つい先日、呑み屋であった出来事。
店に入ってきた客が「マスター、つまみはいいから」といったのを、違う客のリクエストでたまたまテレビの音量ボリュームをいじっていたマスターが「え、そのままでいいの?」と切り返して笑いを誘うという場面が。
入ってきた客には「そこは、つまみではなく、お通しだろう」と店中から突っ込まれていましたが、こういった言葉のとりちがいというのは日常茶飯事で起こっていて、たいした洒落も効いていない上のような例でも、なぜか笑ってしまう可笑しさがあります。
こういった笑いは、たとえば現代のお笑い芸人の漫才やコントなどでも多用されていて、いわゆる"すれ違い芸"というやつです。
本日は、その古典にも位置づけられ、落語版すれ違い芸ともいえる「今戸の狐」をご紹介。
◾️ あらすじ
文化年間、プロの芸能として落語が活況を呈し始めた頃のお噺。
初代三笑亭可樂の弟子に良助という男がいた。
落とし噺の作家・乾坤坊良斎の元門人で、良斎からのあずかりとなった前座だ。
弟子入りするには年季のいった年齢だったので、いろいろな事情を鑑み、中橋に住む師匠のはからいと世話で、今戸は小梅辺に居を構え、所帯をもたせてもらっている。
が、それでも当時、前座は無給である。
師匠の内弟子に入れば雨露もしのげるし、三度のおマンマもいただけるが、それだけ。
前座の身で小遣いが欲しくば、せいぜいが寄席で籤(くじ)売りをして稼ぐしかない。籤といっても景品は駄菓子のようなもの。たかがしれている。
良助はましてや通いの前座だ。籤売りだけでは到底、糊口をしのげない。
ということで、良助は密かに内職を始めた。
良助が住んでいる浅草花川戸の裏手にあたる今戸、そのまた奥には山谷と千住があり、そのあいだは橋場という。その橋場一帯は当時、江戸の庶民が日常用いる素焼き土器・今戸焼の生産地だった。
今戸焼には人形、猫、福助などさまざまな製品があるが、江戸はお稲荷さんが無数にあるから狐の人気が高い。
この狐に彩色をほどこすのが良助の内職となった。
直瓦を焼く職人にすすめられて、ほんの出来心で手を出したのだが、根が器用なのでうまくいった。
が、もちろん、芸道において内職は不覚悟であり、御法度である。
芸の虫・師匠可樂にバレれば即、破門だ。
ので、家の表戸を立て切り、屋根に取りつけた引き窓の明かりのみで逼塞しながら内職をこなしていた。
そんな良助の家の向かいに、小間物屋の女房が住んでいた。
元女郎で、千住の手前にある小塚原で年季があけたそうだ。この地を通称「コツ」といった。
この女房、前歴はそうでも働き者のまじめな女で、長屋のあいだで評判もいい。本人に言うことはないが、みな陰で「コツの妻(サイ)」と呼んでいた。
ある日、このかみさんが洗濯物を干していると、物干しの隙間から引窓越しに良助が仕事をしているさまをふと目撃した。
「あたしにもその内職をやらせてください」ということになり、良助の手ほどきを受けて、やがて一人前の仕事をするようになる。
一方、場面換わって、中橋の可樂の家。
深夜、弟子たちが籤の売り上げを勘定していた。
ジャラジャラという銭の音が戸外に洩れ出る。
ここに、夜のしじまに表をふらりと歩いていた町内の渡世人がたまたま居合わせる。
この音を聞きつけて早合点した。
どうやら可樂の家に賭場ができているようだ。俺たちならともかく、世にも聞こえた名人・可樂の家で禁制の博奕。ニヤリとひとつして、これをタネに強請ってやるか、とほくそ笑む。
翌日、さっそく可樂宅に乗り込んだ。
「おうおう、賽一粒でするチョボいちや二粒の丁半ではあるめぇ。近頃流行りの三粒のキツネだろう。ネタは割れているんだ。これからはな、俺が顔を出したら、いつでも黙っていくらか小遣いをこしらえておくんな。イヤだってぇとタメにならねぇぞ!」
なにを言っているのか皆目わからず当惑する可樂。
まったくもって言いがかりだと相手にせず、奥へ引っ込んでしまう。
「おぅ可樂、話の途中で立つって法があるかい! 隠れてキツネができているネタは割れてんだぞ!」
「隠れて狐?」
弟子の一人が首をひねった。
「それだったらここじゃない、橋場の良助のところですよ」
「なにっ!」
「ええ、師匠には内緒なんですけどね。ええ」
