粗忽長屋で蒟蒻問答

無駄な方便、無用の用、脳味噌を棚卸する、そんな雑草咄しと落語と書見

【落語】井戸の茶碗

本日【落語】記事2本目投稿。並行して紹介した上方落語の「はてなの茶碗」つながりで、こちらは江戸前の「井戸の茶碗」をご紹介。

はてなのほうとは違って、こちらの井戸茶碗のほうは、正真正銘、由緒正しきリアル骨董茶碗で、それがひょんなことから世に御目見得するという筋書きです。

しかも、このお噺の元ネタは講談で、通常の落語として創作されたものとはひと味違う表情をもった作品。講談のほうでも上種の一席というだけあって、作風さわやかな快作をぜひにご賞味いただければと思います。

 

◾️ あらすじ

江戸時代、屑屋という職業があった。

いわゆる廃品回収業者ということになるが、江戸の頃合ではとくに古紙を回収してまわるのが屑屋のおもな仕事で、当時、紙は貴重なものだったため、一度使われた紙はすべて回収され、汚れ具合によって選り分け、再生(漉き返し)されていた。

その屑屋で、正直清兵衛とあだ名される男が、客である千代田卜斎(ぼくさい)という裏長屋に住む浪人から、仏像を二百文で買わされるところから噺は始まる。

 

曲がったことが大嫌い、気質が実直な清兵衛は元来、相場の決まった古紙だけを扱い、骨董類には手を出さなかった。

大きな儲けがあるかもしれないが、それでは品物の売り手に対して寝覚めが悪いからだ。目が利かないために損をするのも嫌である。

それが、この日ばかりは、売り手の貧窮を見かねて、仏像を一体、引き受けてしまったのだ。

もっとも、二百文で引き取り、それ以上の高値に売れたならば、あらためてその差額を折半しようという、商売人にあるまじき?良心的な約束をしたうえでのことだった。

売り手は、娘と二人、裏長屋に住む千代田卜斎という浪人。

これまた清廉、一徹なお侍で、もとは相当な身分の藩士だったらしいが、あまりに潔い性格がうとんじられて、現在は世の片隅に逼塞している。

昼は子どもたちへの素読指南、夜は売卜渡世(ばいぼくとせい)すなわち大通りの傍で易者をやっているが、ここのところ風邪をこじらせて仕事を休み、わずかな蓄えも尽きそうだという。

しぶしぶ仏像を引き受けた清兵衛は、流しの順路である麻布茗荷谷から白金方面の道へと商売に戻った。

 

「屑ぅ〜い」

白金・細川家の屋敷の窓下を通った折、若い家臣・高木作左衛門から呼びとめられる。

高木は国許から出てきたばかりで、居室は殺風景、せめて仏像でもかざって崇め奉るかと思案していたところに清兵衛の声を聞いた。

そして、荷のなかにある先の骨董が目にとまったのだ。

すすけてはいるが、磨けばなかなかによい仏像だと思う。

ひと目見て気に入った高木は、二百文でいいという清兵衛に三百文を与えて買い取ることする。

 

居室に戻り、さっそくぬるま湯で仏像の汚れを落としていると、台座が外れてなかからゴトリと塊が出てきた。

最初、外側の仏像の胎内に小さな仏像が納まる、いわゆる"胎籠り"と思ったが、よくよく中身を確かめてみると、なんと、それは小判の金包みだった。

五十両はある。

おそらく、仏像の元持ち主の先祖が子孫のためにと残した金だろう。知らずに売ってしまったにちがいない。

仏像は買ったが、中の金まで買ったつもりはない。

高木作左衛門も潔癖な男だった。

金は元の持ち主に返そうと思った。

と、思ったが、気づけば手がかりがない。

あの屑屋もあのときばったりの行きずりで、名さえ聞いていない。

 

ということで、この日以降、細川屋敷窓下を通行する屑屋は片っ端から首実検されることになった。

白金の清正公の茶店で昼休みに弁当をつかう屑屋連中は、この話題でもちきりだ。

いわく、あの若侍の親の仇が屑屋に化けているという情報が入ったんだ、などと勝手に臆測している。

このところ体調を崩して休んでいた清兵衛は、数日ぶりに仕事に復帰したところでこれを耳にし、原因は自分にあるのではないかとギョッとする。

仲間にわけを話すと、仏像の首がとれて若侍が怒っているにちがいない、とまたあらぬ臆測。清兵衛さんの首も落とそうと待ちかまえているんだよ、と戦々恐々のていである。

清兵衛もおびえたが、商売上、お得意も周辺にいるので、あの道を避けるわけにもいかない。

黙って通り抜けるつもりでいたが、習性とは怖いもので、うっかり「屑ぅ〜い」とかけ声を出してしまった。

「おい! 屑屋!」

たちまち高木作左衛門に見とがめられて、とっ捕まることに。

 

