
良書というのは読後に読者の内面に確実になにかを残す。そしてそういった本とはまず出会えないといっていい。
その邂逅は稀なもので、だがしかし今回は、そのような千金に値する良書、稲垣栄洋『生き物の死にざま』(草思社、2021年)ならびに稲垣栄洋『生き物の死にざま はかない命の物語』(草思社、2022年)という本をご紹介したく思います。
本書はシンプルに、この地球上の生命、生き物のその生態、その生と死をつづった散文集です。これすなわち、紙面にこの地球上の"奇蹟"を書き留めているということ。
この奇蹟をまのあたりにして、その読書体験もやはり内面に律動せんばかりのものが込みあげてくるように思うのです。
◾️ 出版社紹介文
『生き物の死にざま』(単行本)
命あるもの、みなが最後は死を迎えます。それは、小さな小さな生き物たちであっても同じです。本書は、昆虫、魚類、ほ乳類、微生物など、さまざまな生き物たちが「晩年」をどう過ごし、どのようにこの世を去るのかを、動植物の生態を描くエッセイに定評のある著者が叙情豊かに描いた本です。セミは力尽きるとなぜ地面に仰向けに転がるのか、その時彼らの目に映るものとは。室内に侵入してくる蚊はどんな思いでやってくるのか──命の儚さと尊さを綴った本書。大人にもお子さんにも読んでいただきたい一冊です。
『生き物の死にざま』(文庫本)
すべては「命のバトン」をつなぐために──ゾウ、サケ、セミ、カマキリ、タコ……
生命の「最後の輝き」を描く。哀切と感動のベストセラー、待望の文庫化!
生き物たちはみな、最期のその時まで命を燃やして生きている──数カ月も絶食して卵を守り続け孵化(ふか)を見届け死んでゆくタコの母、地面に仰向けになり空を見ることなく死んでいくセミ、成虫としては一時間しか生きられないカゲロウ、老体に鞭打ち決死の覚悟で花の蜜を集めるミツバチ……。生き物たちの奮闘と哀切を描き感動を呼んだベストセラーの文庫化。いきも生き物イラスト30点以上収載。
『生き物の死にざま はかない命の物語』(文庫本)
生きるとは、何だろう? 死ぬとは、何だろう? コウテイペンギン、ツキノワグマ、ホタル、カエル……。限られた命を懸命に生きる様を描いた感動のベストセラー、『生き物の死にざま』の姉妹本!
明日の命もわからない世界で、生き物たちは「今」を生きている──土の中から地上に出たものの羽化できなかったセミ、南極のブリザードのなか決死の想いで子に与える餌を求め歩くコウテイペンギン、毎年熱帯から日本に飛来するも冬の寒さで全滅してしまうウスバキトンボ……。限られた命を懸命に生きる姿を描き感動を呼んだベストセラー『生き物の死にざま』の姉妹編。生き物イラスト30点以上収載。
◾️ 読みどころ私見
良い本である。
ほんとうに良い本である。
そういう本との出会いは、そうそうあるものではない。
出会えたら、それはほんとうに僥倖であり、奇蹟である。
そしてこの本は、そんな僥倖な、奇蹟のような生命の生きざまと死にざまとをつづった本である。
この地球の生物たちは、そのいのちをつなぐために生き、そして死んでいく。
この本はそれをただ、たんたんとつづっている。
あえて味も素っ気もなくいえば、たったそれだけの散文集なのだが、そのことがかえって、どこか惹きつけてやまない"質量"と"引力"とを感じさせるのである。
この魅力を語りうるためのことばを持ち合わせていない当方の不明と非力とを嘆かんばかりだが、とおりいっぺんに云うのであれば、それは本書がたんなる生き物の紹介にとどまらない、生命とは何かという問いを真正面から見据えた記述となっているからだろう。
だからそれが、たんなる表面的な生き物の生態の叙述にとどまらない、それを超えるなにかを読後に残すのである。
くり返しになるが、こういった余韻こそが良書たらしめる条件であると提示できるだけで、では、本書をどのように紹介すればいいのか、ありきたりの言葉しか持ち合わせない当紹介者としては甚だ不甲斐なく思うしかないのだが、ならば本書自身にこれを語ってもらうほかないだろう。
ということで、以下に本書の一部を引用させていただく。
