粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

【読書】"捨てる"のは快楽だと思う──『持たない男』(中崎タツヤ)

物価高騰の昨今、生活の質を見なおす気運が高まるなかで、当ブログがそういった意識改革を促す? 意図でご紹介したいのが、中崎タツヤ『持たない男』(新潮文庫、2015年)という本です。

いわゆる「断捨離」啓発本に分類されるであろうエッセイなのですが、正直、そのなかでも最左翼に位置するスタンスで、参考にするには極端な例といえるかもしれません。

が、著者の本職はギャグ漫画家なので、その"地味にエキセントリック"な内容にニタリとしつつ、極端な例だからこそ自身の生活を突き放して見る契機にしやすいのではないかと思う次第であります。

 

 

◾️ 出版社紹介文

命と金と妻以外、なんでも捨てる! 人気漫画『じみへん』作者は究極の断捨離オトコだった──。空き部屋のような仕事場、妻を説き伏せ捨てたソファ、燃やしたらスッキリした大量の漫画原稿。憧れは、マザー・テレサのようにシンプルな生き方。けれど物欲も人一倍強く、好みの茶碗を求めて地方まで出かけたり……。極端すぎる捨て方に笑いが止まらない、異才の漫画家が放つエッセイ集。

 

◾️ 読みどころ私見

「断捨離」ということばが市民権を得て久しい。

その名を冠したテレビ番組も放映され、またそこから派生したのかさだかではないが、ミニマリストと呼ばれる人たちのライフ・スタイルも広く認知されて、ずいぶんと年月を経たように思う。

そして脈絡もなく現在。

物価高騰、あるいは老後資金不足、はたまた人口減少による労働力不足、経済不安の只中にある。

家計の額が増え、貯えがじわじわと目減りしていく昨今において、いまいちど生活の質を見直さねばならない時季にある、というのが昨今の世相ということになろう。

ということで、生活の質、ひいては「モノを持つ」ということについて問い返す契機として、いま一度、「断捨離」というキーワードが浮上するように思う次第である。

 

と、おおなたをふるって生真面目なことを宣わってはみたものの、当ブログは色物であるので、この「断捨離」をもうちと下世話に読み換えてみて、「捨てるのってじつは気持ちいい」ということを、ここに訴えてみたいのである。

あれ、本の紹介では? とお思いの方、もうしばしお待ちいただきたい。

 

まずは、卑近ではあるが、みずからの実例から。

仕事がらみで引越しを多くしてきた経緯のある筆者にとってみれば、じつのところ先刻から述べている「断捨離」というものが自然と身についていたのである。

場所が変われば必要なものも確実に変わってくるからで、たとえば部屋が狭くなれば諸々の家具も当然サイズダウンしたものに買い替えることになったし、それが転じて買い替えないで済む方向でなんとかできないかを検討するようになり、仕舞いにはどんどん「いらない」方向へ進んでいくことになった。

が、勘違いしないでいただきたいのは、ここで「断捨離」自慢、喧伝などをしているわけではない。

肝要なのは、そのプロセスを経るうちに得ることになった気づきなのである。

それすなわち、先ほどから申し述べている「捨てるのってじつは気持ちいい」というのがそれで、このことを訴えたいのある。

 

「捨てる」という行為は、じつは生理現象に近いと個人的には思っている。

つまりは、排泄行為だ。

食事と同じで、人間の身体が必要なものを摂取して、そして老廃物を排泄するように、それは自分の住まい、自分の部屋などにも当てはまる。

だれしも日常的にゴミを捨てているわけだが、その都度で自分の棲家に必要のないものを捨てるという、これは小便。

小とくれば大とくるが、一見するとゴミの体裁をとっていない、見た目ゴミでないモノでも、不必要なものは確実にあって、それはいらないものであり、そういったいらないものを中長期的にまとめて、ごそっと処分・排泄するのが大便ということになる。

そしてこの便通、お通じ、捨てるという行為は、生理現象と一緒で"快"をともなうものなのである。

大をしてスッキリ、というのは、だれしもふだんから経験しているはずのことだ。

ところが家に大量のモノをため込む人もいる。

こういう人はつまりは便秘状態なわけで、これはやはり不健康・不健全なことと云わざるをえないだろう。

腹の内に老廃物をため込んで、うずくまっているようなものだからである。

いつか病気にもなりかねない。

そもそも、溜め込むことは、当人は気づかず、自覚がなくとも、生理的に"不快"なはずなのだ。

 

