秋といえば月見酒宴。
と、云いたいところだが、こちらの風流にはほとんど馴染みがない、というか、これまでとんと縁がなかった。
いま現在、お月見の風習を続けておられる方はいるのだろうか。
秋口の満月の日というのは毎年変わるわけだから、風物行事として定着しづらい側面もあるのだろうと考えられるが、思い返せば、小学生の頃に地元で月見団子を食した思い出はあったりする。
そこから連想するならば、まあ、花より団子ではないが、秋といえば「食欲の秋」のほうがしっくりきて、いやはや現金なものである。
そう思ってみれば、秋はいそいそと酒場通いに精を出すというか、どことなく酒場が恋しくなる季節といえなくもない。
そんな秋の酒場で、特段、極私的に回顧することといえば、人肌恋しさとは真逆のことである。
数年前の新涼の折。
失踪というのがほんとうにあるということを、その歳にしてはじめて知った。
行きつけの居酒屋の見知った顔の人だったのだが、まあ、呑み屋やバーというものはかなりゆるい人の集まりではあるから、ある日を境にパタっと顔を見せなくなる客も往々にいるもので、そんな常連客の一人だと思っていた。
が、店の大将が人伝てに聞いたところによると、その人は店に顔を出さなくなったばかりか、どうやら"実生活"でも蒸発してしまったらしい。
その人の諸事情の断片をここに書くことはできないが、ありていにいえば夜逃げである。
かかわりの薄い人であったとはいえ、その顔を知るわけだから、やはりショックだった。
ましてや、話せば周囲を巻き込んで大声で笑うような快活な印象の人だっただけに、意想外の驚きもひとしおである。
正直、人が忽然と消えるという事実をまのあたりにしたのもこれがはじめてだったので、なんともいえない気分にさせられたのだが、だが、まあ、こればかりはどうにかなるものでもあるまい。
ただただ、その人のその後の万難少なからんことを祈るばかりである。
それにしても、人が忽然と消えてしまうという出来事は、ネガティヴな想像を掻き立てられるならば、一方で死を連想してしまうが、他方で失踪という場合、これとは違う感慨もわいてくる。
突然の訃報による喪失感とは違った、別種の距離感のようなものがあるような気がする。
その人はいまだ生の途上にはあるわけで、この事実があったればこそ、というのは強調に強調を重ねておきたいところだが、そうであるならば、その人の現在の寄って立ったるところを想像してみると、むしろそれまでのしがらみを脱した、その「解放」の身空への羨望のごときものすら感じたりもするのである。
そして、そう思えるならば、晴れやかではないものの案外と暗くもない、あるいは軽やかではないものの実はそれほど重いことでもない、とも思えてくるのである。
ところで、心理学ないし精神病理学のなかに「解離性遁走」という事例(症例)があるそうである。
苦悩を心中に溜め込んだ人が、あるときを境にそれまでの記憶を失って、今いる場所から離れて遠くへ旅立ってしまうという心の病だそうだ。
この病に罹う人は共通して孤独を求めるようで、ひとりでいるさびしさがかえってその人の心を慰撫し、そうやって心の回復をはかるのだそうである。
このとき周囲の人間は、その人のことをただそっとしておくほかない。
その人もかたくなにひとりでいることを選ぶほかなく、だからそこにはただ空間的な距離が介在するばかりである。
まあ、こういったすべてを投げ出したい心境というのは、ことの強弱をわきにおけば、渡世の人ならだれしも、多かれ少なかれ、そういった心持ちになる経験はあるように思う。
今回の失踪の人がこの心境に沿うようなかたちで夜逃げを実行したのかはわからないが、そんなことを朴念と思い馳せていたところで最近、偶然にもこんな文章に出会った。
菊池寛の短編「恩讐の彼方に」(『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』(新潮文庫、1970年)所収)の一場面である。
以下、引用するが、まあ、こちらの場合、登場人物の苦悩の中身が悪事をなした罪悪感に振り切ってはいるのだが、しかるに失踪、蒸発するありさまが非常に生々しく描写されていて、解離性遁走のことを多少なりとも想像しやすいだろう。
