りなさい。もちろん、これまでのお足(勘定)はきちんといただきますよ。でも、すぐにでも、まとめて出せというわけではない。何年かかってもいいから、少しずつあたしのところへ持って来てくれればいいんだ。家で待つ人もいるんだろう。どうです、ここはお引けということで」

「ご温情いただき、ありがとうごぜぇやす。ですが、ここの敷居をまたいで出れば、御用捕ったと十手風(じってかぜ)」

「なんだい! おまえさん、傷持ちかい」

「人殺しこそ致しやせんが、夜盗掻浚家尻切(やとうかっさらいやじきり)」

「そんな悪党には見えないがね」

「おっしゃるとおり、親父は神田白壁町でかなりの暮らしも致しておりましたが、生まれついたる悪性で、ガキのうちから手癖が悪く、抜け参りからグレだしまして、旅を稼ぎに西国回って、守備も吉野山……」

「どこかで聞いたようなセリフだな」

佐平次の身の上ばなしを聞くにつれ、焦り出す旦那。

なんとかここに置いてくれと粘る佐平次を前にして、そんな話を聞いたとあっちゃ、なおさら置いておくわけにはいかない。

罪人をかくまったとなれば稼業に支障をきたす。店の前で捕物があったとなれば看板にも傷がつく。

無関係だと言い張るためには、佐平次をとにかく店から遠ざけたい。

「出て行きたいのはやまやまなんですが、こんな身なりとあっちゃぁ……」

「着物だね。どれ、あたしの着古しがどこかにあっただろう」

「先日、おろしたて着物が越後屋から届いておりましたが……」

「あたしは知らないよ! どうしておまえさんのほうがそれを知っているんだい! まあ、しょうがない。それを着て行きなさい」

「こちらにご迷惑をおかけするのは、たいへん心苦しいのですが……」

「路銀だね。こちらで用意しよう。これを持って、はやく、どこか遠くへ行っておくれ!」

新調の着物に履き物、十両の路銀を渡して、とにもかくにも佐平次を追い立てた。

 

品川から放り出された佐平次のほうはといえば、鼻唄まじりで悠々自適に街道を流している。

人目を憚るそぶりもない。

お目付役で尾行してきた若い衆が、どういうことかと佐平次に声をかけて詰め寄る。

「おう、なんだい、お遣いかい?」

「おまえさん、傷持ちだろ。そんなにおおっぴらにしていて大丈夫なのかい?」

「ああ、なんだい、そのことかい。おめぇさんも、この商売にかかわっているなら、この顔をよぉく覚えておきな。おれはな、居残りを稼業にしている佐平次ってもんだ。おめぇんところの旦那には稼がせてもらったぜ。礼をいっておいておくんな。あばよ」

とって返して、旦那に事の次第を報告する若い衆。

江戸界隈の遊郭で居残りを商売にして渡り歩いていた男だったと知れ、旦那と一緒にサゲの一言。

「ちくしょう、どこまであたしをおこわにかける」

「だんなの頭がゴマ塩ですから」

 

 ◾️ 落語のことば補説

▼ 佐平次(さへいじ)

人形浄瑠璃や歌舞伎の世界の幕内隠語として、口から先に生まれてきたような軽薄にぺらぺらしゃべる人物を指して、「佐平次口」「いらざる佐平次」「佐平次ばる」「佐平次がる」「佐平次に出る」「佐平次をあがく」などといったそうだ。実在した人物がいたのか真偽は不明だが、楽屋のほうで普通に使われるようになって、それが転じて落語の登場人物として擬人化され命名されたという。

▼ 品川(しながわ)

徳川の時代、幕府に公認されていた妓楼(ぎろう)は唯一、吉原(よしわら)だけで、江戸でおおやけに遊郭(ゆうかく)・遊女(ゆうじょ)・花魁(おいらん)と名乗れたのは吉原に限られていたそうである。しかし、公認されていないとはいえ、女郎屋(じょろうや)は各所で栄えており、吉原に次ぐ繁華街が品川、新宿、板橋、千住で、四宿(ししゅく)といわれた。

四宿にある遊里は、おもてむきは旅籠屋(はたごや)で、遊女は飯盛女(めしもりおんな)と呼ばれたそうだ。品川には、歩行新宿(かちしんしゅく)・北品川・南品川におよそ90軒近くあったという。