ところで排泄は、人間のからだの生理機能として、身体的な欲求ともいえる。

であるから、捨てることは欲望であり、これは人間の生活にも当てはまることである。

「モノが欲しい」「モノを買いたい」「モノを持ちたい」というのが欲望であれば、「モノを捨てたい」「モノはいらない」「モノを持たない」というのも欲望であり、欲求なのだ。

「捨てると気持ちいい」というのは、身体の欲求であり、生理的な快楽ともいえる。

そして、ようやくではあるが、ここで一冊の本を紹介したい。

この捨てる快楽をまざまざと綴りきった、中崎タツヤ『持たない男』(新潮文庫、2015年)という本である。

上の出版社紹介文に書かれていることはなんの誇張でもなく、まさに捨てる欲求に取り憑かれているとしかいいようのない珍記録とでもいうべき随想が開陳されていて、じつにおもしろい。

たとえばこんなでありさまである。

 

「私が捨てたいものとしては……例えば、ボールペンのキャップにはクリップが付いてますよね。シャツのポケットにペンをさしておくときは便利なんですけれど、私はシャツのポケットにペンをさすことはないので、必要ないと考えてしまう。そういう些細なことから「ああ、捨てたい」と思うんです。ボールペンのキャップのときは、結局、クリップを削っちゃったんですが机の上に置いておくと、転がってしまったんです。それが狙いかどうかはわかりませんが、ボールペンのキャップのクリップには、シャツのポケットにさす以外にも機能があることを知りました。捨てることによって、無駄だと思っていたものの大切さを知ることがあります。また、ボールペンのインクが減ってくると、減った分だけ長いのが無駄な気がしてきます。ですから、ちょっと書きづらくなるんですけれど、インクが減るごとにボールペンの本体も短く削っていきます。その作業はすごく面倒です。面倒ですがやり遂げると、精神的にはすごく落ち着きます。傍目からすると、真剣な表情でカッターでボールペンを削って、作業を終えると達成感でニヤニヤしているおやじなんておかしいでしょう。自分でもそう思います。ですから、かみさんがそばにいると、妙な目でみられているのを感じます。」

 

「この間、テレビをみていたら、理想の収納法として、一〇割詰め込むのではなく五割程度にするのがいいと紹介されていました。例えば、食器棚に食器は半分くらい入っているくらいがちょうどいいといっていたんですが、なるほどな、と思いました。私だったら、食器棚に半分くらいしか食器が入っていなかったら、食器を下半分によせて、棚の上半分をノコギリで切りとりますが、世の中にはいろいろな考え方の人がいるのだと思いました。確かに、食器棚の半分ぐらいのスペースを空けておけば、ごちゃごちゃせずにみばえもよく、使い勝手もいいのかもしれません。漫画のネタにもしたことがありますが、本棚も食器棚もノコギリで切りとって無駄なスペースをなくし、シンプルにしたくなるんです。パソコン用の机が横に長くて、ノコギリで切ったこともあります。」

 

この例をみて、偏執的あるいは極端の向きを感じる方もおられるかもしれないが、しかしこれは生理的な欲求にしたがった、きわめて合理的な行為とみる向きもある(笑)。

この「捨てたくてたまらない」感覚、自分なぞは、得心するというか、よくわかるのである。

いっそすがすがしささえ感じるし、「捨てるのは気持ちいい」という快楽を一度知ってしまった身としては、うんうんと頷いてしまうのである。

 

さて。

ここで冒頭に立ち返る。

現在、物価高騰、あるいは老後資金不足、はたまた人口減少による労働力不足、経済不安の只中にある。

家計の額が増え、貯えがじわじわと目減りしていく昨今において、いまいちど生活の質を見直さねばならない時季にさしかかっている。

そこで、本書を紹介して、当ブログが提案したいのは、次のようなことである。

 

歯止めのきかなそうな物価高の現在にあっては、もう「モノを買いたい」「モノが欲しい」「モノを持ちたい」という欲求を満たすのもままならなく、おぼつかなくさえなるだろう。

こちらの欲望ばかり追いかければ、確実に通帳の額面は減ってゆき、はては破綻しかねない。

であるならば、だ。

その欲求を、「モノを捨てたい」「モノはいらない」「モノを持たない」という欲求で代替するしかないのではないか。

なにせ、ベクトルの向きが反対なだけで、これまで述べたように、同じ生理的欲求であり、感じる快は同質のものなのだ。

「モノが減る」ということに不安を感ずる方もおられるかもしれないが、いかがなものだろう、減ったところで生活に影響することは案外ないかもしれなく、そして減ったぶんだけ生活空間に余白ができて、それが心の余裕にもつながるかもしれないと思うのだ。

