
本日は、当ブログ的には若干ケの色をかえて、清水克行『室町は今日もハードボイルド──日本中世のアナーキーな世界』(新潮文庫、2024年)という本をご紹介。
「室町時代」というと、歴史好き(歴オタ除く)の方々からしてみても、おそらく"マイナー"な時代区分に振り分けられるのかと思われます。
本書はこれをあつかった本なのですが、歴史小説好きの末席を侍するものとして読後の感想を率直に申し上げると、なぜこれまでこの時代を個人的にスルーしていたのだろうかと悔やまれるほど、べらぼうにおもしろかった。
とにかく目から鱗の連続で、なにせ、本書の中では、この室町時代を生きた"ふつう"のおっちゃん、おばちゃん、にいちゃん、ねえちゃんたちがざんざんばらばらと暴れまわるからです。
もう暴れん坊将軍顔負けの縦横無尽っぷりで、かくも"庶民"の事蹟のいとおかしきこと哉といった充実の内容となっていて、個人的に近年の推し本となっています。
◾️ 出版社紹介文
日本人は昔から温和なんて大ウソ! 盗みは即死刑、僧侶はデスノートで武士を呪い殺し、ゲス不倫には家を襲撃して破壊。暗殺、切腹、えげつない悪口……。私たちが思い描く「日本人像」を根底から覆す、荒々しく図太く、自由に生きる室町人たち。現代の倫理観とは程遠い中世という"異世界"を知り、常識に囚われがちな私たちの心を解放する! メディアで話題沸騰! 「室町ブーム」の火付け役による痛快・日本史エンタメ!
僧侶は武士を呪い殺し、農民は政界工作を企て、浮気された妻は相手の女を襲撃する──あなたたち、本当にご先祖様ですか? 数々の仰天エピソードから浮かび上がる中世の日本人は、実は凶暴でアナーキーだった! 想像の「斜め上」を行く、驚愕の日本史エッセイ。
◾️ 読みどころ私見
これは個人的な印象になるのだが、時代区分で「室町期」というのは、やはりマイナーなイメージをもってしまう。
これまで歴史小説や時代・伝奇小説をそれなりに好んで読んできた身としても、戦国期や幕末などが主な舞台となる作品も多いことから、室町期の作品を好む人は少数派であると思われる(もっともこう思うのは私個人が不勉強なだけかもしれない)。
また武家社会隆盛の端を発した鎌倉期に目は向けても、あいだの室町期は意外にスルーするように感じる。
歴史的な動乱期は大作映画などの題材になりやすかったりもするが、室町時代はそのへん、どうなのだろうか。
あるいはまた、落語や町人文化に興味関心が尽きない身としては、「江戸期」に目が向いて、まあ、江戸期の太平の御代は庶民文化の花盛りの時期でもあって、テレビの時代劇の舞台に選ばれやすかったりするわけだが、そういう背景事情を鑑みると、室町時代にはそれほど食指が動かないような気もする。
そしてまた、これ以前の平安時代ともなれば、それはもう古典文学のメジャー領域として君臨しているのであって、その点でも室町時代にはどうにも馴染みがつけがたい、という印象を抱いてしまうのだ。
ところが、本書を読んでその印象がガラリと変わった。
率直におもしろく、室町期に興味津々である。
これほどまでに野放図であったろう時代に、これまでどうして関心を向けてこなかったのだろうと悔やんだくらいである。
また、個人的にも不覚の思いがよぎった。
だいぶ以前に伝奇作家の隆慶一郎氏の作品群(註:漫画家・原哲夫氏の作品『花の慶次』は、この隆慶一郎作『一夢庵風流記』のリメイクである)にハマり、むさぼり読んだ時期があったのだが、これにあわせて同じく歴史学者・網野善彦氏の日本中世史観、非定住民の世界、無縁や公界などについての一連の著述にも感銘を受け、同時期に読み漁ったにもかかわらず、この時代を見過ごしていたのである。
したがって、ここにきて本書がその熱を呼び醒ましてくれたといっていい。
たとえば、本書所収の「堅田イヲケノ尉」のエピソードはたいへんにおもしろかった。
なんと、ただの桶屋のオヤジが戦国武将顔負けの武勇伝をもつのである。
だいぶ長くなるが、個人的に強烈なインパクトがあって、この本の醍醐味ともいえる部分を肌で感じていただけるようお伝え致したく、ここで以下に引用させてもらういたい。
