
冬といえば雪見酒宴。
こうして四季を追いかけると、日本人というのは風流にカコつけて年中酒を呑んでいるんだなぁ、と思わなくもないが、まあ、それはこじつけだろう。
ところで、学生の頃、アルバイトで葬儀屋の手伝いをしていたことがあったのだが、そこで聞いたちょっと驚く話があって、それは葬儀屋にも繁忙期があるというのだ。
それがこの冬の時期、とくに正月前の12月になぜか忙しくなるそうで、いやはや不思議なことである。
そのときにお世話になったバイト先の送り人の方談によると、病等で亡くなられようとする方が、親類縁者に迷惑をかけまいと、新春を前にして事切れようとするのではあるまいかと話されていた。
これを聞いたとき、どことなく説得力があるようには感じたのだが、それにしても不分明であることにはかわるまい。
まあ、またぞろカコつけるわけではないが、「師走」ということばの語源から類推するに、そういう連関もなきにしもあらずなのかなと思った次第である(かつての日本には、正月を前に先祖供養の法事をとりおこなう風習があり、各家に師(仏僧)を招くことが多かったため、師が忙しく走りまわる(馳せる)ということで「師馳す(しはす)」となった)。
さて。
呑み屋にあしげく通うようになると意外な出会いや知己を得て、そこだけの付き合いとはいえ、なかなかどうして人生に彩りを得たりするものである。
と同時に、別れというのもあって、先年の冬の折、行きつけの呑み屋の常連の呑み仲間がお亡くなりになり、葬儀に参列することとなった。
ふだん、その店でしか顔を見ない間柄の故人だったので、葬儀ではその人のまた別の表情が垣間見えて、意想外のことに驚くこともあったのだが、葬儀で故人を偲ぶことは、かならずしもしめっぽいことばかりではないのだなと思った次第である。
不謹慎を憚りながら、故人の人柄からしてけっして咎められないであろうことを確信しつつ、あえて言わせてもらうのならば、その葬儀にある種の"新鮮さ"すら感じたわけだ。
なんといえばいいのだろうか、その人のことを想い至すことに奇妙にも新しい関係性を見出すことになった、とでもいえばよかろうか。
葬儀はもちろん故人にとっては今生の終着点であるわけだが、だがそこで故人と周囲との関係が途切れるわけでもあるまい。
死者と生者の関係性はれきとして続くのだ。
だからその新鮮さは、関係性のフェーズが更新されたような目新しさだったと思う。
今後直接に顔を見合わせることのないさみしさはもちろんあるが、たまに思い起こして、その思いのなかで一献酌み交わす関係性というのもわるくない趣向ではないかと思った次第である。
そしてまた、だからというわけではないが、葬式が愁嘆場になるのも、どこか違うもののように感じる。
このことは葬儀に参列する際につねづね思っていたのだが、もちろん早逝や故人が自尽した場合などはこのかぎりではないが、年嵩の逝去であれば、しめっぽいお見送りはむしろどうなのだろうかと思わなくもない。
これは或る落語家の好きなエピソードなのだが、生前にせっせと人を笑わせてきたのに最後の最期で泣かれるようでは困ると、自分が亡くなった後の葬式では生前の自分の高座の録音を会場に流してくれと遺言した噺家がいたそうだ。
実際、参列者のあいだからは、おだやかな微笑がもれ、とてもよい葬儀だったそうである。
これなぞは故人のほんとうの人柄が偲ばれて、こういう終わり方ならば羨望すらおぼえる見事なものなのではないかと思う。
生きざまは死にざま、死にざまは生きざまと大袈裟なことを云うつもりはないが、こういった有終の美を鑑みるに、いずれ来る自身の葬式を想像してみて、このとりとめのない小生と地続きな、こざっぱりとした見送りを願わずにはおれないものである。
それにしても最近、高齢の親類はもとより、周囲の友人・知人の葬儀も多くなり、いよいよ自分も死を身近に感じる年齢になったのだとつくづく思うようになった。