これは「断捨離」周辺でよく語られている言説でもあり、当ブログでは、このメンタル・ウェルネスを網羅的に説明してくれる良書として、ここでもう一冊、次の本を紹介しておく。

佐々木典士『ぼくたちに、もうモノは必要ない[増補版]』(ちくま文庫、2019年)である。

 

 

こちらの本はもう七年も前の本になるが、まるで予言したかのようにさっくりと、昨今の状況の打開案を次のようにまとめてくれている。

 

「今後ますます、誰かに張ってもらうセーフティネットではなく、自ら張るセーフティネットが大事になってくるように思う。節約するためにもミニマリズムはとても有効な手段だ。ミニマリストになれば、いくつもの点から節約できるし、お金を貯めるのにも有効だ。

1.モノが少ないので、広い家が必要なく、家にかかるお金が少なくて済む

2.集めていたものを売れば、お金になる

3.モノを買うとき、真剣に吟味するのでムダ使いがなくなる

4.すでに持っているモノに満足しているので、物欲自体が薄くなる

5.ストレスが少ないので、ストレス解消のための食費や消費がなくなる

6.人の目線が気にならなくなり、結婚・育児・葬式などのコストが必要以上にかからない

7.仕事にミニマリズムを適用すれば、大きな成果があがり報酬もよくなる」

 

何度も云うが、ここに書かれていることは生理的欲求に根ざすものであり、ここに書かれていることを実践できれば、世間の経済的な揺れ動きに左右されることのない、健康的な生活とその循環を維持することができるように思うのだ。

作家・エッセイストの山口瞳さんが「人間は、しょせん一本の管である」という名言を残したが(『キマジメ人生相談室』、河出書房新社、2012年)、たかだが人間、食べて出すだけ、摂取して排泄するだけの存在であり、複雑に考えずとも、その身体の欲求と声にただただ忠実に耳を傾けていれば、この物価高騰の世も、案外、気楽に乗り切っていけるのではないかと思う今日この頃である。

 

 

追記:ちなみに、本書著者の本職の仕事のほうを紹介せずして、本書の魅力も伝わらないと思うので、漫画作品のほうも最後に簡単に触れておく。著者の代表作『じみへん』は小生にとっても愛蔵書であり、他作品も若い頃からつねづね楽しませてもらっております。

本記事の引用でも触れた「タンスをノコギリで切る」エピソードも、たしかどこかの作品で漫画化していたはず。どの作品収録されているのか定かではないのですが、これ以外にも漫画のなかで「断捨離」噺として描かれている作品はいくつかあったように記憶しているので、ご興味あればぜひに諸作品に当たられてみてはいかがでしょうか。面白いこと請け負います。

 

 

◾️ 書誌情報

出版社:新潮社|発売日:2015/5/28|言語:日本語|本の長さ:197ページ|ISBN-10:4101268711|ISBN-13:978-4101268712

▼ 目次・所収

第一章──なぜもたないのか?

もたない漫画家|もたないと仕事に集中できる|必要なものだけもつ|まだ捨てられる|仕事道具もシンプル|携帯電話はもち歩かない|資料を捨てる|パソコンを捨てる|引っ越しがラク|捨てなきゃよかったもの|ものを捨てても記憶は残る|シンプルが好き|バリカン|食べ物は捨てられない|取扱説明書について|実は物欲が強い|新しいものにすぐ飽きる|CDが揃わない|オートバイ|車検が通らない|科目別ノートの思い出

第二章──なぜ捨てるのか?

なぜ捨てたいのか?|スッキリ病|捨てる欲望|静かな仕事場|愛読書|万引きに間違えられる|妻を口説く|かみさん|カーテン|本棚|便利すぎてはつまらない|お遍路に出る|きっかけはショーケン|お遍路で捨てる|パンツは二枚|観光客に見物された|「奥の細道」へ|尻の痛み

第三章──もたない生活

ファッション|服は消耗品|食事|油ものが好き|ストレス発散法|お金はものである|あまり銀行に行かない|国民年金|老後

第四章──もたない人生

漫画の描き方|アシダカグモ|漫画家になる|何度もやめようと思った|オーストラリアに移住|五〇歳を過ぎて|漁師になりたい|母からの手紙|捨てなかった頃|父親の死|かみさんへの依存|土地|強迫観念|ゴミ屋敷

第五章──捨てられないもの

原稿を燃やす|シュレッダー|寄贈本|アルトサックス|所有する不安|もたない定義|もったいない

対談 中崎タツヤは「○○な男」である。(やましたひでこ×南伸坊)