▼ 女郎屋(じょろうや)/妓楼(ぎろう)/遊郭(ゆうかく)・遊女(ゆうじょ)/女郎(じょろう)/花魁(おいらん)/敵娼(あいかた)

江戸時代、女郎屋・妓楼・遊廓は娯楽の中心にあり、文化の発信地とでもいえる場所であった。

それだけに、私娼街(公許の場所は吉原のみ)も含めれば、廓・郭(くるわ)、曲輪(くるわ)、傾城町(けいせいまち)、花街(はなまち、かがい)、色里(いろさと)、遊里(ゆうり)、色町(いろまち)、岡場所(おかばしょ)、女郎屋(じょろうや)、飯盛旅籠(めしもりはたご)など、呼称が林立している。

落語の噺によく出てくるのは江戸中期以降の遊郭の様子で、大衆化が進んで庶民が主な客層となっていった時期のことだ。

「遊女(ゆうじょ、あそびめ)」は本来「客を遊ばせる女」という意味の一般呼称で、もともとは芸能に従事する女性たちをさしたものだったが、時代が下るとともに蔑称の意味合いが強まり、やがて売春専業者を意味することばに転じる。

「女郎」という呼称については誤解している人も多いようだが、もともとは貴族女性、官女をさす「上臈(じょうろう)」から転化したことばで、蔑称ではない。

「花魁」は、江戸中期以降の吉原での上級女郎の敬称である。「おいらん」以前は「太夫(たゆう)」と呼ばれ、こちらは吉原遊女の等級をあらわすことばである。最上級を太夫、以下、格子(こうし)・散茶(さんちゃ)・梅茶(うめちゃ、または局女郎(つぼねじょろう))の順で続き、ほかに切見世女郎(きりみせじょろう)などがあったが、中期以後は太夫と格子がなくなった。

「敵娼」は遊客から見て馴染みになった娼妓(しょうぎ)をさす遊里用語となる。「敵」の文字は「自分とつり合う者」程度の意味である。意味深ではあるが。

遊郭では、客が登楼する初回を「初会」、二回目を「裏」といい、初会のときに双方気に入って二回目の約束をすることを「裏を付ける」という。三回目が「馴染み(なじみ)」で、馴染み金という祝儀をはずまなくてはならない。この「馴染みを付ける」ことで、娼妓は初めて客と同衾(どうきん)することになる。

ちなみに江戸中期までの遊郭での遊びはけっして「売り物・買い物」ではなかった。吉原の太夫は諸大名の奥方、公家の子女も及ばぬほどの学識をもち、芸道については当世一流の教育を受けていたそうである。琴、鼓、三味線に秀で、茶道、香合、立花に通じ、書道、和歌、俳諧、絵画をよくした一級の貴婦人であった。そこには明確な"誇り"があり、廓(くるわ)の外の女性一般をさして"地女(じおんな)"と呼び、「地女の及ぶところに非ず」とするだけの教養を身につけていたそうである。それゆえ太夫(花魁)には、自分につり合わない"客を振る"権利が厳然と存在したそうで、金にものをいわせて詰め寄ろうとする驕った客をつっぱねることを「張り」といったそうである(参考:隆慶一郎『吉原御免状』新潮文庫、1989年)。

ということで、遊郭での三度の逢瀬を形式としてしつらえたのは、店の側からすれば"客の見定め"も兼ねていたはずで、女郎の側にも断る機会をはっきりと認めていたものだといえるだろう。現代の性的労働とは当然のことながら事情が異なっていたということである。

▼ 若い衆(わかいし)

遊里の男衆をさす。強面(こわもて)だったかどうかはわからない。年齢によらない呼称である。

妓楼の主人の代理を務める「番頭」、店先で客引きする「見世番」、二階にある各座敷の小間使いである「二階廻し」、寝床をしつらえる「床廻し」、徹夜で警備して行灯の油つぎをする「不寝番(ねずばん)」、勘定の取り立てや帳場の使いをする「掛け廻り」、湯殿の世話をする「風呂番」、酒肴を配膳する「台廻し」などの仕事があったそうだ。

▼ 行灯部屋(あんどんべや)・蒲団部屋(ふとんべや)・軟禁(なんきん)