「やっぱり、そうか。毎日できているのか?」
「はい、そうだと思います」
「じゃあ、俺が行けば、いくらかこしらえてくれるのか?」
「ええ、そりゃぁもう、こしらえるでしょうとも。ですが、最初は隠すと思いますけど」
「そりゃあ、隠すだろうよ」
ほつれかかった話が、どういうわけだか、まとまってしまう。
可樂の家を後に、良助を訪ねる渡世人。
戸外で名乗ると、屋内ではあわてて品物を片付ける良助のバタバタする音が。
「おう、ドタバタしなくてもいいんだぜ。わかってるから、心配するな」
渡世人が家へ入る。
なかには良助一人だ。
ほかに誰もいないし、なにもない。
〈おかしいな、賭場ができているんじゃねぇのかい?〉
「おいっ!」
「はいっ?」
「あるんだろう、キツネが」
疑問に思って尋ねるが、シラを切る良助。
しょうがねぇなと兄弟弟子の名を出され、狐ができているかと訊かれては良助も嘘がつけない。
「できてます、あの、つい、苦しいもんですから」
「そりゃ、そうさ。誰だって、最初は苦しいからあつらえるもんだ。わかるぜ。だから、いくらか俺にもこしらえてくれねぇかい?」
「いえいえ、いくらか、では困ります。二十、三十、まとまらないと」
「おいおい、豪儀なこと言ってくれるじゃねぇか、うれしいねぇ。そうこなくっちゃ」
どこまでも頓珍漢に話が噛み合う。
「で、近頃はうまくいっているのかい?」
「ええ、どうにか顔が揃うようになりました」
「そうか、そうなるまでが苦労だよなぁ」
狐の彩色にムラがなくなるのも、賭場に人寄せするのも「顔が揃う」だ。
「で、どうなんだい? どこにあるんだい? 見たところわからねぇが、おおかた隠し戸か、畳を剥がして地下にでもあるのかい?」
「はい? 目の前に」
「はっ? どこだ?」
「ですから、こちらに」
とどのつまりは、切戸を開けて、戸棚にならんだ狐がズラり。
「おい、こりゃあ、どういうことだ。俺のいったのはこんな泥の狐じゃねぇんだい! 俺のいっているキツネは"骨の賽(コツのサイ)"だ」
「ああ、コツのサイなら、向かいのおかみさんです」
◾️ 落語のことば補説
▼ こつ
日本橋を起点とする、五本の幹線道路が五街道だが、その最初の宿場は、東海道では品川、中山道では板橋、奥州街道と日光街道では千住、甲州街道では高井戸(のちに内藤新宿)に置かれた。この品川宿・板橋宿・千住宿・内藤新宿(新宿)を四宿(ししゅく)と呼ぶ。
江戸の玄関口にあたるわけだが、旅籠には飯盛女を置く飯盛り旅籠と、置かない平旅籠があり、宿場街は歓楽街の様相を呈していた。
飯盛女は食事給仕の意味だが、公文書上の名目にすぎず、実質は娼婦、つまり宿場女郎である。
吉原のような官許ではないが、半公認・黙認の遊里といってよく、大見世(大妓楼)に客を送る引手茶屋まであるなど、制度・風俗とも吉原に次いで繁華を誇った。
四宿のうちの千住宿は、千住大橋の北と南にまたがっていて、北を上宿、南を下宿という。この南の下宿のはずれから、山谷(さんや)までのあいだが小塚原(「こつかっぱら」とも「こづかっぱら」とも呼ばれた)だったところから、下宿のことを略して「こつ」と称する。『今戸の狐』の向かいのおかみさんはここで宿場女郎をやっていた過去があるというわけである。
ちなみに、江戸の刑場がここ千住小塚原と鈴ヶ森にあった。
お仕置き場といい、公文書上では前者を浅草、後者を品川とも呼ぶ。晒し首の刑のことを獄門といったが、晒す場所の別が、はじめのうちは罪人の出生地が日本橋より東なら小塚原、西なら鈴ヶ森と決められていた。のちにこの別はなくなったが、この「こつ」には刑場としての小塚原の、「骨」のイメージもこめられていそうである。
▼ さい
「さい」には、采配をふるうの「采」、道中安全・勝運好転を祈る道祖神をあらわす「塞(さい、さえ)」、神社・寺院に奉納する賽銭の「賽」などの意味が含まれる。
もちろんこの噺の場合には博奕に御用達の「さいころ」の「さい」をあらわすわけだが、「さい」の材料には角・牙などがあり、つまりは骨製であることが「こつ」も連想させている。
ちなみに、さいころの「ころ」は言うまでもなく「転がる」の意だが、そのさいころでおこなう博奕には、使う個数による種類があった。
