
読書というのは、人によって読み取るポイント、興味関心のポイントがもちろん異なっていて、そして同様に、笑い、思わず笑ってしまうポイント、つまりは「笑いの壺」というものも、人によってそれぞれ異なる、ということがあると思います。
今回はそんなことを重々承知で、それでも「この本、おもしろいよ」とあえて人に云いたい、あるいはおすすめしたくなる、そんな本書、内田百閒『百鬼園随筆』(新潮文庫、2002年)をご紹介します。
文豪・夏目漱石の弟子で、師匠に比べると知名度は落ちてしまう作家なのでしょうか? わかりませんが、しかし本好きならば知る人ぞ知る?、というかこの作家にはその手の好事家が多くついていると思ぼしき、内田百閒の随筆。
推しの小説家なので色色説明したいところですが、推したい内容的に御託は沢山、問答無用に読んでもらいたい、そんな本なので、皆さま方のどこぞの琴線に触れんことを願ってやみません。
◾️ 出版社紹介文
漱石門下の異才・内田百けんの代表的著作のひとつに数えられるこの随筆集は、昭和8年に上梓されるや大いに評判を呼び、昭和初期の随筆ブームの先駆けとなった。漱石の思い出から自らの借金話まで、軽妙洒脱、かつ飄逸な味わいを持つ独特の名文で綴られた作品群は、まさに香り高い美酒の滋味妙味たっぷり。洛陽の紙価を高めた古典的名著が、読みやすい新字新かな遣いで新潮文庫に登場。
内田百閒(1889-1971):本名・内田栄造。別号・百鬼園。岡山市に酒造家の一人息子として生れる。旧制六高を経て、東京大学独文科に入学。漱石門下の一員となり芥川龍之介、鈴木三重吉、小宮豊隆、森田草平らと親交を結ぶ。東大卒業後は陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学のドイツ語教授を歴任。1934(昭和9)年、法大を辞職して文筆家の生活に入った。初期の小説には『冥途』『旅順入城式』などの秀作があり、『百鬼園随筆』で独自の文学的世界を確立。俳諧的な風刺とユーモアの中に、人生の深遠をのぞかせる独特の作風を持つ。著作に『続百鬼園随筆』『百鬼園俳句帖』『御馳走帖』『ノラや』、小説『実説艸平記』『阿房列車』等がある。
◾️ 読みどころ私見
人にはそれぞれ「笑いの壺」というものがあったりしないだろうか。
そこをつつかれると、わけもなく笑ってしまう、不可抗力で笑ってしまう、といったたぐいの事柄である。
他人からみれば、「そんなことで笑うのか」と不可思議に思えるようなことわりともいえるし、そうはいっても当人は問答無用で笑ってしまうという事象のことである。
ちなみに、どんな事柄でも笑いに変換してしまうマインドをもって、なにかにつけて終始笑ってしまう人のことを指して「ゲラ」というそうだが、これとは対照的である。
"ツボる"人たちは、「なぜに、ここで」という、わけのわからないところで突如として息を洩らし、えもいわれぬタイミングで、むせ返るのである。
その笑いが伝染するかはともかく、まあ、それはそれでハタから見てほほえましい事象であるといえるのだろう。
ちなみに、ウチのカミさんの笑いの壺の所在はいまだ不明で、年来生活をともにしているにもかかわらず、つかみどころがない。
もっとも、反対の不満爆発のポイントも意想外なところにあったりするのだが、これと対比すると、笑いの壺とは地雷ではないが、不発弾のようなものなのかもしれない。
と、ハナから私事を書かせてもらい申し訳なかったのだが、この笑いの壺というものについては、わたくし個人にもある、ということを自覚している。
たとえばわたしは、ラジオパーソナリティのジョン・カヴィラさん(FM局 J-WAVE の看板パーソナリティ)が喋っているのを聞いただけで、なぜか笑ってしまうという奇癖をもっている。