「市九郎は、お弓の後姿を見ていると、浅ましさで、心が一杯になって来た。死人の髪の物を剥ぐ為に、血眼になって駆け出していく女の姿を見ると、市九郎はその女に、曾つて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。その上、自分が悪事をしている時、縦令無惨にも人を殺している時でも、金を盗んでいる時でも、自分がしていると云う事が、常に不思議な分疏になって、その浅ましさを感ずることが少なかったが、一旦人が悪事を為しているのを、静かに傍観するとなると、その恐ろしさ、浅ましさが、飽くまで明らかに、市九郎の目に映らずにはいなかった。自分が、命を賭してまで得た女が、僅か五両か十両の瑇瑁の為に、女性の優しさを凡てを捨てて、死骸に付く狼のように、殺された女の死骸を慕うて駆けて行くのを見ると、市九郎は、もうこの罪悪の棲家に、この女と一緒に一刻も居た堪れなくなった。そう考え出すと、自分の今までに犯した悪事が、一々蘇って自分の心を食い割いた。(中略)彼は、一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は、自分自身からさえも、逃れたかった。まして自分の凡ての罪悪の、萌芽であった女から、極力逃れたかった。彼は決然として立ち上がった。彼は、二三枚の衣類を風呂敷に包んだ。先刻の男から盗った胴巻を、当座の路用として懐ろに入れたままに、支度も整えずに、戸外に飛び出した。が、十けんばかり走り出した時、ふと自分の持っている金も、衣類も、悉く盗んだものであるのに気が付くと、跳ね返されたように立ち戻って、自分の家の上り框へ、衣類と金とを、力一杯投げ付けた。彼はお弓に逢わないように、道でない道を木曽川に添うて、一散に走った。何処へ行くと云う当もなかった。ただ自分の罪悪の根拠地から、一寸でも、一分でも遠い処へ逃れたかった」
この描写にあるような切迫感がなければ、自分の抱える境遇すべてを捨ててしまうというようなことは、なかなかできないのかもしれないが、とはいえ、このような極度の心理的圧迫が、人をそうやって遁走させるのであろうことはよくわかる。
こういった場合の「現実」とは、譬えるならば、まるで山中で出会った猛々しい"熊"のようなものだろう。
そんな"熊"に出くわせば、だれしも一目散に逃げ出す。
いや、逃げるのは危ないのか?
けだし、"熊"の前でただただ立ちすくむしかないよりは、逃げおおせるほうがよっぽど果敢であり、その選択は英断なのかもしれない、と自分なぞは思ってしまうのである。
一方。
熊からの遁走はしかし、現実の厳しさからの回避を意味するだけではないようだ。
この心境は仏教の雲水の境地にも通底・通暁する。
それはむしろ先鋭的な「積極」のかたちであり、その性分は悲観ではなく楽観であるともいえる。
昨日もなければ明日もないが、それらを分つ今だけがそこにある、皮相のような境地だ。
さきほどの遁走から連想したのだが、ここで、これをよく活写した時代小説、隆慶一郎『かくれさと苦界行』(新潮文庫、1987年)の一場面を引いておきたい。(余談だが、隆慶一郎は極私的イチ推しの伝奇作家で、ここで紹介できる僥倖をかみしめたい)。
長い引用になるが、現実から逃れることが必ずしもネガティヴなことばかりではないと教えてくれる。
「義仙がその使者の来着を知ったのは、丁度朝の勤行を終えた時だった。大老酒井忠清の使いだと云う。義仙は一瞬眉を顰めたが、すぐ立直った。
〈どうということはない〉
己れの心にまったく動揺のないことを、満足の念をもって確かめた。今の義仙にとっては大方のことがどうということもなくなっている。五年の修行がようやくこの境地まで義仙を運んで来てくれたのである。
『只心を直にやはらかに持ち……有るをば有るとし、無きをば無きとし、ありのままなる心持、仏意冥慮にもかなふと見えたり』
これは『早雲寺殿廿一箇条』と呼ばれる北条早雲の家訓の一節であるが、今の義仙はまさにこの言葉通りの境地にいた。世にあることを、また起こらんとしつつあることを、そのまま認めうけ入れる柔軟な心の在り様だった。だからこそ、何事が起きようと、
〈どうということはない〉
