粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

【落語】ねずみ

今回紹介する噺は王道ヒーローもの。

この落語に登場するヒーローは、匠の技を究めた先に摩訶不思議な異能を持つに至った職人です。

日本人が昔から"職人"をリスペクトする風土をもつのは、こういった噺あたりにも片鱗があるのかもしれません。

 

◾️ あらすじ

江戸時代、日光東照宮の眠り猫や鳴き龍で日本一の名工といわれた彫刻職人の左甚五郎(ひだり じんごろう)。

その甚五郎が、まだ奥州を見たことがないので松島見物でもしようかと、ふらりと仙台へやって来たところから噺は始まる。

仙台のとある宿場で、客引きの子どもにせがまれて、小さな旅籠に泊まることになった。

旅籠の名前はねずみ屋。

物置小屋のような粗末なところで、ほかに客はいない。

向かいには対照的ともいえる、大きくて立派な虎屋という宿屋があった。

客は皆そちらへ流れて、あちらさんはどうやら満員のようだ。

迎え入れた主人は卯兵衛と名乗り、見たところ腰が抜けて動けないようで、いたいけな伜の卯之吉が一生懸命働いているといった有様だった。

なにかわけがありそうだと甚五郎が尋ねたところ、卯兵衛はもともと虎屋の主人だったが、ある晩、客同士の喧嘩の巻き添えになって階段から転げ落ちて腰が立たなくなってしまい、第一線から退いたという。

それをいいことに、後添いにした女中頭のお紺と番頭の丑蔵の画策で店と身代を乗っ取られ、この別棟(物置小屋)へと追い出されたそうだが、友だちの世話でなんとか旅籠につくり直して鼠屋をはじめたとのことだった。

現状はいわずもがな、家屋はボロボロで、閑古鳥が鳴いている。

 

話を聞いた甚五郎。

情に厚い男である。

なんとかこのボロ旅籠を盛り返してやろうと考えた。

しばし瞑目したすえに、おもむろにノミをとり出して、なにやらコツコツと彫りはじめた。

ひと晩かかって出来上がったのは、一体の見事なねずみの彫刻。

これを盥に入れて上から竹網をかけ、わきに短冊をしたためた。

そして倅の卯之吉に「これを入り口に置いてごらん」という。

短冊には「甚五郎作・福ねずみ。ご覧になった方はお泊りを」と書かれてあった。

いわれたとおり店先に置いて、卯之吉、卯兵衛ともども不思議に思ってこれを眺めていると、しばらくして、なんと、木彫りのねずみがチョロチョロと動きだした。

驚きの声をあげていると、これを通りがかりの人たちも見かけて、同じくびっくり。

あっという間に評判が立ち、「ねずみの旅籠」は大繁盛。観光名所にまでなった。

 

一方の向かいの虎屋は、これに反比例して、閑古鳥が巣をつくるほど暇になる。

主人の非道な仕打ちも知られてしまい、客足はパッタリだ。

が、そんな状況になっても反省しないどころか、ますます妬む元番頭。

それまでためこんだ資金にものを言わせて、仙台一の彫物師・飯田丹下にたのんで「甚五郎に負けない彫刻を」と製作を依頼する。

「甚五郎がねずみなら強い動物がいい」とばかりの単純明快さで、虎の像を彫らせた。

これを虎屋の二階にすえて、「福ねずみ」を見下ろすように設置。

睨みつけられるかたちとなった福ねずみは、それまで元気に走りまわっていたにもかかわらず、ピタリと動かなくなり、ただの木像になってしまった。

 