そんな折、座右の書である三木清『人生論ノート』の「死について」という断章で、こんな一文を見かけた。
「近頃私は死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。
思いがけなく来る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齢に私も達したのである。この数年の間に私は一度ならず近親の死に会った。そして私はどんなに苦しんでいる病人にも死の瞬間には平和が来ることを目撃した。墓に詣でても、昔のように陰惨な気持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭──但し語原学には関係ない)と呼ぶことが感覚的な実感をぴったり言い表わしていることを思うようになった」
自分もこの実感に近いものを思うようになったものである。
死というものは本来、ただ静謐なだけのものであって、けっして薄暗いものではないのだ。
であるならば、葬儀も墓場も感情の振れるような場でもなければ、ただ平穏な、安寧とした、"在るがまま"のもののような気がする。
自分と周囲の人とに"身近に"死を思うにつけて、よりいっそうこの"平和"の感覚を強くするようになってきたものである。
と、そんなことを思い侍っていたところで、たまたま書店で、搦め手とでもいおうか、上野正彦『人は、こんなことで死んでしまうのか』(知的生きかた文庫、2024年)という本を見つけた。
手に取ってみると、そこには人間という生きものの生がこんなにも「あっけない」ものだということがさまざまな事例を通して書かれていて、関心を覚えた次第である。
著者は二万体もの検死解剖をおこなった元監察医、法医学評論家の方だそうで、これまで取り扱ってきたさまざまな事例から、たとえばこんな死因があったという。
「ゲップを我慢して死ぬ」「菓子の小さなかけらで死ぬ」「健康のための階段登りで死ぬ」「鼻血で死ぬ」「喉が詰まって死ぬ」「パンの早食いで死ぬ」「嘔吐で死ぬ」「おならが溜まりすぎて死ぬ」「いきなり冷たい水を飲んで死ぬ」「カラオケで死ぬ」「服の中に残った縫い針で死ぬ」「針を飲み込んで死ぬ」「扇風機のそよ風で死ぬ」──。
どうやら「え、こんなことで !?」という紹介のしかたが本書のセールスポイントのようで、また本書のほかの宣伝文句では「日常にひそむ死の危険」「こんな死に方、残念すぎる」「こんなことで死なないために、知っておきたい死のメカニズム」「ある日突然死なないために……/知っていれば知っている分だけ死ぬ可能性は低くなる」ということが謳われていたのだが、まあ、読む人によってはそう捉えるのかと思いはしたものの、これを読んで自分はそんなふうには受け止めなかった次第である。
むしろ、"こういうものなのだ"と思い、現代人はこうやって死んでいくんだと納得すらしたほどである。
そもそも死をどこか特別なものと考えようとすること自体に錯誤があるような気がする。
むしろ日常のなかにこそあり、日常にとけ込んでいるものであり、日常の延長線上にあるものだというべきだろう。
メディア上に溢れるフィクションの功罪か、死に対して殊更ドラマティックな想像を掻き立てる表現も多いが、実相はただ死はたんたんとそこにあるだけのものである。
この本の(著者はさておき)宣伝文句にうっすら垣間見える若干のコメディタッチのトーンはもとより、あるいは逆に、最近だとメディア上でことさら死の表現を忌避するような風潮も見かけられるが、それらが身近な死をかえっていびつに遠ざけて、タチのわるいオカルトまがいの囃し立てに毒されてしまっているようにも見えるが、そもそも死はただ澄明にそこにあるだけのものである。
もちろん、この本に書かれているとおり、避けられるべき死に対して未然に注意することは肝要なのかもしれない。