これ以上の余計な言葉をさしはさめば本書の良さが損なわれるのではないかという紹介者の臆病がかえって本書の魅力を浮かびあがらせんことを願いつつ、お読みいただければ是幸いである。
「ハサミムシは肉食で、小さな昆虫などを餌にしている。しかし、孵化したばかりの小さな幼虫は獲物を獲ることができない。幼虫たちは、空腹に耐えながら、甘えてすがりつくかのように母親の体に集まっていく。これが最初の儀式である。いったい、何が始まろうとしているのだろうか。あろうことか、子どもたちは自分の母親の体を食べ始める。そして、子どもたちに襲われた母親は逃げるそぶりも見せない。むしろ子どもたちを慈しむかのように、腹の柔らかい部分を差し出すのだ。母親が意図して腹を差し出すのかどうかはわからない。しかし、ハサミムシにはよく観察される行動である。何ということだろう。ハサミムシの母親は、卵からかえった我が子のために、自らの体を差し出すのである。そんな親の思いを知っているのだろうか。ハサミムシの子どもたちは先を争うように、母親の体を貪り食う。残酷だと言えば、そのとおりかもしれない。しかし、幼い子どもたちは、何かを食べなければ飢えて死んでしまう。母親にしてみれば、それでは、何のために苦労して卵を守ってきたのかわからない。(中略)母親は少しずつ少しずつ、体を失っていく。しかし、失われた体は、子どもたちの血となり肉となっていくのだ。遠ざかる意識の中で、彼女は何を思うのだろう。どんな思いで命を終えようとしているのだろうか」
「サケは繁殖行動が終わると死ぬようにプログラムされている。(中略)無事に繁殖行動を終えたとき、その運命を知っていたかのように、サケたちは静かに横たわるのである。(中略)季節はめぐり、春になると、産み落とされた卵たちはかえり、小さな稚魚たちが次々に現れる。川の上流部は大きな魚もいないので、子どもたちにとっては安心な場所である。しかし、水が湧き出したばかりの上流部には、栄養分が少なく、子どもたちの餌になるプランクトンが少ない。ところが、である。サケが卵を産んだ場所には、不思議とプランクトンが豊富に湧き上がるという。生き絶えたサケたちの死骸は、多くの生き物の餌となる。そして、生き物たちの営みによって分解された有機物が餌となり、プランクトンが発生するのである。このプランクトンが、生まれたばかりのか弱い稚魚たちの最初の餌となる。まさに、親たちが子どもたちに最後に残した贈り物だ。(中略)こうして、サケの命は循環しているのだ」
「蚊はメスもオスも、ふだんは花の蜜や植物の汁を吸って暮らしている。じつに穏やかな昆虫なのだ。ところが、あるときメスの蚊は吸血鬼となる。メスの蚊は卵の養分として、タンパク質を必要とする。しかし、植物の汁だけでは十分なタンパク質を得られない。そのため、動物や人間の血を吸わなければならないのである。憎たらしい吸血鬼も、その正体は、我が子のために命を賭ける一途な母親の姿だったのである」
「「彼女は戦うために生まれてきた。彼女は戦士なのである。彼女は戦うために生まれてきた。そして戦うことに生き、戦って死んでいく。それが彼女に与えられた宿命なのである。」映画であれば、この物語はこんなナレーションから始まるのだろうか。彼女は、兵隊アブラムシである。「彼女」と呼ぶのは、すべての兵隊アブラムシがメスだからである。(中略)それだけではない。彼女たちのすべては、少女兵である。普通のアブラムシは卵から生まれた一齢幼虫から脱皮を繰り返し、やがて成虫となる。ところが、兵隊アブラムシは、生まれたばかりの一齢幼虫のまま成長することはない。成長の仕組みが備わっていないのだ。昆虫にとって「成虫」とは、子孫を残すための繁殖の世代である。兵隊アブラムシに与えられた使命は、他のアブラムシを守ることである。戦うために生まれてきた彼女たちは子孫を産む必要もなければ、成長する必要さえないのだ。そのため、彼女たちは幼虫のまま戦い続け、幼虫のまま死んでいく。彼女たちは幼き少女兵として、常に最前線で特攻を繰り返す宿命にあるのである」