当時、数ある海賊集団のなかでも、村上海賊と並んで有名だったのが琵琶湖に面した近江国堅田(現在の滋賀県大津市)の海賊である(琵琶湖は海ではないので、厳密には「海賊」ではなく「湖賊」なのであるが、彼ら自身が「海賊」と自称しているので、ここではそれに従おう)。中世以来、堅田では琵琶湖に突き出した浮御堂というお堂が土地のシンボルになっっており、浮御堂越しに見る琵琶湖の夕景は昔から「近江八景」の一つに数えられている。(中略)戦国時代の堅田の風景を描いた『近江名所図』を見ても、かなり賑やかに旅人や商人が往来する街路が広がっている。堅田は間違いなく当時、国内有数の商業集落であった。
さて、そのなかでも、強烈な武勇伝をもち、集落の中でも一目も二目も置かれていた男が、「堅田イヲケノ尉」と呼ばれた人物である。彼は、その名のとおり堅田で「イヲケ」(結桶)を製造・販売する桶屋であった。「尉(ジョウ)」というのは老夫という意味なので、「イヲケノ尉」という名は「桶屋のオジサン」といったていどのニックネームと考えていいだろう。しかし、それは彼がもつ多くの顔のひとつに過ぎなかった。
彼は一方で「相撲の行司」も務めており、また「透波(すっぱ)の手柄師」ともよばれていた。「梳毛の行司」とは、文字どおり相撲の行司役のことだが、当時の相撲は力自慢のヤクザものが身を投じる世界であって、その行司はたんに審判役というだけではなく、彼らを束ねる興行主のような存在でもあった。それに、「透波(すっぱ)」とは盗賊団のことで、そのなかでも彼は「手柄師」とよばれ、ひときわ腕の立つ男であった。つまり、町ではふつうの気のいい桶屋のオジサンの顔をもちながら、他方でイヲケノ尉は力自慢の力士たちの取り束ねをしつつ、また闇の世界とも通じていて、盗賊団の稼ぎ頭でもあった、というわけだ。『本福寺跡書』によれば、おまけに彼は戦さの心得もあり、その名は遠く都にまで轟いていたとか。
寛正六年(一四六五)正月、一向宗のことをかねて憎々しく思っていた比叡山延暦寺の僧兵たちが、ついにその根拠地の大谷本願寺に武力攻撃を開始した(寛正の法難)。この時代、天台宗の総本山で日本仏教界の最高権威をもって任ずる彼らからみれば、特殊な教義を掲げる一向宗などは異端のカルト教団に過ぎないもので、早晩、退治すべき存在と考えられていた。とりわけ大谷本願寺は京都の東山にある開祖親鸞が眠る墳墓の地であり、一向宗最大の聖地であった。
このとき、イヲケノ尉は、現場の大谷本願寺に四〜五日間滞在し、桶作りの実演を行っていた。彼はまた一面で一向宗の熱烈な信者でもあり、この日は第八世宗主の蓮如(一四一五〜九九)の眼前で得意の桶作り作業を見せる晴れがましい場でもあった。ところが、その長閑な場を比叡山僧兵らが急襲する。比叡山の正規の襲撃部隊の総数は一五〇人ほどだったが、そのほかに京都の市街地に住む近所の悪党どもがこの襲撃を聞きつけて、略奪目当てで付き従っていた。
巨大都市となっていた室町時代の京都には、つねに怪しげな半グレ集団が闊歩していて、彼らは何か事が起こると、それに便乗して火事場泥棒的・愉快犯的に破壊と略奪を繰り広げるのが常だった。このときも正規襲撃部隊以上の無関係の暴徒たちが大谷本願寺に襲いかかり、あたりは瞬く間に大混乱となった。
まさか襲撃があるとは思いも寄らなかった門番たちは、門にかんぬきも差さず、昼寝の真っ最中。そこを襲われたのだから、ひとたまりもない。正規の襲撃部隊の最大の目的は蓮如の身柄の捕縛にあった。彼らは早々に蓮如の長男順如を拘束したものの、幸いにも正珍という僧侶を蓮如と誤認して一緒に連れ去ってしまう。一方、ハイエナのような火事場泥棒集団は、かたわらで「我も我も」と寺内の財宝を物色する。しまいにはこれだけでは飽きたらず、報せを聞いて続々と応援に駆け付ける一向宗信徒たちの煌びやかな鎧や刀に目をつけて、「みごとな太刀だ」と、ゲジゲジのような隊列行進をして、舌なめずりをして襲いかかろうとする始末。