が、なんのことはない、仏像から出た五十両を旧持ち主に渡してほしいとの依頼だった。

ホッとする清兵衛。

そういうことでしたら、と千代田卜斎の元を訪ねることに。

しかし卜斎は、以前に約束した仏像の売却利益・百文の半額は受領したものの、胎籠りの五十両についてはかたくなに拒むのであった。

いわく、祖先の心づくしに気がつかず、仏像を手放したのは自分の不徳の致すかぎりで、金は買い主にこそ恵まれるべきものである。自分に受け取る資格はない。

困る清兵衛。

「そう言わず、年頃の娘さんに綺麗な着物でも着せてさしあげたらいかがですか」と余計なことを言ったが最後、卜斎は激怒し、手打ちにしかねない剣幕で清兵衛を追い返す。

途方に暮れて高木のもとへ引き返す清兵衛。

が、高木も「いまさらその金は納められない」とかたくなだ。

二人の武士の清廉と意地は立派だが、金と一緒に清兵衛も宙に浮いてしまった。

どうしたらいいの、これ。

商売に戻れなくなっちまうよ!

 

事情を聞いて感動したのは卜斎の長屋の家主だった。

世知辛くも商人のように金にあくせくする武士が多くなってしまった当世にあっては、なるほど、見上げた廉潔さで気持ちがいい。

だが、このままでは清兵衛が宙ぶらりんで困ってしまうし、せっかく世に出た金も浮かばれないだろう。

そこで仲介を買って出て、卜斎と高木に二十両ずつ、清兵衛に骨折り賃として十両やる、という打開策を双方に提案した。

清兵衛と家主は両者にもちかけるも、高木のほうは同意したが、卜斎はこだわりを残した。

それならばと、「いかがです、千代田様、身の廻りにあるどんな品でもけっこうですので、そいつをあちらさんにあげてください。そうすりゃ品物を売ったことになる」ということになり、しぶしぶ了承した卜斎はふだん愛用している手許の茶碗を差し出して、高木がこれを二十両で受け取るというかたちをとった。

いわば抵当に取るという体裁をとって、手打ちとしたわけだ。

これで、一件落着、めでたしめでたし──

 

となったかのようにみえた。

が。

後日、このことが家中の評判になって細川公の耳にも入る。

高木は御前に呼び出されてお誉めにあずかることになり、その折、卜斎からの茶碗を持参したところ、これが同席していた家中の鑑定家の目にとまった。

そして、なんと、「井戸の茶碗」なる逸品だと判明する。

流れで、細川公が三百両でお買い上げ、という事態に至る。

 

高木作左衛門、三百両を前に考え込む。

五十両ですら受け取らなかった御仁だ。

しかし、少なくとも半金の百五十両は卜斎に渡さねばならぬ……

ため息まじりで清兵衛を呼びつけるも、清兵衛もたまらず尻込みする始末。

「五十両で手打ちにされかかったんですよ! 百五十両じゃ、大砲で打たれちまう!」

それでも、恐る恐る打診にいくも、卜斎の回答はやはり、「その金は受け取れない」だったが──

 

これまでのいきさつで高木氏のお人柄は充分にわかった。

どうであろう、もしもまだ独身でおられるのならば、わが娘をめとっていただけないだろうか。ふつつかながら、女ひと通りのことは仕込んであるつもりだ。婚礼の支度金としてなら、半金の百五十両は頂戴しよう──

これには清兵衛も両手をあげて大喜び。

娘さんなら、あとで骨董価値が出るはずもない。しかも美人で、器量良しときている。

「これはおめでたい。高木さまが貰わなければ、あたしが貰いたいぐらいですよ!」

高木に伝えると、高潔な卜斎の娘御ならばと応じることに。

「どうです、高木さま。いまは長屋でくすぶってますが、磨いてごらんなさい。たいした美人になりますよ」

「……いや、みがくのはよそう。また小判が出るといけない」

 

◾️ 落語のことば補説

▼ 井戸の茶碗

朝鮮渡来の茶碗を総称して「高麗茶碗」というのだが、なかでも代表的なものが、この「井戸の茶碗」である。

茶人のあいだでは「一井戸、二楽、三唐津」ということばがあるそうで、これは高麗茶碗の名品を指し、朝鮮南部の陶工の製造といわれる井戸茶碗を筆頭に(室町中期に伝来した李朝初期のものをとくに尊ぶ)、二楽は千利休が指導した京都長次郎創始の楽焼、三唐津は朝鮮両役後の渡来陶工創始の唐津焼のことで、この三つを茶器の傑作と讃えている。