これはもう、どうしようもないことで、ご本人にはあずかり知れぬ、そんなリスナーがいようとは露ほども思わないであろうことを承知で書かせてもらうのだが、かの人のあの声の喋り方、トーン、間、抑揚、リズムなどなど、あらゆる点でそれがわたしの耳に入ってくるとただただ笑毛てしまうのである。
もう、ラジオから声が聞こえてくるだけでダメである。
なんだか知らないが、笑ってしまう。
ご本人にしてみれば、いたって真剣、いたって真面目にお仕事をされておられることは重々承知で、だがしかし、そうであるだけに、それを慮れば慮るほどなおいっそうドツボに嵌ってしまって始末におえないのである。
また仕事用のしゃべりと普通の部分とを使いわけておられるであろうことも想像しつつ、ここにきて、おそらく普通に話している部分でも笑ってしまうほどの「笑いの壺」と化してしまっているのだから手に負えない。
この感覚は余人にはわかるまい。
そんなことは百も承知である。
だが、笑ってしまうのである。
さて、ここからが本題である。
わたしにとって作家でこれにあたる人が内田百閒、その人のである。
さらにいえば百鬼園先生の随筆(内田百閒『百鬼園随筆』(新潮文庫、2002年))、これがもういけない。
文面から、なんとはなしに可笑し味の余韻がにじみ出ているというか、本人にそのつもりがないにしても、どこか笑かしにこられているような、そんな感じがするのである。
とにかくこの人の文章を眺めているだけで、ただただ笑毛てくるのであって、いっとう最初に出逢ったときから、こんなに面白い随想がこの地球上に存在したのかと驚嘆させられたほどである。
恥を忍んで書かせてもらえば、こうやってわたしがブログを書こう、書きたいと思ったのも、この百閒随筆が由縁である。
わたしとってこの本は、「こんな文章、ほかにない」と思わせるほどの垂涎ものの達筆であり、そしてその重畳な読書体験はわたしだけに赦された(のかもしれない)特権的な至福の時間と云わしめんばかりの称揚さを讃えた(語義反復・意味不明)ものなのである。
とはいえ、ここで本書を紹介するにあたって、わたしにとっては手放しで面白いものでも、他の人にとって"壺"なのかどうかはわかるまい。
ということで、以下に、少々、本書から引用するので、ご賞味いただきたいと思う。
随筆の内容自体は、内田百閒の日常のこまごました事柄や見聞きしたこと、体験したこと、回想、食事のことや仕事のこと、自身の面倒くさがりなところや借金をくり返すダメ人間ぷりなどが書きつづられているばかりである。
それらも充分に味わい深い文章なのだが、たとえばこんな感じの"笑かし"がある(ちなみに、以下引用は、内田百閒が陸軍士官学校で語学教員(獨逸語)をしていた、その一場面である)。
「(入校)式が終わってから、十九番の教室で、私がこれから受持つ生徒に訓示をすることになった。(註:入学式後のオリエンテーション、いわゆるホームルームの時間のことである)(中略)入口から教壇に向かう通路の両側に、気をつけを喰った生徒たちは石の如く硬直し、何年来そうして起こっているかのように、静まり返っていた。私は、入口で脱いだ帽子を片手に持って、静静と教壇に向かって行った。その教室は、初めてなので、勝手を知らなかったけれど、教壇が無暗に高くて、向かった左側に、小さな階段が一つ附いている。私はその方に向かって厳粛なる歩みを進めた。前列の生徒の正面を通るのである。生徒たちは、白ら白らと真ともを向いて、何処を眺めているのだか解らないけれど、何か知ら一点を、気絶する一寸前の如くに見据えているのである。私は、その前をすまして通り過ぎ、勝手のちがった高い教壇の、小さな階段に片足をかけて、身体をその上に乗せかけたところまでは、はっきりしているのである。その次の瞬間に、恐ろしく大きな音がして、私はフロックコートの裾を散らしたまま、土足の床の上に、仰向けに、ひっくり返ったらしいのである。ひっくり返る途端に、非常に大袈裟な尻餅をつき、ついでに頭を少少ぶつけたかも知れない。何がどうなったのだか、私には少しもわからなかった。