
前々回の茶碗、前回の茶碗ときて、骨董噺つながりで、今回は『猫の皿』という小品をご紹介。物価高の昨今、モノの価値とはなんぞやと思い返してみる意味でも、おもしろい作品です。
◾️ あらすじ
果師(はてし、はたし)という生業(なりわい)をご存じだろうか。
地方で骨董の掘り出し物などを探しまわり、見つけて安く買いたたいては、江戸に戻って好事家などに高く売りつけるという商売人だ。
ありていにいえば道具屋だが、もちろん目利きがなければ成り立たない商売であるし、博打要素もつよい。
博打といえばヤマを張るともいうが、あるいは鉱脈を探し当てようとする山師に近い職業といえるかもしれない。
噺はその一人の果師が、とある川のほとりの茶店で一息ついているところから始まる。
この日は足を棒にして歩きまわったものの収穫がなく、やれやれと、ようやく腰をおろしたところだ。
のどかな田舎の風景。
店は爺さん一人でやっているのんびりとした茶店だ。
茶を飲みながらなにげなく周囲を見ていると、猫があくびをしている。
そして、そのわきに置いてある一枚の皿が目に入った。
商売柄、果師の視線がピタリと吸いつく。
ひと目見てわかった。
なんと、江戸でもめったにお目にかかれない高麗の梅鉢という高価な逸品がそこにある。
たった一枚で三百両はくだらない皿だ。
どうしてこんな茶店に、と思ってよく見ると、皿にはポツポツと乾いた飯粒がついていて、そばで猫が「うんにゃあ〜」とのびをしている。
「ははぁん」と果師はほくそ笑んだ。
あの皿で猫に飯をやっているというわけか。
つまり、爺さんは皿の価値を知らない。
こいつは大儲けできるぞ!
一計をめぐらす果師。皿が高価なものだとさとらせてはいけない。
爺さんがこちらに来たところを見はからって、ひょいと猫を抱き上げる。
「いやぁ、なんとも愛くるしいねぇ、こいつは」
いかにも猫が可愛くてしかたがないという様子で懐へ抱き、次いでこの猫をくれないかともちかける。
猫のついでにエサ用の皿も拝借すれば自然だろう、という算段だ。
爺さんはニコニコしながらも、やんわりと断った。
猫は何匹か飼っているがどれもかわいい。とくに婆さんに死なれてからは家族同然で、家にも連れて帰っている。
が、果師もここで引き下がるわけにはいかない。なにせ三百両である。
「ただでくれとは言わないよ」
懐から小判を三枚、取り出した。
「鰹節代に、どうだい」と、爺さんに手渡す。
猫一匹にしては、三両とはとんでもない大金だ。三両なら文句はないとみえ、爺さんは了承する。
ここまできたらこっちのもの。内心でニヤリとしながら果師はさりげない調子で切り出す。
「ところで、猫ってやつは、食いつけないモノ(容器)だと食わねえっていうから、この皿ァ持ってって、これで食わしてやろう。この皿もついでにもらっとくよ」
と、例の皿にひょいと手を出した。
ところが爺さん、あわてた様子で押しとどめ、大きくかぶりを振る。
いやいや、ダメだダメだ、皿だけは絶対にゆずらない。
「お客さん、かんべんしてくださいな。その皿は絵高麗の梅鉢といって、買い手がいくらでもあるんですから」
果師はガックし。
なんだ、知ってたのかよ。
もう猫なんてどうでもよくなって邪険に扱うと、「にゃー」と逆にひっかかれ、弱り目に祟り目だ。
「それにしても、なんでまた、そんな高い皿で猫に飯をやってるんだい?」
「へへへ、お客さん。これでそいつにおまんまたべさせますとね、ときどき猫が三両で売れます」
◾️ 落語のことば補説
▼ 高麗(こうらい、こま)
朝鮮・高麗王朝に栄えた美術に対する敬称。絵画・彫刻・建築・工芸など多岐におよぶが、日本でとりわけ珍重されるのは陶器である。
室町時代末期から朝鮮出兵がおこなわれた桃山時代にかけて高麗焼の茶碗や皿で「侘び茶」が流行し、陶器の主流ともてはやされた。こと井戸の茶碗については、諸大名必持の愛蔵品とされた。
が、実際、高麗王朝期に焼かれたものはきわめて少なく、李朝の初期から中期にかけての産品がほとんどで、『井戸の茶碗(細川茶碗屋敷)』や歌舞伎『番町皿屋敷』などにも登場する名器の数々は、じつは文禄慶長の役以前に生活用品としてあつかわれていた雑器を茶人が茶器にとり上げて価値が急上昇したという背景があり、『はてなの茶碗(茶金)』をはじめとする『洩瓶』『お菊の幽霊』などの滑稽噺も、そういった背景のもとに次々と生まれたそうである。
◾️ 鑑賞どころ私見
私事恐縮であるが、落語のこういった小作品のほうが個人的に好みである。
この噺、ありていにいってしまえば、のんびりとした茶店の、猫があくびをするような牧歌的ともいえる風景のなかで交わされる、ちょっとした会話のやり取りにすぎない。
果師の内心はソワソワしているにしても、日常生活のなかの、ごく些細なひとコマ。
だが、こういった場面を切り取れるのは、やはり落語しかないと思う。
落語噺ではよく、道具の価値をわかっていない人たちが登場するのだが、たとえば『火焔太鼓』ではプロの道具屋なのに太鼓がなぜそんなに高く売れるのかわかっていないという描写があるし、『はてなの茶碗』でも目利き(鑑定家)が茶店の湯呑み茶碗を見て「はてな」と首をかしげるだけで三百両の値がついたりする。そこから頓珍漢な騒動がはじまったりするのだが、この噺はその真逆だ。
一見するとわかっていないようにみえる茶店のじいさんも果師も皿の本当の価値を知っていて、それを腹のなかにおさめつつ、互いにいっぱいくわせようという、したたかな駆け引き・攻防がおもしろい作品である。
この噺にはじつは「この皿は高麗の梅鉢という高価な品。家において盗られるといけませんので」という、いくぶん上品なサゲもあるのだが、ハラにイチモツ含んだかけ合いこそが醍醐味なので、やっぱり「猫が売れる」というサゲのほうがおもしろいだろう。
それにしても、高価であっても皿は皿。日用品なのだから使ってなんぼ。いや、むしろ高価だからこそ使い倒す。目を皿にして眺めるよりも、そちらのほうがよっぽど粋だろうにと思うのだが、そう思ってはみるものの、そこは小市民。皿が高値であるとわかれば、途端に腫れ物に触るように扱いはじめるのは必至で、そこがかなしいところではある。
物価高の昨今、モノの価値って、ほんとうになんなのだろうと「はてな」に思う今日この頃である。
◾️ YouTube 視聴
[2026年4月現在、視聴可能な動画となります]
▼ 映像あり
・柳家小三治[十代目]:https://www.youtube.com/watch?v=CwZ4aacAsAg
▼ 音声のみ
・三遊亭円楽[六代目]:https://www.youtube.com/watch?v=QAhUlLvu9sc&t=351s
◾️ 参照文献
・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)
・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)
・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)
・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談… 古典落語100席』(PHP文庫、1997年)