粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

【落語】三軒長屋

いつだったか、行きつけのバーのマスターから、ワイワイ楽しく喋りたい客と、独りで静かに呑みたい客の座席の誘導がむずかしいという苦労話を聞いたことがあります。

なるほどバーだから多様な客も来ようというもので、さすがプロの配慮はそこまで行き届いているのかと感心しつつ、そうはいってもなかなかうまくいかない場合もままあるようなので、だからこその苦労話。

たしかにゆっくり落ち着いて呑みたいときに両隣がやんやと陽気に話していれば気が削がれるわけで、ところで、それを地でいくような噺が落語にもあって、それが今回紹介する『三軒長屋』という演題です。

この噺、さながら巻き込まれドタバタ喜劇のような趣で、かつ、事の顛末とサゲがこれほど落語らしいといえばらしい作品はないといえるほどの典型的な作品。

また数あるネタのなかでも江戸に生きた人びとをイキイキと活写した作品となると、この噺をおいてほかないだろうといわれるほど、よく知られた作品でもあります。

 

◾️ あらすじ

江戸時代、庶民が住む「長屋」というと、裏店(うらだな)の棟割長屋、つまりは大店がならぶ表通りから脇道に入り、店の裏手にまわって軒を連ねて各棟がならぶ細長の平屋割を思い浮かべるかもしれない。

現代でいうならば、さしずめ大きな災害が起こったあとの仮設住宅がその姿形に近いといえようか。

今回の演題である三軒長屋はこれとはちがい、ひとつ屋根ではあるが、一戸ごとは広い、二階もある住居。

噺は、この三軒長屋の真ん中に質屋の伊勢屋勘右衛門、通称"伊勢勘"の妾が住み、両脇を鳶頭の政五郎と剣術指南・楠運平橘正猛が住んでいるというシチュエーションから始まる。

ちなみに楠方は道場になっている。

これでおおかた想像がつくと思うが、昼夜問わず剣術の稽古でやかましいということである。

一方の端は、がらっぱちの職人が集まる鳶頭の家となれば、昼間から若い連中が集まっては酒盛りをし、喧嘩騒ぎがたえない。

つまりは、真ん中ではさまれた伊勢勘の囲いの女からしたら、「両隣がうるさい」てな状況なわけである。

 

あるとき、鳶頭の政五郎が不在で姐御が留守番をしているところへ若い衆がやってきた。

喧嘩沙汰の仲直り、つまり手打ちをしたいのだが、金がないので二階を貸してくれという。

酒が入ると仲直りどころかまたぞろ喧嘩になるのが常の連中である。

そんなことがないようにと姐御が言い含めて貸すことになった。

と、階下で支度をはじめた若いしの下っぱが、チラリと顔をのぞかせた隣家の妾の美しさに驚く。

「これは、また……。姐さん、お隣のお妾さん、いい女ですね」

「ふん、お造りさ」

化粧で化けた顔だと軽くいなされながらも、それにしても、いい女だと溜息する。伊勢勘みたいな禿頭のじじいが金で囲っているかと思うと、なおさらくやしさがつのるばかりである。

もう一度、顔を見せないかな。湯屋へと出かけた姐御に「いってらっしゃい」と声をかけながらも、気もそぞろ、隣が気になってしょうがない。

すると燐家の玄関が開く音。「おっ!」と思ったら、中から醜女の女中が出てきた。

なんだいこれは。二階にあがって兄ィ連中と一緒になって醜女をからかう。

女中は年頃、泣いて家の中へ駆け戻った。

 

そこへ伊勢勘がやって来る。

「旦那さま、もうこちらさまでご奉公できません。どうかおひまをくださいまし」

「わたしも旦那にお願いがございます。どうか、ここの家を越してはくれませんか」

とうとう伊勢勘の妾が音をあげて、旦那に引越しをもちかけたのだった。

「だって、旦那の前でございますけれど、がまんできやしませんよ。おとなりの剣術の先生のところでは、このごろは夜稽古まではじまって、やっとう、やっとう、ですよ。壁にぶつかってドスンドスンいってますし、こちらの鳶頭のお宅からは酔っ払いが、さあ殺せ、さあ殺せって怒鳴り散らしているですよ。剣術と喧嘩のあいだにはさまれて、わたし、血のぼせがしちゃいますよ」