(中略)私は、静まり返っている生徒たちの前で、尻と裾の埃を、好い加減にはたき、近づいて行っても見向きもしない生徒の足もとから、そっと山高帽を拾って、教壇に登ろうとすると、さっきそこにあった階段は、二三尺向こうに、裏返しになって飛んでいる。階段と思ったのは、汚れた石油箱のような木箱が、ただそこに寄せかけてあったのである。その角を私が踏んで身体の重みを乗せかけたから、箱がひっくり返り、従ってその上に乗っている私がひっくり返ったに過ぎない。私は階段のない教壇に、大股をひろげて片足をかけ、機(はず)みをつけて、やっと上に上がった。そうしてきまり悪いのをこらえて、生徒の前に起こったけれど、彼等は、丸で何事もなかったように澄まし返って、つっぱらかったまま、くすりとも云わない。私はますます照れてしまって、向こうが知らぬ顔をしているのに、自分の方で、ひっくり返った原因なり、所感なりを述べて、その場を繕うこともならず、軍人の生徒って、非人情なものだと、つくづく感じたのである」(「フロックコート その一」『七草雑炊』)
「大地震の翌年の春、私は陸軍士官学校から江田島に出張を命ぜられて、海軍兵学校と機関学校とを視察することになった。(中略)私は宮島から、モーターボートを仕立てて江田島に向かった。どういう料簡で、そんな馬鹿なことをしたのだかわからない。恐ろしく高い料金を取られて、おまけに風が強かったため、何度ひっくり返りそうになったか知れない。何時間も浪にもまれた揚句、やっと江田島の妙な入江の様になっている所へ這入って行った。(中略)私はそこで船からあがって、のそのそと勝手を知らない庭を歩いて行くと、向こうから水兵が一人やって来た。私の方で、うろうろしていると、いきなり怒鳴り出すかも知れない。私は長い間、陸軍や海軍の学校にいて、心得ている。こういう際には、先んじて威武を示すに限ると思ったから、私は近づいてくる水兵に向かって、いきなり「おい」と云った。水兵は、はっと起ち止まって、身体を真直ぐにした。「本部の玄関はどちらかね」と私がきいた。本部というのか本館というのか知らないけれど、いい加減にそう云ったのである。「玄関はそこを曲がると、向こうに見えております」と水兵が云った。私が、うなずいて歩き出すと、水平は敬礼した。そうして私は威張ったままの歩調で、教わった通りに行くと、広い芝生の向こうに、大きな白い石造の建物が見えだした。廃墟のような東京から出て来て眺めた目には、まるでお伽話の国の殿堂のように思われた。その建物の壮美な感じが私に乗り移って、私は益(ますます)偉いような心持になり、人っ子一人いない静まり返った広場を闊歩して、堂堂たる玄関にかかり、一足踏み入れた時に、私はばたんと俯伏せに倒れて、花崗岩の踏段で顎を打った。暫くして、私はやっと起ち上がり、辺りを見廻したけれど、何人もいなかった。石の上に倒れたのだから、大した音はしなかったかも知れないけれど、それにしても山高帽は後ろに飛び、両手の手の平はすりむいている位だから、玄関の受附に人がいたら、顔ぐらいは覗けそうなものだと思った。(中略)私は後ろに転がっている山高帽を拾おうと思って振り返ったら、広場の向こうを水兵が一人歩いていた。水平の顔はこちらを向いて、私を見ているらしい。しかし、それがさっきの水兵だかどうだか遠くてわからなかった。私は玄関を上がって、受附をのぞいて見た。すると中には、矢っ張り人はいたのである。私が来意を告げると、気の毒そうな顔をして「今日は日曜でございますから、どなたもいらっしゃいませんけれど、宿直の方が二階にいられますから」と云って私を案内した。二階に上がる階段の突当たりに、等身大の大きな鏡があった。私の顎には血がにじみ出している。二銭銅貨よりもっと大きく真赤になって、その辺り一帯が、火のついた様にひりひりした」(「フロックコート その二」『七草雑炊』)
百閒先生、すっこける、二連発である。