井戸茶碗と称されるもののなかにも「大井戸(名物手井戸)」「小井戸(古井戸)」「青井戸」「井戸脇」「蕎麦」など種類があり、「井戸」の名の由来については、大和の豪族で興福寺の寺侍・井戸氏所有の茶碗がとくに名高かったという説、あるいは肥後の陶工・井戸新九郎が焼いたもの、井戸若狭守が高麗から持ち帰ったもの、井戸のなかから掘り出したもの、インドから発生したものなど諸説ある。

大阪の豪商・竹田喜左衛門が所有した京都大徳寺孤篷庵の「喜左衛門井戸」(国宝指定)、大和の戦国武将・筒井順慶が所有し豊臣秀吉に献上され、山科の毘沙門堂輪王寺宮家をへて金沢嵯峨家に所蔵される「筒井筒」がとくに名高い。

▼ 売卜(ばいぼく)

易断業、占いのこと。つまり、千代田卜斎は大通り沿いで占い師をやっていたということである。

当時、易学を本格的に習得していなくても、武士ならばたいてい漢籍は読めるので、易書の一冊でも手もとにおけば易者のまねぐらいはできると、貧乏な浪人の内職に多かったそうである。

ならば易者と平たく名乗ればいいものを、「売卜」という堅苦しい漢語を使っているところに教養階級としての武士の気位が透けてみえると同時に、本来、易断とは神聖な行為ゆえに報酬など望むべくもないという理想と、背に腹は変えられず、武士は食わねど高楊枝をきめこんでもいられないという現実とのはざまで悩む当時の浪人した武士の悲哀が、この「売卜」ということばに反映されているのかもしれない。

 

◾️ 鑑賞どころ私見

この噺、オリジナルは講談である。

出典は刊年未詳の栗原東随舎『思出草紙』だそうで、その後に講談の演目『細川茶碗屋敷の由来』として高座にかかるようになり、それを落語のほうに移植して人情噺化したものだそうだ。

落語といえば、代表的な登場人物は熊さん、八っつあん、横丁のご隠居さんで、どこのだれにでも通じるような固有名詞をもたない不特定なキャラクターを配役するが、講談では実話ベースとなっているため、人名や舞台となる地域、状況などをはっきりと特定する。

芝居でいうところの「場」「シーン」を構成し、登場人物の会話よりも地の叙述を中心に据えて話すのが講談の特徴で、この話にはその名残りがあるし、どちらかというと町人を主体に語る落語とは違って、武士が二人登場し、その武士たちの金銭倫理がテーマになっているところが講談的といえる。

が、落語作品として磨かれてきた背景ももちろんあって、長尺の噺にもなっていなし、ところどころに笑いの要素もまんべんなくあって、さわやなかな快作といえる。

登場人物たちがみな正直者で、めでたしめでたしの結末も心地いい。

講談のほうでも上種の一席だそうで、噺の顛末として、その後、細川侯がこの井戸の茶碗を公方家へ献上し、そのお礼として広大な邸宅を賜り、これを世に細川の茶碗屋敷と呼んだという落としになっている。

芸談としては、五代目古今亭志ん生と三代目古今亭志ん朝が新旧のトップといわれた。その後は演者が増えて、柳家さん喬、古今亭しん橋、柳亭市馬などなど、現在もよい口演が多くある。

 

◾️ YouTube 視聴

[2026年4月現在、視聴可能な動画となります]

▼ 映像あり

・古今亭志ん朝[三代目]:https://www.youtube.com/watch?v=SmhKM4gXl6U

・柳家喬太郎:https://www.youtube.com/watch?v=7PP875Pepe4

※ 当代、個人的推しの柳家喬太郎を挙げさせてもらった。これに加えてこの古典をアレンジした新作版ともいえる「歌う井戸の茶碗」[https://www.youtube.com/watch?v=lUWjV8H0l9o]も面白かったので挙げておきたい。

▼ 音声のみ

・古今亭志ん生[五代目]:https://www.youtube.com/watch?v=kPxXd3LRfFU

・桂歌丸:https://www.youtube.com/watch?v=fpI0e2iWctk

・柳家さん喬:https://www.youtube.com/watch?v=-Mvb4_BwEI0

※ 上記、柳家喬太郎のお師匠である。こちらも十八番とされているだけあって、こなれていて聴き心地がずんといい好演である。

 

◾️ 参照文献

・矢野誠一『落語手帖』(講談社+α文庫、1994年)

・京須偕充『落語名作200席(上・下)』(角川文庫、2014年)

・榎本滋民 著、京須偕充 編『落語ことば・事柄辞典』(角川文庫、2017年)

・立川志の輔 選/監修、PHP研究所 編『滑稽・人情・艶笑・怪談古典落語100席』(PHP文庫、1997年)