「ハダカデバネズミには、さらに不思議なことがある。驚くべきことに、老化現象が見られないのである。そのため、その生態を解明することは、不老長寿の実現につながるのではないかと期待されている。(中略)「老化しない」ことは不思議に思えるが、よくよく考えてみれば、本当は「老化する」ことの方が不思議である。私たちは、歳をとると体にガタがくるのは、当たり前と思うかもしれないが、そうではない。確かに家電製品や自動車は、年数が経てば古くなる。しかし、人間の体はずっと同じものを使い続けているわけではない。人間の体は細胞分裂を繰り返しており、常に新しい細胞が生まれ続けているのである。たとえば、肌の細胞であれば、1ヶ月ですべて新しく生まれ変わる。そのため、私たちの体は生まれたての細胞で包まれている。生まれたての赤ん坊と同じなのだ。しかしながら、私たちの肌はどう見ても赤ちゃんのようにピチピチでない。それは、細胞が老化するというプログラムを持っているからなのである。もともと細胞分裂を繰り返すだけの単細胞生物は「老いて死ぬ」ことはなかった。しかし単細胞生物が多細胞生物へと進化をしていく過程で、生命は「老いて死ぬ」という仕組みを作り出したのだ。「古いものを壊し、新しいものを創り上げる」これが、生命が作り出したシステムである。つまり、「死ぬことのない」単細胞生物は古いタイプであり、「老いて死ぬ」生物は、新しく高度なタイプなのである。細胞の中の染色体には、テロメアという部分がある。このテロメアが、細胞分裂をするたびに短くなることが知られており、これが老化の原因といわれている。テロメアは老いて死ぬために用意されたタイマーである。テロメアが刻々と死へのカウントダウンを刻んでいくのだ。テロメアさえなければ、人は老化することなく、不老不死が実現するのではないかという考えもある。しかし、生物はわざわざテロメアを進化させてきた。生物は進化の過程で、生存に不必要な遺伝情報は淘汰したり、機能しない仕組みを退化させてきた。もし、老化する仕組みが生物にとって不利な性質であるならば、生物は自らの遺伝子からテロメアを取り除いたり、機能を抑制するくらいのことは、とっくに実現しているはずである。テロメアは、生物が自ら獲得した時限装置である。「老いて死ぬ」ことは、生物が望んでいることなのだ」
「このジョロウグモは、公園の片すみにある木陰に巣を張っていた。彼女の母親であるメスグモは、秋の終わりに卵を産むと死んでしまった。これがジョロウグモの宿命である。春になると卵から生まれた子グモたちは、枝先などに上がっておしりから長く糸を出し、その糸で風に乗り、大空を目指して飛び立っていくのである。たんぽぽの種子が綿毛で新天地を目指すように、クモの子どもたちも、大空を移動するのだ」
上記引用は先行の単行本『生き物の死にざま』からの引用である。
ここに掲載した生き物以外にも、もちろんさまざまな生き物の生きざまと死にざまとが紹介されていて、また後続の姉妹編『生き物の死にざま はかない命の物語』も同じ構成で編まれているので、そのままセットで読まれることをおすすめしたい。
本書ではまた、生命科学の最新知見も各生き物の紹介文に織り込まれるかたちで開陳されている。
たとえば、不死のクラゲの話や、老化しないハダカデバネズミ、オスの存在が不明とされていたチョウチンアンコウや、卵や稚魚の存在が謎とされていたウナギの話など、興味の尽きない話ばかりで、個人的に驚かされる話も多かったことを付け加え述べておく。
そして最後に。
このような蛇足の感想を付け加えるのも本書の紹介にそぐわないような気もするが、恥を忍んで正直に告白させてもらうと、本書を読み終えて率直に、自分自身、もっとちゃんと? 生きようと意をあらたにしたものである。
われわれのまわりで懸命に生きる虫たち、鳥たち、動物たち、そして植物たちのほうが、怠惰な自身以上に、よほどちゃんと生きているのではないかと、むしょうに反省してしまった次第である。
◾️ 書誌情報
『生き物の死にざま』
出版社:草思社;単行本版|発売日:2021/12/3|言語:日本語|文庫:256ページ|ISBN-10:4794225504|ISBN-13:978-4794225504