あんどんとはことばのまま持ち運べる照明(灯台)のことで、行灯部屋とは日中でも陽が差さない薄暗い部屋のことである。妓楼特有の部屋だったそうで、つまりは照明を持ち運ばないと中が暗い物置部屋のようなところ。座敷牢ならぬ、無銭飲食をしでかした一文無しを閉じ込めておくのにちょうどいい部屋だったというわけだ。この噺の場合、それが蒲団部屋にすり替わっているわけだが、これは要するに、品川は東海道の最初に数えられる宿場町でもあったわけで、ここが客の布団が積んである旅籠だとの描写というわけである(別の意味もあるが)。

客が勘定を滞らせた場合、妓楼の若い衆や、馬屋、始末屋とよばれた専門の従事者が同道してとり立てを行ったそうで、その様子を描いた「付き馬」という落語ネタもある。佐平次の場合はみずから望んで軟禁の身となったわけだが、これは店側がとり立てへ行く前の一時預かりのような状態ということになる。

なお、支払い不能と判断された場合は、客の衣服、所持品いっさいがっさいを没収して弁済に当て、素っ裸にして追放したそうだ。

▼ たいこもち・幇間(ほうかん)・野だいこ

宴席、お座敷を陽気に囃し立てる役割を担っていた男芸者をさす。おそらく元来"芸人"とは、この人たちのことを指したことばである。酒と酒の「間」を「幇助(ほうじょ/あいだを取り持つ)」する者の意で、「幇間」とも呼んだ。たいこもちの歴史は相当古いらしく、近世に入って職業化され、廓・色里・花街での専業ということになったらしい。芸能事務所のようなものもあり、検番に登録し、依頼のあった「お座敷」に派遣されたそうである。検番に登録していない、いわゆる"もぐり"のことを「野だいこ」といい、佐平次のやっていたことはこれに相当する。

正規のたいこもちに対して野だいこは最低限の生活保障がない代わりに祝儀などの一部上納も免れていたため、才覚のみ、文字どおり裸一貫で、扇子をパチパチ、ニコニコ揉み手で、神出鬼没に座敷を渡り歩いて稼いでいたわけだ。まこと逞しい生きざまである。

▼ 傷持ち/脛に傷(すねにきず)

ことわざ「脛に傷持てば笹原走る」から。後ろ暗いことがあったり、心にやましいことがあると、おだやかに世渡りできないことのたとえ。罪人、悪人のことである。

「御用捕ったと十手風」は時代劇等でご存知だと思うが、悪人が与力や同心、岡っ引きに捕まること。捕物でのかけ声が「御用だ!」ということで、「与力」「同心」は公職。「岡っ引き」はじつは民間人だそうだ。「十手」は当時の警棒のようなもので、真棒の脇に刀身を受けるL字の受けが付いている。

夜盗(やとう)・掻浚(かっさらい)・家尻切(やじきり)とは、「夜間の盗み・人の横合いからの盗み(スリ、置き引き)・家や蔵の裏手の壁を壊して侵入する盗み」のことをいう。

あらすじで旦那が口にした「どこかで聞いたようなセリフ」とは、歌舞伎で有名な「白波五人男」の一人・忠信利平の名ゼリフのことである(「続いて次に控えしは/月の武蔵の江戸育ち/餓鬼の折りから手癖が悪く/抜け参りから愚連出して/旅を小股に西国を/廻って首尾も吉野山/まぶな仕事も大峰に/足をとめたる奈良の京/碁打といって寺々や豪家へ押込み盗んだる/金が御嶽の罪料は/蹴抜の塔の二重三重/重なる悪事に高飛びし/あとを隠せし判官の/お名前騙りの忠信利平」)。落語の噺のほうにこのセリフを取り入れたのは明治から大正にかけて活躍した初代・柳家小せんだそうで、無類の遊郭好きだったそうである。

▼ おこわにかける

サゲの「おこわにかける」は、美人局(つつもたせ)の別称だそうで、「ペテンにかける」という意味である。

最初にこのサゲを聴いたとき、じつは意味がよくわからなかったのだが、「おこわ」は「おお怖わ」の略だそうで、つつもたせにあって金を取られて怖い思いをすることを「オコワにかかる」といったそうだ。