この虎屋の再三の仕打ちに「ちきしょうめ」と腹を立てた卯兵衛。

それで、なんと、勢い余って腰まで立ってしまう始末である。

これには本人もびっくりだが、じつは全治していたのにもかかわらず、立てないと思い込んでいただけのことで、事ここに至って、自分の足で立つことができたのだった。

結果オーライ、復調した卯兵衛は、さっそく江戸へ帰った甚五郎に「あたしの腰は立ちましたが、ねずみの腰が抜けてしまいました」と手紙を出す。

この話を伝え聞いた甚五郎は、寄宿先の棟梁・政五郎二代目をともなって、ねずみ屋にとって返すことに。

原因となった向かいの虎を見上げたが、どうにも、よい出来栄えとは思えない。

動かなくなったねずみに話す。

「これ、ねずみ。わしはお前を彫るときに、全身全霊をこめたつもりじゃ。なのに、なぜただの飾り物になる。おまえ、あの虎がそんなに怖いのか?」

すると、ねずみが甚五郎のほうを見て言った。

「え? あれは虎ですか。あたしはまた、猫かと思った」

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 左甚五郎(ひだりじんごろう)

江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。講談、浪曲、落語などで有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地に点在する。

日光東照宮の眠り猫をはじめ、甚五郎作といわれる彫刻は全国各地に百か所近くあるといわれるが、その製作年間は安土桃山時代から江戸時代後期にまでおよび、出身地もさまざまなので、"左甚五郎"とは一人ではなく各地で腕をふるった工匠たちの代名詞としても使われたようである。逸話などではその存在さえも疑われてはいるが、一方で実在の人物として記述されている文献も散見され、なかでも甚五郎が晩年、高松藩の客分棟梁となって移住し、墓が高松の地蔵寺にあるとするものもある。

姓の「左」の由来については諸説あって、江戸時代、腕利きの大工は「大和大工に飛騨匠」と称されて、この「飛騨の甚五郎」が訛ったものとする説、左利きだったからという説などがあり、なかでも講談では腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたためという説もある。その他、十六歳のときに多武峯十三塔その他を建立し、時の天下人に「見事なり。古来より右に出る者はなし」「ならば甚五郎は左である。左を号すべし」といわしめたとされ、その達しにより"左"を名乗ったともいわれている。[Wikipedia参照]

 

◾️ 鑑賞どころ私見

この噺の主人公、左甚五郎は落語のなかでもわりと多くの作品に登場する人物の一人で、「甚五郎噺」というジャンル名称もあるほどだ。

噺のほうでは『三井の大黒』『竹の水仙』などがあり、甚五郎は困っている人の味方で、あくまでもおのれの腕一本で事件を解決して見せるところに当時の人びとの共感を呼び、ネタも増えていったのだろう。

また匠の技で創りあげられたものには生命が宿るという主旨には類型も多く、名も無き名人が屏風に描いた雀が飛びまわる『抜け雀』など、手工芸に実用以上の価値を見出そうとする趣向は、日本人の性根に横たわるものなのかもしれない。

甚五郎噺の異色のところだと、『甚五郎の作』という噺があって、下ネタになるが、ある女性が独り寝のさびしさから張り形(アダルトグッズが昔から存在していたことに驚く)を買ったところ、そのうち妊娠してしまい、不思議に思ってその張り形の裏をよく見ると「甚五郎作」と彫ってあったという艶笑小咄なんてものも存在する。

今回のネタでは彫ったねずみにサゲを言わせるところがなんとも粋な演出で、また子(ねずみ)、丑(丑蔵)、寅(虎屋)、卯(卯兵衛、卯之吉)と揃えているのは、味な仕込みだろう。

この噺は、三代目桂三木助の友人の浪曲師・広沢菊春から題材を譲り受けて落語化したものだそうで、古典といいながら新しい創作噺である。

完成度の高い仕上がりで、大筋は三木助を原型に後継者を増やしながら演じられている題目である。

たとえば三木助と五代目三遊亭圓楽の遺風が感じられるのが九代目入船亭扇橋と桂歌丸で、またドラマ仕立ての立川志の輔の口演など、秀演が多い作品でもある。

 

◾️ YouTube 視聴

[2026年5月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 映像あり

・桂歌丸:https://www.youtube.com/watch?v=7OYL4uv8YOg

・入船亭扇橋[九代目]:https://www.youtube.com/watch?v=-6ooEUXO38k

▼ 音声のみ

・桂三木助[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=F9dn6RruINg

・三遊亭圓楽[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=Q9hKlnPltQk

・三遊亭円楽[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=tlN5Ak7u4fQ

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)