粗忽長屋で蒟蒻問答

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【読書】絶望と笑いは表裏一体? 突き抜けるがゆえに笑えるネガティヴの迫真──『絶望名人カフカの人生論』(カフカ、頭木弘樹)

本日は、世に転がる金言・名言集とはおもむきの異なる、「絶望名言」なる"ネガティヴ・ワード"を蒐めた、フランツ・カフカ著、頭木弘樹編訳『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫、2014年)をご紹介します。

ポジティヴ・ワードを唱えていれば人生良くなると喧伝する本が巷にあふれんばかりですが、こういう前向きさはどうにも疲れる、そう感じられている人ほど、本書は刺さるであろう内容となっています。

"後ろ向きなことば"が織りなす乾いた自嘲は、かえって自身の内を鎮める効用があるかもしれない。

そんなカフカのことばたちを、とくとご鑑賞いただければと思います。

 

 

◾️ 出版社紹介文

「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」これは20世紀最大の文豪、カフカの言葉。日記やノート、手紙にはこんな自虐や愚痴が満載。彼のネガティブな、本音の言葉を集めたのがこの本です。悲惨な言葉ばかりですが、思わず笑ってしまったり、逆に勇気付けられたり、なぜか元気をもらえます。誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはいた、巨人カフカの元気がでる名言集。

 

よく言われる「死ぬ気になれば、なんでもできる」という励ましにしても、心が消耗して、電池切れのような状態で、死を考えている人にとっては、「なにもできなくなったからこそ、死ぬ気になったんだ」と言い返したくなるかもしれません。心がつらいとき、まず必要なのは、その気持ちによりそってくれる言葉ではないでしょうか。自分のつらい気持ちをよく理解してくれて、いっしょに泣いてくれる人ではないでしょうか。(「はじめに」より)

 

フランツ・カフカ(1883-1924):オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで、ユダヤ人の商家に生る。プラハ大学で法学を修めた後、肺結核で夭折するまで実直に勤めた労働災害保険協会での日々は、官僚機構の冷酷奇怪な幻像を生む土壌となる。生前発表された『変身』、死後注目を集めることになる『審判』『城』等、人間存在の不条理を主題とするシュルレアリスム風の作品群を残している。現代実存主義文学の先駆者。

 

◾️ 読みどころ私見

本書は書店にならぶ偉人たちの名言・金言集とは異趣となる、カフカが残した"ネガティヴ・ワード"ばかりがおさめられた一風変わった本である。

「絶望名言」と名づけたれた、どんより重めのことばが並ぶのだが……、いい、これがじつに味わい深く、いいのである。

本書の醍醐味は、カフカについて語った編訳者の冒頭の紹介文によくあらわれている。引用してみよう。

 

彼は何事にも成功しません。失敗から何も学ばず、つねに失敗し続けます。彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。そのサラリーマンとしての仕事がイヤで仕方ありませんでした。でも生活のために辞められませんでした。結婚したいと強く願いながら、生涯、独身でした。身体が虚弱で、胃が弱く、不眠症でした。

家族と仲が悪く、とくに父親のせいで、自分が歪んでしまったと感じていました。彼の書いた長編小説はすべて途中で行き詰まり、未完です。死ぬまで、ついに満足できる作品を書くことができず、すべて焼却するようにという遺言を残しました。そして、彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。(中略)その発言はすべて、おそろしくネガティブです。

「そんな愚痴、読む価値あるのか?」と思われる人が多いでしょう。(中略)しかし、カフカは偉人です。普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、普通の人たちよりずっと下という意味での偉人なのです。その言葉のネガティブさは、人並みはずれています。

たとえば、

「将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。

将来にむかってつまづくこと、これはできます。

いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」

あまりにもネガティブで、かえって笑えてこないでしょうか。ひどく落ち込んでいる人でも、カフカがあまりにも極端に絶望的なので、「いや、自分はここまで絶望していないんだけど」という気持ちになってくるでしょう。カフカほど絶望できる人は、まずいないのではないかと思います。カフカは絶望の名人なのです。誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはき、誰よりも前に進もうとしません。しかし、だからこそ、私たちは彼の言葉に素直に耳を傾けることができます。成功者が上からものを言っているのではないのです。

 