美人局とは元来、妻が夫と共謀して他の男との情交ないし情交未遂をし、それにいいがかりをつけて相手の男から金銭をゆすりとる犯行であるが、実態として遊里がこれと似たようなことを商売にしていること、さらには口車に乗せて男どもを骨抜きにする里を佐平次が逆手に手玉をとって「いっぱい喰わせた」ということを、サゲの一言に又掛けしているというわけである。

ちなみに「おこわ」は、もち米を炊いたり蒸したりする米飯の総称であるのはご承知のとおりだ。江戸時代の庶民は粥が主食だったというから、もち米を蒸す料理を硬く感じたのだろう。「強飯(こわめし、こわいい)」とも呼んでいたそうだである。ご存知かと思うが、もち米と一緒にあずきを蒸した「赤飯」もおこわのひとつである。赤飯には胡麻塩をふる。こちらも、怒って顔を真っ赤にした旦那を「おこわ」に見立てて、頭に「ごま塩」がふってあったのを佐平次が「いっぱい喰った」というわけである。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

落語の世界のさまざまな登場人物のなかでも出色のキャラ立ちで、ある種のヒーローものとでも呼べる噺が、この居残り佐平次である。

兎にも角にも口八丁、軽快で調子良く、底抜けに明るく他人を盛り立てる。それでいて、したたかで抜け目なく、裏できっちりと自分の目的を完遂する。居残り稼業など世の中のなんの役にも立たない、誰からも認められることのない、そんななりわいであるにもかかわらず、佐平次の活躍をみていると、どこかでひそかに拍手喝采を送りたくなり、世知辛い世間のなかでも一人くらいこういうヤツがいてもいいではないかと思わせる、そんな痛快な人物像を見事に描いた傑作といえるだろう。

噺の展開については、こじつけ気味のサゲに物議はあるものの、本編のほうは緩急起伏に富む内容で、噺家のあいだでは、経験と廓遊びのなんたるかを知悉した、よほどの力量がなくてはこなしきれない大作といわれているそうである。

 

この噺、主人公の存在感で聴かせる噺なだけに、佐平次の人物像に噺家自身の捉え方がものの見事に投影される噺といえる。

噺家の語り口によってまったく別人のような佐平次が立ち現れるので、聴き比べの醍醐味をわかりやすいかたちで味わえる作品である。

たとえば、あらすじの冒頭で触れたように、佐平次はそもそも胸の病を患っている。その後の展開でこのことを忘れがちになるが、噺家にとってはこれが争点となるようだ。

佐平次の底抜けの明るさのなかにある翳りをどう聴かせるか。

この病を深刻に捉えるのならば、佐平次が仲間を通して幾許かの金銭を老いた母親の元に届けさせようとする思惑に含みが出てくるし、座敷での虚勢のなかに哀愁が感じられて、その人物造形もさらに立体的なものとなるだろう。

あるいは金払いのいいお大尽こそ粋と崇める妓楼側からしてみれば、佐平次の居残りはたんなる愉快犯というだけで、無邪気かもしれないが野暮のきわみと映る。そうであるならば、佐平次の言動にも多少の棘が認められるところとなり、印象もまた変わってくるだろう。

噺家とともに、それを鑑賞する側もまた、佐平次のありさまになにを見るのか、なにを求めるのか、色が分かれるということである。

個人的には、三代目・古今亭志ん朝の爽やかな語り口で描かれる佐平次をいちばん好ましく思っているのだが、志ん朝を終生のライバルとした七代目・立川談志が描く"孤独"な佐平次にも捨てがたい魅力がある。

と、いったように、噺の解釈を加味しながら噺家の語りようを楽しむのも、落語の面白さのひとつといえるだろう。

 

◾️ YouTube 視聴

[2024年4月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 映像あり

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=yM8A_03Q3bs

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=cXjzXaqPm0Y

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=VvEZEWLuzEM

・三遊亭圓生[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=H7eic8RT_08

・桂文朝[二代目]:https://www.youtube.com/watch?v=TCjCcjhcB_Y

▼ 音声のみ

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=1jYkNJRS_Qo

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=nx4DJJGadtI

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=dRyRspnTnGg

・立川談志[七代目]:https://www.youtube.com/watch?v=nO5iSzZyxbg

・三遊亭圓生[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=fJsg_GDkuwc

・柳家小三治[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=XiJr0pShDD8

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)

・隆慶一郎『吉原御免状』(新潮文庫、1989年)