「そんなこといっちゃ、こまるな。このあいだここへ越したばかりじゃないか。それに━━」

伊勢勘によれば、この三軒長屋は彼の家貸に入っている。つまり抵当物件の家屋になっているから、「どうせ、もうすぐすれば、ここはあたしのものになる。約束の期限が切れたら、鳶頭ンところは物置にして、剣術の先生のほうは庭にでもして……」

もうしばらく我慢しておくれ、そう言って伊勢勘は妾と下女をなだめるが、そんな計画をよそに、政五郎宅の二階ではやっぱり喧嘩が発生。

いったん始まれば、「さぁ殺せ」までいってしまう血気盛んな連中である、ドシン!、バタン! とこちら側まで家鳴りの振動が。

しかも一方のお隣、楠道場でも折しもすさまじい乱稽古が始まった。

妾をなだめてもなお、呆れ返る伊勢勘であった。

 

後日。

妾の下女が口をすべらし、この話が鳶頭の姐御の耳に入ってしまう。

鉄火肌だから怒り心頭、妾への、女としてのおもしろからぬ感情もある。

折しも品川の遊郭から戻ってきた亭主・政五郎に「おまえさん、しっかりしないと男がすたるよ」と当たり散らした。

聞いた政五郎は「ふむ」と考え込む。

しばらくして一計を案じ、向こう隣の楠運平の道場を訪れる。

委細を語る政五郎。

事情知ったる楠先生も眼をむいて大憤慨である。

「なんと、けしからん!城攻めに等しい。門弟ども、すわ合戦だ。伊勢勘宅の縁の下に地雷火を仕かけよ!」

「そんなことしたら三軒もろとも吹っ飛んじゃいますよ!もっといい方法があるんですってば」

政五郎に耳打ちされた楠先生。

翌日、紋付袴姿、鉄扇片手に伊勢勘本宅を訪問した。

 

楠先生が伊勢勘に切り出したるは、門弟も増え、手ぜまになったので転宅しようと思うのだが、貯えがないので、むこう三日間、他流他門の剣客を招いて千本試合を催したいという申し出。

真剣で立ち合う者もあろうから、腕を切り落とされて駆け込むなど、不測の事態も起こりうる。三日間は戸締まりを厳重にして外出しないでほしいという恐怖の宣告であった。

驚く伊勢勘。

おそるおそる、「お金さえあれば、その千本試合とやらはなさらなくても済むのではありませんか」と問う伊勢勘。

いかにも左様。

では、と伊勢勘は必要額の五十両を提供した。

無期限無利子の貸し付けで差し上げたも同然だが、喜んで帰る楠の背を見送って、ひとまず安堵のため息をつく。

武士とはいっても金には弱い。どのみち立ち退き料を払うつもりだったのだから厄介払いだ、と伊勢勘はほくそ笑んだ。

 

そんなことを思っていると、今度は入れ替わりに政五郎がやってきた。

職人が増えて手狭になったので引っ越したいのだが、先立つものがない。そこで、江戸中の鳶頭に呼びかけをして花会を催し、資金を調達するつもりだ。

花会では酒は樽を据えて飲み放題、鮪の土手に包丁なんぞを添えてのお祭り騒ぎ。気の荒い連中が刃物出して生かすの殺すのと暴れかねないので、花会のあいだは、どうか戸締りをして外へお出にならぬよう、お願い申し上げます。

さっきと同じような話だが、相手が目下の職人のこと、伊勢勘は態度を変えて散々イヤミを言うが、それでも同じように五十両を供出した。手切れ金とでもいいたげである。

「なんだか、いただきに来たようで、申し訳ないですね。どうか、悪く思わないでおくんなさい」

「あんまり、よくは思わないね。ところで、かしら。さきほど楠先生も引越しなさるとおっしゃっていたんだが、おまえさんのほうはどこに越すんだい?」

「へい、先生があっしのところへ越してきて、あっしが先生のところへ越すんです」

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 三軒長屋

落語に頻出する「長屋」は町割り最奥の路地にある裏店(うらだな)の貧乏長屋で、九尺二間(間口九尺・奥行き二間ー畳敷で六畳分)の手狭なものが主流であるが、そういった零細なものばかりではなく、裏路地より表通りに近い横町・新道・小路などには、二階建てで間数もある、ましな長屋もあった。そういった長屋は、屋外共同便所の外後架ならぬ屋内専用手洗いの内後架も備え付けられており、草花などが楽しめる小庭もあったそうだ。『三軒長屋』の舞台となる建物はこちらである。

こういった長屋に居を構えた住人はおもに大工棟梁、火消頭、居職人親方、稽古事師範、医者、大店隠居、小店商人、そしてお囲い者らだったそうである。

▼ 鳶(とび)