このとき、たまたま蓮如の御前にいたイヲケノ尉は、とっさに機転を利かせ、蓮如を捕縛して引っ立てるそぶりをして門外に出る。イヲケノ尉も、元を正せば彼ら都の半グレ連中とは馴染みの仲。連中もイヲケノ尉の顔と武名は承知していたから、彼を仲間と思って「早く連れ出せ、連れ出せ」と蓮如ともども寺外へ通してしまう。これにより、イヲケノ尉は混乱に乗じて蓮如を脱出させることにまんまと成功する。
その後、彼は単身で無法者集団の前に立ち戻り、ここが正念場と心得て、東西南北に響き渡る大声で、こう怒鳴りあげた。
「都のヤツら! ちょっとでも無礼なまねをしてみろ。我が手にかけてあの世に送ってやるぞぉ! これから手に松明を持って京の町々におどり込み、おまえらの家々に火をかけて、その煙のなかで闘い抜き、最期は切腹して果ててやる!!」
最初は面白半分で略奪に加わって飛び跳ねまわっていた京の町のチンピラ連中も、この大音声に、一瞬で凍りついた。イヲケノ尉の恐ろしさは、誰もが知っている。「ほんとうに火をつける気だ……」と怖気づいた彼らに、さらにイヲケノ尉は罵り続ける。
「どうした! こっちに向かってくるヤツは、五人だろうが一〇人だろうが踏み倒して、オレの槍先にかけてやるぞ!」
もうこうなると、もともとが比叡山の動きに便乗した烏合の衆だけに、てんでだらしがない。彼らは慌てふためいて退散し、この混乱はイヲケノ尉の胆力で、とりあえずの収束を見ることになった。その後、イヲケノ尉はさらに順如の弟実如を連れて大谷本願寺を脱出し、蓮如の疎開先まで無事に彼を送り届ける功績を果たしている。
イヲケノ尉の活躍は、その後も続く。大谷本願寺を壊滅させただけでは満足しない延暦寺は、翌年以降も近江国の一向宗の拠点に弾圧を続けたのである。このとき一向宗が最大の抵抗拠点としたのが、金が森(現在の滋賀県守山市)の寺内町だった。彼らは町を要塞化して、三〇〇の敵を相手に信仰を守り、頑強な抵抗を見せる。もちろん我らがイヲケノ尉も密かにこれに合流し、戦闘に加わっていた。戦場では、イヲケノ尉は延暦寺側の大将、守山の日浄坊を討ち取り、攻め手を退ける一番手柄をあげている。ちなみに、この金が森の戦いは、史上最初の一向一揆として、歴史にその名をとどめている。
しかし、既存の仏教勢力や政治勢力との対決を望まない蓮如は、意外にも、この戦果を喜ばなかった。蓮如は延暦寺と妥協する道を選択し、籠城軍に対して金が森の武装を解除して、その地を延暦寺に明け渡すようにという非情な命令を下した。
宗主の命令とあれば仕方がない。籠城軍は金が森の要塞にみずから火をかけ、延暦寺に降伏する。無念のイヲケノ尉は、包囲軍をかいくぐって金が森から脱出する。対延暦寺の強硬派であった彼の身は延暦寺が最も付け狙うところであったし、籠城中の奮戦で、すでに彼は身体に三ヶ所の重傷を負っていた。しかし、そんなお尋ね者として窮地にある彼を、堅田の同じ西浦に住み、日頃から彼の面倒をみていた松田某という男が、身を挺して匿うことを申し出る。堅田では、こうした親分と子分のような義侠心で結ばれた人間関係が張りめぐらされていて、いざというとき、それがセーフティー・ネットとして機能していたようだ。
松田は、イヲケノ尉が来宅すると聞くと、彼の武勲を賞して、たいへんなご馳走を用意して臨んだ。琵琶湖で取れたフナの汁に、琵琶湖名物のフナ鮨。それにフナのナマスを載せた飯という、豪勢なフナのフルコースである。すると、満身創痍で現れたイヲケノ尉は、それらを残さず平らげ、さらに空いたご飯茶碗に清酒を三杯も飲み干して、平然とした様子だったという。さすがに食べきれぬだろうと用意した膳であったが、それをペロリと平らげたイヲケノ尉に、松田はただ呆れるばかり。のちに周囲の者たちに「金が森の戦闘であいつが三ヶ所の傷を負ったと皆がいうのは、あれはきっとウソにちがいない」と語っていたという。まったくスーパーマンのような男である。
ちなみに彼は、毎月一八日の念仏講の一二月の幹事として『本福寺由来記』にその名が見えるが、その後に書かれた『本福寺跡書』になると、それが見えなくなる。おそらく『由来記』と『跡書』が書かれる間に死去したものと思われる。しかし、桶屋の家業は、弟の又四郎衛門、その子の弥六衛門へと、その後も受け継がれていったことが確認できる。