本書に目通しして知ったことなのだが、意外にも、カフカのサラリーマン生活は順調で、出世もして人を使う立場にもあったそうだ。

原作も単品で幾作か読んで、その世界観を知るイチ読者からすれば、カフカに実生活でそんな社会性があったのかと驚きもしたのだが、しかし人には知れず、本人の内面は本書がよく蒐集して浮き彫りにしてくれているとおりである。

カフカは他にもこんなことばを残している。

私的で申し訳ないが、自身に引っかかったことばたちを、いくつかここに銘記しておく。

 

「たとえば、ここにAとBの二人がいて、Aは階段を一気に五段あがっていくのに、Bは一段しかあがれません。しかし、Bにとってのその一段は、Aの五段に相当するのです。Aはその五段だけでなく、さらに一〇〇段、一〇〇〇段と着実にあがっていくでしょう。その間に通過した階段の一段一段は、彼にとってはたいしたことではありません。しかし、Bにとって、その一段は、人生で最初の、絶壁のような、全力を尽くしても登り切ることができない階段です。乗り越えられないのはもちろん、そもそも取っ付くことさえ不可能なのです」──父への手紙

 

「目標があるのに、そこにいたる道はない。道を進んでいると思っているが、実際には尻込みをしているのだ」──罪、苦悩、希望、真実の道についての考察

 

「生きることは、絶えずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない」──断片

 

「ぼくはひとりで部屋にいなければならない。床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、ひとりでいれば何事も起こらない」──フェリーツェへの手紙

 

「ぼくの人生は、自殺したいという願望を払いのけることだけに、費やされてしまった」──断片

 

「ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、本当の自分というものがまったく失われている。それがぼくにはいやというほどよくわかる。仕事をしているぼくはまるで、溺れないように、できるだけ頭を高く上げたままにしているようだ。それはなんとむずかしいことだろう。なんと力が奪われていくことだろう」──日記

 

「真実の道を進むためには、一本の綱の上を越えていかなければならない。その綱は、べつに高いところに張られているわけではない。それどころか、地面からほんの少しの高さに張られている。それは歩いていかせるためよりも、むしろ、つまずかせるためのものであるようだ」──罪、苦悩、希望、真実の道についての考察

 

フェリーツェとはカフカの婚約者で、結局結ばれることはなかったものの、カフカがその人生で確かに懸想した女性である。

その恋人への手紙に書くことばとは思えぬ鬱内容であるのが、逆におもしろい。

カフカのことばに触れてあらためて思い浮かぶのは、絶望の突き抜けた先に、どこかカラッとした、虚空の可笑しみのようなものを感じるのである。

その乾いた空気は、たしかにカフカの諸作品にも通底していて、どこか、絶望と笑いとが表裏一体のものではないのかと思わされてしまう。

人間、哀しすぎて、むなしすぎて、おうおうにして笑ってしまうということがあるように思えるのだ。

ちなみに先の引用の「倒れたままでいることです」も、このフェリーツェへ贈ったことばである。

また、カフカは父とのあいだに確執(あるいは心の葛藤)があったのだが、上記一片の引用の他にもいくつもの所感を残していて、それもカフカならではの"低みからのまなざし"(高みではない)をたたえていて、ひどく腑に落ちるものが多い。

本書にもつまびらかに紹介されていて、関心ある方は本書を手にとることをお勧めする。

 

ちなみにここで、本書編訳者、文学紹介者の頭木弘樹さんの類書もおすすめしておきたい。

絶望の反対、希望にまつわる金言を多数残した文豪ゲーテとカフカのことばを対比した、フランツ・カフカ、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、頭木弘樹編訳『絶望名人カフカ × 希望名人ゲーテ』(草思社文庫、2018年)にも興味深い一行が多数紹介されている。

 

 

ゲーテもいい味だしているのだが、本記事ではカフカにしぼりたいので、同書からも数片を引用しておこう。

 

「無能、あらゆる点で、しかも完璧に」──日記

 

「この世界での、この町での、ぼくの家庭での、自分の位置というものに、まったく自信が持てない」──乗客

 

「目立たない生涯。目立つ失敗」──日記

 

「父の苦労話を聞くのは不快だ。今の若い者、とくに自分の子供たちの恵まれた環境について、たえずあてこすりながら、自分が若い頃に辛抱しなければならなかった苦労について話す。父はたしかにそういう苦労をしたし、ぼくはたしかにそういう苦労をしなかったが、だからといって、ぼくのほうが父よりも幸福だったということにはならないのだ。父はそのことを理解しようとはしない」──日記