人がこけるだけで条件反射で笑ってしまうところを、さらに「緊張と緩和」で畳みかける、まさに笑いの王道路線を文章で想起させる手腕である。
あるある話だが、わたしはこの本を幾度も読み返している関係上、電車のなかでもこれを読んでいたことがあって、この場面で案の定、吹き出して、周囲から奇異の目で見られたこともある。
けだし、吹き出したのは、わたしだけではない。この本にはしかも、さらに畳みかけるようなエピソードも載っている。
以下のエピソード中の陸軍士官学校の生徒らもまた、百閒先生の面白さに堪えかねて、思わず吹き出すシーンもあるくらいである。
「髭」と題された小話で、表題のとおり百閒先生が髭に凝りはじめるものの、しだいに面倒くさくなって、突然剃ったときの生徒の反応である。
「私が文科大学の学生の当時、髭を生やすことが流行ったから、私も髭を生やした。私の髪の毛は濃くて、頭を分けるのに困るくらいなのに、髭は、生やして見ると、非常に薄かった。特に鼻の下の真中の凹んだところには、一本も毛が生えなかった。だから鼻の下の、右と左とに別別に髭が一塊ずつ並んで、頼朝公の絵像のような風格を備えた。私は、その心もとない髭の尖を、当時の流行に従って、丹念に鋏で剪りそろえた。短く剪れば、いくらか濃く見えるらしいのである。しかし、そのために上唇の薄赤い縁が、少しく上反りになったまま、髭の下から露出するのは、甚だ見苦しかった。(中略)それから後、私は十年ほどの間に、二度も三度も、髭を立てたり落としたりした。どう云う時に、生やして見る気になり、またどう云う料簡で剃り落としたか、ちっとも覚えていないけれど、ただ、落とした後は、いつでも人が、びっくりした事はたしかである。従って、私の方でも、なんとなく人に顔を見られるのを避けたいような気持ちになる。その癖、剃り立ての顔で電車なんかに乗っても、私の顔を見て驚く者はいないのである。知らない人が見れば、可笑しくも何ともないものを、ただ友人だけが不思議がるのである。その頃、私は陸軍教授として、陸軍士官学校に勤務していた。ある朝、急に髭が厭になったので、簡単に剃り落とし、少し遅くなりそうだったから、急いで学校に馳けつけて見たら、今喇叭(らっぱ)が鳴ったばかりのところらしく、教官室には何人もいなかった。私が急いで講堂に出かけると、(中略)講堂内の数十人の生徒が、一斉に起立して、林の如く静まり返っている前に、私は威容を整えて起った。ついで、週番生徒の号令によって敬礼を受け、又出席人員数の報告を聞いた後、私から、休めを宣して生徒を着席させる順序なのである。ところが、その日の生徒たちは、屹立したまま、何時まで待っても、次の順序に移らない。ただ、石の如く固くなったきりで、しんと静まっているのである。私が気がついて、その気配をうかがって見ると、彼等は硬直した一団となって、その塊が、何となく膨れ上がって来るらしい。変だなと思う途端に、前列の端にいた一人が、顔を真赤にして、目玉が飛び出しそうに力み返ったまま、固く結んだ口の一端から、激しい息を洩らして、ぷうと云った。すると、講堂の中が一時にざわめいて、方々でぷうぷうと吹き出す声がして、今までの静寂が乱れてしまった。私の顔から、突然髭がなくなったのを可笑しがって、しかもその可笑しさを我慢するために、生徒たちは息を殺して苦しがっていたのである」(「髭」『短章二十二編』)
いかがであろうか。
わたしなどは何度読み返しても、この場面での生徒たちと同様に、この箇所をくり返し笑ってしまうのだが、本書にはこのような、ある種たわいもなくも、けれどもまじまじと噛みしめて読むと思わず吹き出したくもなる話がふんだんに散りばめられているのである。
しかも、笑かしてくれるのは百閒先生ご自身ばかりではない。
そのお仲間、周囲の人たちも、どことなく可笑しい人たちばかりで、えもいえず笑かしてくれるのである。
そちらも簡単に引いておこう。