と思えるのだった。
酒井忠清の使者は、まだ三十になるかならぬかの若者だった。いかにも頭の切れそうな秀才面だ。忠清の好きそうな型といえた。そういえば、忠清自身も大老にしては若すぎる切れ者である。この使者も若いが油断のならない相手に決まっている、と義仙は一目で見抜いた。
忠清の手紙の内容は簡単だった。五年前に忠清と義仙の間にかわされた契約は、まだ終わっていない、と云うのである。即刻手勢を集めて江戸に下り、吉原を討ち、『神君御免状』を奪取せよ。もっとも『御免状』とは書いていない。例の物を、と書いてあるだけである。
義仙は一読すると封書を巻きおさめ、使者に押し戻した。
「酒井さまにお伝え願いたい。柳生義仙は五年前に死亡つかまつりました。よってこの書簡をお受けするものがおりませぬ、とな」
使者がじろりと封書を見た。
「誰からのお言葉と申し上げたらよろしいのかな」
横柄な言い方である。だが義仙は気にもしなかった。
「法徳寺の住持烈堂の言葉とお伝えください」
使者が唇を歪めて微笑った。ひどく酷薄な感じのする、いやな微笑い方だった。そんな言いわけはとっくに見抜いているさ、と云っているようだった。
「そのように答えられるのを、殿はご承知だったようで、その場合はこう云えと申されました……」
義仙は黙って促すように使者を見た。
「余の意に添わぬ時は、法徳寺はなくなる」
使者の言葉は、充分稽古を積んだ恫喝と聞えた。
義仙は微笑し、軽く頭を下げた。
「有難いことだとお伝え下さい」
さすがにこれは使者の意表をついたようだ。目が大きく瞠かれた。
「なんと云われる !?」
「出家とは本来雲水だと手前は思っております。決して一所にとどまることなく、雲や水のように流れてゆくものです」
淡々と云った。日頃信じていることを話している、という堅固な落着きがあった。
「手前には今日までその思い切りがつきませんでした。なまじ菩提寺ということにこだわったのですな。どうしてもこの寺を捨てることが出来なかった。この寺がお上の手で潰されるなら、こんな有難いことはない。手前は心おきなく身軽な雲水になれ申す。左様お伝え願いたい」
義仙は一礼して立った。義仙は嘘を云ったのでも、負け惜しみを云ったのでもない。真底そう思ったのである。だから、立ち上がった時の義仙は、もうそれまでの義仙ではなかった。すでに雲水になり切っていた。事実義仙はそのまま法徳寺を出て歩きだし、雲水になってしまった。義仙こと烈堂は後に比叡山に登り、『籠山十二年』の修行を積んで高僧になった。だがこの時を限りに俗界の義仙は完全に消えてしまったのである。
使者の報告を聞いた酒井忠清は、
「逃げたか」
一言そう云っただけである。使者は何か云いかけて黙った。この若者はひどく動顚していた。あの日、柳生の里に泊まり、翌日もう一度説得するつもりでいたのだが、朝と共に義仙があのまま出奔したことを知ったのである。昨日の言葉は本気だったのである。しかもあのまま漂泊の旅にのぼったと云う。茫然とした。こんなにも気楽に、持っていた地位を捨てることの出来る男が世の中にはいたのか。その思いがこの若者を圧倒した。ひどく潔い、果敢な行為を見せつけられた気分になった。それに引きかえて、自分の主人もそれに従う自分も、恐ろしく不潔でみじめったらしい生物に見えた。使者はほとんど打ちひしがれて江戸へ戻って来た。
〈この男、もう使いものにならぬようだな〉
忠清は即座に若者の心を読んで、そう思った。不快だった。義仙にまんまとしてやられたような気がした。
〈所詮はぐれ者のせいだ〉
裏柳生の統帥という地位さえ捨ててしまえば、義仙は何の責任もない気ままなはぐれ鳥である。たとえ大老の強圧といえども、この手の男にとっては、何者でもあるまい。忠清は自分が間違ったことを知った」
「遁走」にもやはり陰と陽とがあって、その渦中で当事者は非日常かつ特別の思いをこもごもすることになるのだろうけれど、「逃げる」という事象は、じつはけっこう日常生活のなかに溶け込んでいるもののような観もある。
生活のあらゆる場面のなかでのちょっとした気持ちの切り替え、たとえばやる気を出すことと気を抜くことのオンオフなどにも「逃げ」の素因子が潜んでいる。