正月に餅を喉に詰まらせて亡くなることが多い老人にわざわざ咀嚼できないような大きさをふるまうわけにもいくまい。
あるいは、高齢になると風呂場の寒暖差で心停止を起こして亡くなる方も多いと聞く。であるならば、風呂に入る前に浴室を温めておくことを生活に取り入れるのは重要なことだろう。
が、それをやったとて、だれでも知っている事実である、人間、死ぬときは死ぬのである。
そしてそれは、本書にも書かれているような、ことさらこれを避けようとする論調とは相容れない、案外と「あっけない」ものなのだ。
私事になるが、数年前、叔父貴が亡くなったのだが、朝、目が醒めて起き上がった後、顔を洗おうと洗面台の前に立ったときにパタリと倒れて、異変を感じた叔母が即座に救急車を呼びはしたものの、そのまま搬送された病院で心不全で帰らぬ人となった。
訃報を聞いたとき、すん、と心が坐った気がしたのだが、親戚のなかでもウマが合った叔父貴の最期に哀しさが去来すると同時に、ああ、自分もこうやって死ぬのだな、こうやって死にたいものだなと、奇も衒いもなく思い至ったものである。
そもそもふだん、自分の死を想像できる人がどれほどいるのだろうか。
戦争や貧困、社会情勢の不安定で惨禍にある他国はいざ知らず、自分はこうやって死ぬだろうとイメージできる人がほとんどいないであろう、平和な現代の日本社会である。
ところで、かつての日本には、死者と交流し、死を懸想する文化、死を想う文化がたしかにあった。
祖先の霊を家へ迎える御盆の風習などが端的にそれをあらわしているだろう。
あるいは日本だって、百年にもみたない過去には戦争もしていたのだ。
当然、死は身近にあり、だから、大戦へと向かった明治から昭和前半期の狂躁の背景にはもちろんのこと、あるいはかつての武家社会においては、死を座右に置き、常在戦場と死を想い、死を超克しよういう心の鍛錬法まであった。
「自分はこうやって死ぬ」というイメージを明確にする訓練のようなもので、その引き合いに有名なのが、サムライのバイブルとされる『葉隠』である。
「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」で知られ、「犬死気違ひ」に武士の魂を見い出すという、だいぶ過激かつ特殊な位置づけにある思想書ではあるが、日常のなかで死をイメージすることの仕様については、なかなかに示唆深い視点を提供してくれる。
これを端的に、上手く表現した伝奇小説があるので、そこから引用しておこう。
少々長くなるが、隆慶一郎『死ぬことと見つけたり(上巻)』(新潮文庫、1994年)という作品からである。
「これは佐賀武士独特の心の鍛錬である。
『必死の観念、一日仕切りなるべし。毎朝心身をしづめ、弓、鉄砲、槍、太刀先にて、すたすた(ずたずた)になり、大浪に打取られ、大火の中に飛入り、雷電に打ちひしがれ、大地震にてゆりこまれ、数千丈のほき(崖)に飛込み、病死、頓死等死期の心を観念し、朝毎に懈怠なく、死して置くべし。古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る」となり。用心の事にはあらず、前方に(あらかじめ)死を覚悟し置く事なりと』
後年山本常朝が語り、田代陣基が筆記したという『葉隠』の中で述べられている異様きわまる生きざまを示すものである。
杢之助はこれを父の斎藤用之助からきびしくしつけられている。用之助は祖父の斎藤杢右衛門から仕込まれたという。父子三代にわたる鍛錬法だった。
朝、目が覚めると、蒲団の中で先ずこれをやる。出来得る限りこと細かに己れの死の様々な場面を思念し、実感する。つまり入念に死んで置くのである。思いもかけぬ死に様に直面して周章狼狽しないように、一日また一日と新しい死にざまを考え、その死を死んでみる。新しいのがみつからなければ、今までに経験ずみの死を繰り返し思念すればいい。