「日暮れになるのを待って、その料理屋に出かけて見ると、瀬川さんはもう先に来て、女中相手に酒を飲んでいた。そうして、今日はここの女中にみんな鶏の御馳走をするんだと威張っていた。いよいよ料理が出て来ると、瀬川さんは、うまそうな肉には目もくれないで、無暗にがりがり骨ばかりを噛んだ。「鳥を食うなら、骨を食わなければ嘘だ。この髄を嚙み当てた時の風味は何物にも代えられない。君も、もっと骨を食いたまえ」と云って、又ぱりぱりと脛のようなところを噛み砕いた。(中略)翌日、銀行の帰りに瀬川さんの許へ寄って見た。相変わらず願人坊主のような顔をして、机の前に坐っているんだけれど、何か少し、可笑しな顔をしている。口をちょっと開いた儘、何時まで見ていても塞がない。何か云っても、変に他所他所しい様な声を出す。「どうかなすったんですか」ときいて見た。「いや、別に大した事もないんだけれど、今朝など楊子が使えないのさ。今でもすっかり口の中が膨れてるんだ。重に上顎の裏なんだが、何でも二十ヶ所許(ばか)り傷があるらしい。痛くて口がつぶれない」瀬川さんはそう云ったきり、笑いもしなかった。痛くて笑えなかったんだろうと思う」(「間抜けの実在に関する文献」『七草雑炊』)
「清潭先生は、奥さんと小さいお嬢さんを連れて、飛行場に来られた。先生は、いつもの通りに和服を著て、靴を穿き、変な頭巾の様なものを被っている。そこいらを、ぶらぶら歩き廻る先生の動作は、甚だ敏捷でない。お湯に這入られても、熱いのだか、ぬるいのだかよく解らないのだと、誰かが云っていたが、どうも歩いて居られる脚の工合が変である。飛行機に押し上げなければ、乗れそうもない。世話をする学生が、一骨折れるだろうと思った。間もなく学生の飛行練習が終わって、清潭先生が体験飛行する順となった。(中略)「あの着物を著ている先生は駄目なんです」と学生が云った。「脚をつっぱらかしてしまって、ぴんぴんはねてるから、乗れないんです」「その脚を乱暴に押してはいけないよ。早く向こうへ行って、そう云っとき給え」その学生が走って行って、まだ飛行機の傍へ行かない内に、清潭先生の胴体が、やっと後部座席の縁を越したらしく見えたと思ったら、それっきり先生の姿は隠れてしまって、ただ、脚が一本、にゅっと機体の上に聳立している。先生に怪我をさせなければいいがと、私は心配し出した。学生達は、後部座席の廻りにつかまって、先生を引き起こそうとしているらしい。しかし、そうするには、先生の脚が風除けの硝子板に引っかかって、うまく行かないと思われる。プロペラは止めずに廻しているから、低速ながら、ぶるっぶるっと響をたてているので、なお更、光景が物物しい。その内に、脚が向こうの方へ弧を描いて、そろそろ廻り始めた。誰かが手を添えて動かしているのだろう。清潭先生が痛くはないかと心配していると、脚が消えて、飛行帽を被った頭が見え出した。廻りにいた学生が一人二人地上に飛び下りた。私も、ほっとしたけれど、どうも何だか変である。すると、今飛び降りた学生が、また座席の縁に手をかけて、登った。折角、脚を押し込んで見たら、清潭先生は、後ろ向きに乗っているのである。周囲の学生が、また手をかけて、清潭先生を座席の中に引き起こしている。今度は前後の向きを換える作業なのである。そうして学生がみんな、廻りから飛び降りた後を見たら、清潭先生の飛行帽に包まれた頭が、昂然と前方向を向いたのである。飛行機が滑走を始めて、すぐ離陸した後の芝生に、学生達は仰向けに寝ころがって、みんな片脚を空に向けて、ぴんぴん跳ねている。清潭先生の飛行機は、ちるちると啼いている雲雀(ひばり)を追い散らして、飛行場外れの上空で旋回している。清潭先生が片手を挙げて地上の人影に合図をしているらしい。雲雀は追われても、やっぱり清潭先生の上下前後に、春日を吸うて啼いている」(「清潭先生の飛行」『短章二十二編』)