サムライも顔負けの武勇と胆力を誇る彼のような存在が、この時代の町や村にはゴロゴロ転がっていたのである。しかも、彼らの表向きの職業の多くは研屋だったり、油屋だったり、ふつうの商工業者であった。[本書42頁/56-62頁から引用]
いかがであろうか。
この桶屋のオヤジ、縦横無尽に暴れまわっているわけだが、あらためて云うが、そこらにいるただのおっさんである。
そして、歴史に名を残さずとも、おそらく、これくらいの人物ならば、そこらにゴロゴロいたのだろうと想像するだに、ワクワクしてこないだろうか。
自分なぞは、このてのエピソードに弱く、もっと読みたいと思わずにはいられないのである。
ところで。
「堅田イヲケノ尉」が属する階級というのが、いわゆる「士」以外の「農工商」にあたる身分ということになるわけだが、著者によれば、そこから連想される中学・高校の歴史の教科書に叙述されているような「身分制」のイメージは、以下のごとく、そもそも間違っているそうである。
「「士農工商」は、中国の古典に由来する言葉で、本来の意味は「あらゆる職業の人」とか「全国民」といったものなのである。その順番には何の上下関係もない。江戸幕府の成立以前から存在する言葉であって、決して江戸幕府の政策スローガンでもないのである。だから、室町時代当時も江戸時代の人々も、決して職業・商人を武士や農民の「下」になる身分などとは考えていなかった」
「『本福寺跡書』には、次のような威勢の良い記述までが見える(現代語訳)。「諸国の百姓には、みな主人をもたないよう、もたないようとする者が多くいる。……それに比べて、主人から施された飯で口を汚し、主人のそばに控えて冷たい板敷をただ温めるしか能のない侍たちは、貴人から接待されるということもないだろう。しかし、侍のように主人をもつことのない百姓や町人は、貴人の前でも堂々と接待を受けることができる。なぜならば百姓は王孫(天皇の子孫)だからである。」ここでは、主人に仕える侍たちを徹底的に軽蔑し、それに比べて主人をもたない百姓(ここでは農民に限らず一般庶民の意味)は誰にも諂う(へつらう)必要がない自由な立場にあることが、じつに誇らしげに語られている。しかもそうした百姓たちのもつ根源的な自由さは、百姓が「王孫」であることに由来すると断言されている。百姓はみな天皇の子孫であり、誰に頭を下げる必要もない存在なのだ。ここには武士を支配階層として社会の頂点に据えて、農民・職人・商人をその「下」に位置付けるような発想はない。むしろ逆に、武士を百姓よりも「下」に見るプライドすらうかがえる。これは堅田や本福寺だけに芽生えた特殊な思想ではなく、どうも中世社会に一般的に見られる考え方だったらしい。その証拠に、百姓たちは公文書で自分の身分を名乗るときには、きまって「御百姓」と書くことになっていた。ここには「百姓」が天皇に直結する潜在的に高貴な身分であるという自意識が反映されているようだ。こうした多分に幻想を含んだ民衆思想のことを、研究の世界では「御百姓意識」とよんでいる。[本書63-66頁から引用]
上記、まさに目から鱗であり、本書にはこれ以外にもこういったトピックが目白押しであり、まこと興味が尽きぬ充実の内容である。他にも、簡単に引いておこう。
「中世の日本社会は、朝廷や幕府などの定める「大法」とはべつに、様々な社会集団に独自の「大法」があって、それが各々拮抗しながら、併存していた。人買いたちの「大法」も、そのうちの一つである。もちろん特定のコミュニティーのなかに固有のルールが存在すること自体は、現代の学校の校則や会社の就業規則を思い浮かべればわかるように、いつの時代でも決して珍しいことではない。ただ、当時の社会の独特なところは、ここでの人買いたちの態度からもわかるように、それが公的に定められた法に反するものであったとしても、彼ら自身、それを堂々と主張し、時としてそれが国家が定めた法よりも優越することがありえたというところだ。話は「赤信号を渡ってはいけないが、現実にはそのルールを破る人もいる」といったレベルではなく、「赤信号は渡ってはいけない、というルールがある一方で、赤信号を渡って何の問題があるんだ、というルールも存在する」という状況だったのだ」[本書127頁]