不思議なことに、朝これをやっておくと、身も心もすっと軽くなって、一日がひどく楽になる。考えてみれば、寝床を離れる時、杢之助は既に死人(しびと)なのである。死人に今更なんの憂い、なんの辛苦があろうか。世の中はまさにありのままにあり、どの季節も、どんな天候も、はたまたどんな事件も、災害も、ただそれだけのことであった。楽しいと云えば、毎日が楽しく、どうということはないと云えば、毎日がさしたる事もなく過ぎてゆく。まるですべてが澄明な玻璃の向うで起こっていることのように、なんの動揺もなく見ていられるのだった。己れ自身でさえ、その玻璃の向うにいるかのように、眺めることが出来る。
〈死人のくせに澄ましすぎているのではないか〉
己れを見て、そんな批判をすることもある。もっとも別段なおそうなどとは思わない。すべてがそのように出来ているのであり、それはそれでどう仕様もないことなのだった」
武士道精神を引き合いに出すがゆえに、もちろん尖鋭的な部分も認めるところだが、それを差し引いても死というものを想念することの実相がよく描かれているように思う。
転じて、では現代の日本社会で死を懸想するとは、この社会のありようを反映して「人は、こんなことで死んでしまうのか」というふうに畢竟至るわけである。
まあ、さまざまに日常の死の風景を思い描くことに上記『葉隠』を引き合いに出しては荷が勝ちすぎるかもしれないが、いずれにしても、この死のさまざまな"あっけのなさ"に思い至すこととは、それがどんなに馬鹿馬鹿しいと思えるような死にざまであったとしても、それはそれだし、それでいいのだ、と思える心の向きであろう。
なぜって、死はもとより"あっけない"ものだからだ。
ちなみに「あっけ」とは「呆気」と書き、つまり「呆然(ぼうぜん)としている」という意味である。
つまり生とは呆(ほう)けた、うたかたの夢のようなものであり、対になる"あっけのない"死とは、その阿呆の夢から醒めるということなのである。
最後に。
この生の泡沫の夢から覚めるような"現実的"記述、まったく意想外の角度から感銘を受けた記述に最近出会ったので、それを引いて終わりたい。
左巻健男『絶対に面白い化学入門 世界史は化学でできている』(ダイヤモンド社、2021年)からの引用である。
「あらゆるモノ(物質)は、原子からできている。まわりを見渡しても、机も椅子も本もノートパソコンなどの個体はもちろん、蛇口をひねると出てくる液体の水もすべては物質──つまりは原子からできている。私たちのまわりにあって隙間を埋めている気体の空気も例外ではない。そしてそれらをつくっている原子は、想像を絶するほどの莫大な数が存在している」
「地球上に登場した生物は、長いあいだに水中で進化した。ついには陸上にも進出すると、その一種として人類にもなった。生物体をつくる原子は、すべて地球をつくった原子たちだ。その原子たちを辿っていくと、星々の爆発やビッグバンに行き着く。つまり私たち人は星の子なのだ。私たちの体をつくる原子のうち一〇億個ほどは、かつてクレオパトラの体をつくっていたかもしれないし、さらにもう一〇億個はブッタなど歴史上の人物からやってきたかもしれない」
「人間の遺体は焼かれるとその六〇パーセント程度を占める水は水蒸気になって飛び去る。タンパク質や脂肪のほとんどは二酸化炭素と水(水蒸気)になってやはり飛び去る。煙には熱で分解された物質、灰には崩れた骨や体内のミネラル分のリン酸カルシウムなどが含まれているだろう。土葬では遺体が微生物で分解される。こうして空中や水中にばらまかれた原子たちは、どこかでまた別のモノの構成原子になっていく。たとえば、木の葉の一部、魚の体の一部、ゴキブリの体の一部、他の人間の一部として。それらの新しい場所も原子たちの仮の宿である。原子たちはほとんど永遠に、滅することなく地球のなかでぐるぐる巡回している。私たちの体をつくっている原子たちは、宇宙で生まれ、さまざまな変化をくぐって、いまここにいるのだ」