現代であっても鳶職を大工と誤解されている方も多いと思うが、同じ建設現場で活躍する役職というだけで、仕事内容は異なる。

鳶職は重量物をあつかったり、足場を組む仕事、つまり高所作業をメインにしているのに対して、大工はこれをせずに、木造建造物を建てたり、修繕したりするのがおもな仕事となる。

そこは完全に分業となっており、ポイントは鳶職が高所作業の請負人というところにある。

江戸時代、鳶職は土木建築の日雇い人足から発生したといわれるが、とりわけ身軽で高所での作業に有能な鳶人足(鳶の者・鳶の衆)は、その技能を生かして、のちに常駐の火消し人足になっていった。

大火の多かった江戸ならではの事情であるが、当時は類焼を防ぐために火元に隣接する家屋を倒壊させるのが消火活動のメインだったため、高所での物見と建築現場での作業を得意としていた鳶職が消防と結び付くことになったわけだ。

享保年間に町奉行・大岡越前守の組織した地域消防体制によって町々の常備になったそうだが、平時は鳶人足として本職の土木建築や溝浚い(どぶさらい)などの清掃活動に従事し、出火に際して火消し人足として緊急出動するところから「火消し鳶」と呼ばれるようになった。

隅田川以西の町々をいろは四十七の小組に分け、各組で頭取(鳶頭)・纏持(まといもち)・梯子持(はしごもち)・平人足と組織化された火消し鳶は、地域防災の自警団として庶民の人気も高かったそうだ。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

年嵩のいかれた方々ならば思い起こせる、昭和の名物お笑い番組『8時だよ全員集合』(ドリフターズ)はいわゆるドタバタ喜劇というやつで、この噺はその雛型に位置するような作品であるといえる。

テレビもだいぶ様変わりしているから、かの番組のような大掛かりな舞台装置と舞台転換とを使った観劇プログラムはもう出てこないのだろうなとは思うが、あれがこの落語の様子をよくあらわしていたように思う。

あるいは、アメリカのTVショーでいうところの"シットコム"、シチュエーション・コメディというものがあるが、これを地でいくのがこの『三軒長屋』という演目である。

シットコムの場合、複数の演者のからみで構成されるストーリー展開を、落語の場合、噺家ひとりで演じ分けてしまうのだからスゴい。

この噺の場合、後半の狂言回しとなる鳶頭・政五郎はもとより、小股の切れ上がった姐御、たたき上げのしたたかな商人・伊勢勘、いささか常軌を逸した江戸の剣客・楠運平などがきっちりと色分けして人物造形されており、三軒三様の多彩な人間像を浮き彫りにする描写力が要求されるのだから、それが至難のわざであることはいうまでもあるまい。

芸談となるが、近代の名人・橘家円喬がこれを得意としていたそうだ。

ほかにも五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、六代目柳家小さんの演じ分けが傑出していたそうで、それぞれの持ち味があったそうだが、見落とされがちな姉御の存在を引き立たせ、色香を残した伝法ぶりを再現した圓生独自の表現の境地は一聴に値したそうである。

が、筆者としては、やはりここでも三代目古今亭志ん朝を推したい。

この噺、後半になるほどスピーディーに場面転換を演出していかないと、せっかくの人を喰ったサゲが生きてこないのだが、志ん朝はこれがうまかった。

三軒の状況を素早いカット転換でめくるめく描写してゆくさまは、一線を画した口演だったように思う。

 

いずれにしても、この噺の魅力は、職人、商人、武士などの各階層が個性的に活写されている点にあるだろう。

江戸を生きた人々のイキイキとした生活の様子と人間模様が描かれているところに、あるはずのない懐かしさと憧憬をおぼえてしまうのは筆者だけだろうか。

とはいっても、現代にも続く隣近所の騒音問題はやはりご遠慮願いたいものである。

そういう意味では被害者である伊勢勘のほうがトホホな状況なわけだが、この噺ではそれが逆転して伊勢勘のほうが悪役めいた役どころになっているのが少々可哀想に思いつつも、そこには落語のもつ皮肉めいたヒネリの感性も存分に発揮されていて、おもしろい作品であることはいうまでもない。

 

◾️ YouTube 視聴

[2026年5月現在、視聴可能なものとなります]

▼ 音声のみ

・三遊亭圓生[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=yhkRZUQTHFw

・三遊亭金馬[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=Xq8hx9QLih4

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=pN_jkNH68xk

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)