『生き物の死にざま はかない命の物語』
出版社:草思社;単行本版|発売日:2022/2/3|言語:日本語|文庫:264ページ|ISBN-10:4794225636|ISBN-13:978-4794225634
▼ 目次・所収
『生き物の死にざま』
1. 空が見えない最期──セミ|2. 子に身を捧ぐ生涯──ハサミムシ|3. 母なる川で循環していく命──サケ|4. 子を想い命がけの侵入と脱出──アカイエカ|5. 三億年命をつないできたつわもの──カゲロウ|6. メスに食われながらも交尾をやめないオス──カマキリ|7. 交尾に明け暮れ、死す──アンテキヌス|8. メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス──チョウチンアンコウ|9. 生涯一度きりの交接と子への愛──タコ|10. 無数の卵の死の上に在る生魚──マンボウ|11. 生きていることが生きがい──クラゲ|12. 海と陸の危険に満ちた一生──ウミガメ|13. 深海のメスのカニはなぜ冷たい海に向かったか──イエティクラブ|14. 太古より海底に降り注ぐプランクトンの遺骸──マリンスノー|15. 餌にたどりつくまでの長く危険な道のり──アリ|16. 卵を産めなくなった女王アリの最期──シロアリ|17. 戦うために生まれてきた永遠の幼虫──兵隊アブラムシ|18. 冬を前に現れ、冬とともに死す“雪虫”──ワタアブラムシ|19. 老化しない奇妙な生き物──ハダカデバネズミ|20. 花の蜜集めは晩年に課された危険な任務──ミツバチ|21. なぜ危険を顧みず道路を横切るのか──ヒキガエル|22. 巣を出ることなく生涯を閉じるメス──ミノムシ(オオミノガ)|23. クモの巣に餌がかかるのをただただ待つ──ジョロウグ|24. 草食動物も肉食動物も最後は肉に──シマウマとライオン|25. 出荷までの四、五〇日間──ニワトリ|26. 実験室で閉じる生涯──ネズミ|27. ヒトを必要としたオオカミの子孫の今──イヌ|28. かつては神とされた獣たちの終焉──ニホンオオカミ|29. 死を悼む動物なのか──ゾウ
『生き物の死にざま はかない命の物語』
Ⅰ.愛か、本能か
1. コウテイペンギン──氷の世界で数か月絶食して卵を守り続ける父|2. コチドリ──子を守るための「擬傷」と遺伝子の謎|3. ツキノワグマ──一年半の子育てを繰り返す母グマと銃声|4. オビラプトル──化石から見えてきた恐竜たちの愛|5. カバキコマチグモ──最強の毒グモの最期の日は、わが子の誕生日|6. ゴリラ──「幼稚園」での集団保育と、家族に囲まれた最期|7. チーター──狩りも子育ても一身に背負う母の苦難|8. ブロブフィッシュ──世界一〝ブサイク〞な魚の深海での愛
Ⅱ.生き物と人
9. セミ──羽化をはばまれた夏|10. シラスとイワシ──大回遊の末にたどりついたどんぶり|11. ウナギ──南方から日本へ向かう三〇〇〇キロの旅の果て|12. ホタル──ある夏の「こぼれ蛍」の孤独|13. ゴキブリ──不死身の「生きた化石」|14. ウシ──最後は必ず肉になる経済動物|15. ヒョウ──剝製となった動物たちの悲しみ|16. 渡り鳥──バード・ストライクの恐怖
Ⅲ.摂理と残酷
17. カエル──モズに串刺しにされたものたちの声なき声|18. クジラ──深海の生態系を育む「母」|19. ウスバキトンボ──熱帯からの日本行きは死出の旅|20. ショウリョウバッタ──干からびても葉を離れない「即身仏」の祈り|21. クマケムシ──なぜひたすら道路を横切るのか|22. カタツムリ──動きを操られてしまった臆病な生き物|23. 日本ミツバチ──世界最凶のオオスズメバチに仕掛ける集団殺法
Ⅳ.生命の神秘
24. 雑草──なぜ千年の命を捨てて短い命を選択したのか|25. 樹木──「生と死」をまとって生き続ける|26. X──今あなたがいる、という奇跡|27. 人間──ヒト以外の生き物はみな、「今」を生きている