 

「進みたいと望んでいる道を、ぼくは進むことができません。いえ、それどころか、その道を進みたいと望むことすらできません。ぼくにできるのは、じっとしていることだけです。その他には何も望めません。事実、他には何も望んでいません」──ミレナへの手紙

 

「孤独は、ぼくの唯一の目標であり、ぼくが最も心ひかれるものであり、ぼくの可能性をもたらしてくれるものだ。にもかかわらず、これほど愛しているものを、ぼくは怖れている」──ブロートへの手紙

 

残したことばのみならず、人物像としてもゲーテとカフカは正反対のキャラクターだったようだが、じつはゲーテもだいぶ苦労人で、そしてカフカはそんなゲーテのことを慕っていたようでもある(ゲーテの没後五〇年にカフカは生まれた)。

ここでは挙げないが、ゲーテのことばもゲーテの生きた文脈で読むとやはり含蓄があり、それを編訳者が前掲書で彫刻してくれているので、あわせてご一読をおすすめしたいところである。

そんなゲーテを橋頭堡にして、カフカの残された書きもののなかでも数少ない、「希望」ということばが散見される一文を最後に引用して本稿をしめることとしよう。

こんなことばである。

 

「もしぼくが赤の他人で、ぼくと、ぼくのこれまでの人生を観察したなら、次のように言わざるをえないだろう。すべては無駄に終わるしかなく、迷い続けている間に使い果たされ、創造的なのはただ自分を悩ませることにおいてのみだと。しかし、当事者であるぼくは、希望を持っている」──日記

 

「救いがもたらされることは決してないとしても、ぼくはしかし、いつでも救いに値する人間でありたい」──日記

 

それにしても、人生でつらく苦しいときほど、むしろネガティヴ・ワードのほうがかえって自分のこころを慰撫してくれるというのは、ほんとうのようである。

類書を読んでいるときも、どうにもカフカのことばのほうばかりを気にかけてしまった次第である。

ゲーテの前向きなことばもわるくはないのだが、それらはなんというか、都度の一服の清涼剤のようなもので、薬効はそれほど長くはなく、一方で、カフカの"後ろ向きなことば"のじわじわ染み込む感じは、もしかしたらかなり中毒性があるものなのかもしれないと思うのであった。

 

追記:同編訳者、文学紹介者・頭木弘樹さんの類書はさらにあって、頭木弘樹、NHK〈ラジオ深夜便〉制作班、川野一宇、根田知世己『NHKラジオ深夜便 絶望名言[文庫版]』(飛鳥新社、2023年)のほうもおすすめです。

 

 

これはタイトルにもあるとおり、NHKラジオで放送されたものを書籍化したもので、カフカ以外の文豪・偉人の「絶望」にまつわることばを味わうことができます。

ゲーテも登場しますし、他にはドストエフスキー、太宰治、芥川龍之介、シェークスピア、中島敦、ベートーヴェン、向田邦子、川端康成、ゴッホ、宮沢賢治など。

ちなみに、著者・頭木さんの落語の世界を紹介した文庫も本ブログではとりあげさせてもらっています。ご興味あれば、こちらもどうぞ。

 

 

mu-you-no-you-blog.net

 

◾️ 書誌情報

出版社:新潮社|発売日:2014/10/28|言語:日本語|本の長さ:272ページ|ISBN-10:4102071059|ISBN-13:978-4102071052

▼ 目次・所収

はじめに カフカの肖像──いかに絶望し、いかに生きたか|第一章 将来に絶望した!|第二章 世の中に絶望した!|第三章 自分の身体に絶望した!|第四章 自分の心の弱さに絶望した!|第五章 親に絶望した!|第六章 学校に絶望した!|第七章 仕事に絶望した!|第八章 夢に絶望した!|第九章 結婚に絶望した!|第十章 子供を作ることに絶望した!|第十一章 人づきあいに絶望した!|第十二章 真実に絶望した!|第十三章 食べることに絶望した!|第十四章 不眠に絶望した!|第十五章 病気に絶望……していない!|あとがき 誰よりも弱い人|文庫版編訳者あとがき|解説 山田太一