世間で「現実逃避」ということばをわりかしよく耳にすることを鑑みても(もはや常套句になっている観すらある)、それは明らかだろう。
あるいは人間関係に疲れた場合など、多くの人たちが個人のメンタルのバランスの吊り合いをとろうとする身近な処世術としても、無意識に「逃げ」を活用しているのではあるまいか。
あるいは現代ではさしずめ、SN Sで連絡がつかなくなる、LINEやインスタ等からいつのまにかアカウントが削除されている、ことわりなく電話番号が変わっている、なども「遁世」する典型的な例にあたるだろうか。
ネットワーク上での「不在」は、ある種、現代版「神隠し」であり、現代人はこうやって軽度な「遁走」を比較的頻繁になしているようにも思える。
が。
しかし、まあ、平素、穏当な社会的関係性のなかで生きるわれわれにしてみれば、上記の引用でみたような"度を越す"ような「掻き消え」はないかもしれないが、しかしながら潜在的には、たえずこの「逃げ」を横目でみながら"つくり笑顔"をしていること、身に覚えのある方も多いのではないだろうか。
その"つくり笑顔"の薄皮一枚を隔てつつ、心中でその芝居の幕を上げ下げしたり、舞台の袖へと行きつ戻りつしながら、人はみな現実を生きているわけである。
ところで、ひとつ断っておくと、これまでは逃げる側の言い分から「逃げ」の効用を傍観してきたわけだが、反対の、逃げられる側からしてみれば、こと利害関係があるような場合ならば、責任の所在をめぐる泥沼で、のっぴきならない含みも発生するだろう。
ましてや親愛の関係にあった場合、身が捥がれる思いもするであろう。
とはいえ、逃げられた側が逃げた側の無責任をいくら責め募ろうても、あちらが関係の網目の外に出てしまったならば、その人はすなわち「埒外」なのであり、つまりはどうあっても"らちがあかない"のである。
不謹慎を覚悟してあえて云う。
ならば、逃げられた側のほうこそ"居直る"しかあるまい。
逃げた側はもうそこにはいないのだ。
逃げられた側にとって、どこまでもそれを追いかけて自身も埒外に出んとするのは、身もふたもない言い方をあえてさせてもらえば、"骨折り損"なだけであって、こちら側に居残り、居直り、ぽっかりと穴の空いたその網目をつくろって生きることしか、選択肢は残されていないわけである。
そして、実のところ、逃げられた側は逃げた側の切断によって行き場を失うことになり、袋小路にうずくまったようにもなるわけだが、そうだとしても、逃げられた側は"くたびれもうけ"だけで終わるものでもないような気もするのだ。
空いたその穴が舟底にあれば、もちろん、その泥舟は沈みゆくのみである。
この場合はそういうものとして、坐して居直るよりほかないだろう。
しかし、そうではない場合、その穴は「風通し」になったわけだ。
それが良いのか、歓迎すべきものなのかは置いておくとして、あるいはその「空白は埋められる」。
そこには、これからなにかが"流れこむ"ことになるのが摂理であって、だとするならば、望むと望まざるとにかかわらず、そこにはあきらかに"可惜しさ(あたらしさ)/新しさ"が出来(しゅったい)する。
くり返すが、この"あたらしさ"が歓迎すべきものなのかどうかはわからない。
だが、その現象に、どこか「神のみわざ」のような伽羅倶利をみるのは自分だけだろうか──。
そこにボタンの掛け違いならぬ、ボタンの掛け替えを見出すならば、居ずまいを改めるきざしがみえるような気もするのだ。
そんなことを朴訥に考えていると、日本には古来より「神隠し」というものがあり、これは案外、逃げた側の救いではなく、逃げられた側に向けた、ある種の"恩寵"のようなものであったのかもしれないと望洋に感じるのである。
追記:シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(新装版、渡辺義愛訳、春秋社、2020年)から、以下のことばを引いておく。
「恩寵はあいているところを満たす。ただし、恩寵を受け容れる真空のあるところにしかはいっていかない。そしてその真空をつくるのは恩寵である」
「真空を求めてはならない。真空を埋めるために超本性的な糧に頼るのは神をこころみることになるだろうから。真空を避けてもいけない」