簡単に解説しておくと、一個が「チョボ」といい、張り子が当たれば掛け金の四倍を胴親からとれる。二個が「半丁」で、親がなく、子同士の勝負。三個が「狐」で、さいの目が一個合えば掛け金の同額、二個合えば三倍、三個合えば四倍とれる。四個が「ちいっぱ」で、大きさのちがうさい四個と、碁石四個を使う。五個が「天さい」で、一だけの目を黒白に塗り分けたさいを五個用いる。
賭博については、江戸時代中期から後期にかけて博徒が賭場に客を集めて行う形式が整ったそうである。
客はさておき、博徒のほうには階級制度があったそうで、下の地位から、三下(さんした)、出方(でかた)、代貸(だいがし)、貸元(かしもと)の順に序列づけられた。最下級の若者を「三下ヤクザ」というのはここから来ているそうである。
◾️ 鑑賞どころ私見
本作は、日常のどこにでも、だれにでもあることばのとりちがい、すれちがいを拡大、誇張して笑いを誘う噺の典型といえる。
先日、YouTubeで海外の人たちの日本文化リアクション動画集なるものを視聴していたのだが、そのなかで日本のお笑い芸人がやっていた「すれ違いコント」が大ウケしていたのを観て驚くと同時に、こういう笑いは万国共通なのだなと感心した次第である。
そしてこの「今戸の狐」も、その古典に位置づけられる作品である。
もっとも、江戸時時代の賭博という特殊な世界の用語や今戸焼という民芸土器を題材にしているので、現在においては、いささかとっつきづらい噺ではある。
ということで、この世界観を客に受け入れさせるためには、説明過多になるきらいがあり、噺家にしてみれば、なかなかにやっかいなネタだとは思うのだが、この噺について周到な予備知識の仕込みを施した三代目古今亭志ん朝の口演はやはり、一聴に値するだろう。
仕込みもやり方ひとつで説明くさくならずに芸に溶け込むということを実例した良き口演と評価も高い。
また志ん朝の実兄で同じく噺家の十代目金原亭馬生の口演もおすすめで、噺のなかの落語家が内職することについて、「むかしに限らず落語家には妙な気位の高さがあって、質屋通いはしても、手内職をするのは恥みたいに思っていました。今戸焼の狐を内緒でこさえてる感じをうまく出さないと成立しないはなしです」と話していて興味深かった。
そもそものところ、この噺、数あるネタのなかでも珍しい、落語黎明期の噺家の暮らしが描かれた異色の作品ともいえる。
もともと落語が活況を呈し始める初期の頃の芸人・菅良斎が、「かん良助」の名で寄席に出ていた際の体験を、その弟子の良助に託して創作されたのが由来だそうだ。
後に師匠の名を襲名して乾坤坊良斎として活動した良助自身は結局、落語家としては大成できず、講談師に転向しても泣かず飛ばずだったそうだが、創作(書き物)の才はあった人だったようで、その後、台本作家として世話講談のネタを多く書き残したそうである。
どこの世界にもこういった陰の功労者はいるもので、古典落語はこうして現在に連綿と語り継がれているわけである。
◾️ YouTube 視聴
[2026年5月現在、視聴可能な動画となります]
▼ 音声のみ
・古今亭志ん生[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=6YqRN4JtUIw
・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=wuyw1l86x-Q
・金原亭馬生[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=haRUo7mFEWU
◾️ 参照文献
・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)
・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)
・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)
・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談… 古典落語100席』(PHP文庫、1997年)