「妻のある男性が別の女性に浮気をする。というのは、好ましいことではないにせよ、現代でも時おり耳にする話である。しかし、これが「浮気」ではなく「本気」になってしまったとき、悲劇は起こる。夫が現在の妻を捨てて、別の新しい女性のもとに走る。そんな信じがたい事実に直面したとき、現代の女性たちならどうするだろうか? ただ悲嘆に暮れて泣き明かす? 証拠を揃えて裁判の準備? 週刊誌に告発? あまい、あまい。そんなとき、過去の日本女性たちは、女友達を大勢呼び集めて、夫を奪った憎い女の家を襲撃して徹底的に破壊、ときには相手の女の命を奪うことすら辞さなかったのである。これが平安中期から江戸前期にかけてわが国に実在した、うわなり打ちという恐るべき習慣である。夫に捨てられた前妻(古語で「こなみ」という)が仲間を募って後妻(古語で「うわなり」という)を襲撃するから、その名のとおり、うわなり打ち」[本書156-157頁]
「鎌倉〜室町時代というと、鎌倉幕府や室町幕府に集った武士たちが"歴史の主役"で、坊主や神主は"前時代の生き残り"、あるいは武士に比べて"無力な存在"というイメージをもつ人がいるかも知れない。たしかに武士たちがもった"武力"を侮ることはできないが、当時において僧侶や神官たちがもっていた"呪力"というのも、場合によっては物理的な暴力よりも当時の人々を震撼させる巨大な力であったのだ。とくに「来世」の存在を信じ、「現世」は「来世」に至るためのステップに過ぎないという価値観をもっていた当時の人々にとってみれば、「現世」での果報を失うだけではなく、死後も無間地獄に突き落とされる可能性のある呪詛の力は、まさに、"最終兵器"であり、戦慄の対象であったにちがいない」[本書237頁]
──などである。
どれもこれも嘘みたいにべらぼうにおもしろく、本書の謳い文句にいわく、まさに想像のナナメ上をいくエピソードばかりであったこと、ここにうけ負っておきたい。
そして、これらがなおいっそうの興味関心を引くということの根幹にあるのが、これすべて"庶民の事蹟"であるという点である。
すなわち、当時、室町時代を生きた"ふつうの人びとの所業"であったという点だ。
そこらにいる、おっちゃん、おばちゃん、にいちゃん、ねえちゃんたちの話なのである。
歴史上の著名人、偉人のこぎれいに整えられた物語にはない生々しさがあって、この"リアル"のほうが断然おもしろい。
そして当ブログ的に言い換えるならば、贔屓目でみて、じつに"落語的"な世界観をも感じさせるものでもあった。
あらためて、是非にご一読をおすすめしたい本である。
◾️ 書誌情報
出版社:新潮社;文庫版|発売日:2023/12/25|言語:日本語|文庫:368ページ|ISBN-10:4101048312|ISBN-13:978-4101048314
▼ 目次・所収
第1部 僧侶も農民も! 荒ぶる中世人
悪口のはなし──おまえのカアちゃん、でべそ|山賊・海賊のはなし──びわ湖無差別殺傷事件|職業意識のはなし──無敵の桶屋|ムラのはなし──"隠れ里"の一五〇年戦争
第2部 細かくて大らかな中世人
枡のはなし──みんなちがって、みんないい|年号のはなし──改元フィーバー、列島を揺るがす|人身売買のはなし──餓身を助からんがため……|国家のはなし──ディストピアか、ユートピアか?
第3部 中世人、その愛のかたち
婚姻のはなし──ゲス不倫の対処法|人質のはなし──命より大切なもの|切腹のはなし──アイツだけは許さない|落書きのはなし──信仰のエクスタシー
第4部 過激に信じる中世人
呪いのはなし──リアルデスノート|所有のはなし──アンダー・ザ・レインボー|荘園のはなし──ケガレ・クラスター|合理主義のはなし──神々のたそがれ|余話 室町ピカレスク──ある地侍の生涯
対談
歴史は民衆によって作られる──ヤマザキマリ×清水克行