口の中が血だらけになったであろう瀬川さんも、学生達に押し合いへし合いさせられて無理繰りに飛行機の座席に押し込められる清潭先生の姿も、想像するだに笑みがこぼれてしまう。
肉をそっちのけで骨にむしゃぶりつく様子や、機体から先生の脚がピンと聳立している光景や、揉みくちゃにされて、結局、後ろ向きに座席につかされる瞬間などは、そのきわめつけである。
抱腹絶倒である。
百閒先生著作群に添付される各所の近影を拝見すると、どこか劇画チックな、険しい御尊顔を目の当たりにできるが、そんな真面目な顔、真顔でこういった面白いことを平然と、いやあるときは不意をついて、またあるときは迫力をもって書き連ねてくるのだから、もうこれはやはり「笑いの壺」なのである。
と云っておきながら。
このまま内田百閒という文筆家を、ただのお笑いを書く作家としてとどめておくことはできないので、この作家の本領についても、最後に言及しておきたい。
内田百閒という小説家は、虚実入り混じった、現実と虚構の世界を不分明に行き来するような世界観で話を構築してゆくスタイルの人で、「日常の中に突如ひらける怪異な世界を描いて余人の追随を許さない」(『東京日記』(岩波文庫)紹介文より)と評される作家である。
その独創的な本分が遺憾なく発揮された片鱗は本書にももちろん、ところどころに散見され、それを締めにひとつ引いておきたいと思う。
「私というのは、文章上の私です。筆者自身のことではありません。さて、私はいろいろのことが気にかかって困る。(中略)一番いやなのは、物が曲がっている事です。何でもちゃんと真直になっていないと、面白くない。(中略)真直に列(なら)べるだけではなく、あらゆる物の表裏が揃わなければいけない。金入れの中の銀貨銅貨は、必ず表は表に揃えて入れて置く。月末に月給を受取ると、私は早速袋の中から紙幣を取り出して、裏表と向きとを揃える。人が見たら、お札の勘定をしていると思うかも知れないけれど、決してそうではない。しかし、自分のだけ真直に揃えても、人が無茶苦茶な向きになっているお札を、そのまま懐に入れていると思うと、自分の懐の中まで変にくすぐったい様で落ちつけない。しかし人の紙入れの中のお札を揃える事は中中六(む)ずかしい。懇意な友人に、わけを話して揃えてやった、と云うよりは、揃えさして貰った事も一二度はあるけれど、相手は決して喜ばない。それで私はこんな事を空想する。拳銃を一挺懐にかくして銀行の前か相場街へ行く。お金を持っていそうな人の後をつけて行って、いきなり拳銃をつきつけたら吃驚(びっくり)するだろう。「静かにしなさい。お金を取るのではありません」そう云って、私は相手の差し出した札束の裏表と向きとを揃えて返してやったらどうするだろう。その内に、私の気持に共鳴する仲間が出来るに違いないから、私はそれ等の仲間を引きつれて、夜半人の寝静まった頃をうかがい豪商の家に押し入る。手に手に携えた拳銃や短刀で家人召使を脅かし、みんなを縛り上げて、列ばして置いた前で、金庫の中から札束を取り出して、一一その裏表と向きとを揃え、そうしてもとの通り金庫に入れて、扉を閉めて、そうして静静と引き上げたらどうだろう。最後に私は日本銀行に闖入する。大勢の仲間を外の見張りに起たせ、又内部の要所要所に配備した後で、大金庫を爆破する。そうして、中にある丈の紙幣をすっかり、裏は裏表は表と揃え、又上下の向きを揃えてしまったら、どんなに清清する事だろう。しかし果たして一晩のうちに揃えられるか知ら。それよりも、こんな空想を恣(ほしいまま)にすると、空想は空想としても、今現に日本銀行の大金庫の中に蔵めてある札束が、決して私の気にいる様に揃っていない事は事実なのだから、あんまり考えていると、矢っ張り私の気分に悪い影響を与える」(「蜻蛉玉」『七草雑炊』)
このような日常的な偏執や性癖というものはけっして特殊なものなどではなく、人によって自然にもちあわせているリアルなのであって、このリアルを敷衍かつ強度に肉薄して描く空想というものは、文学の真骨頂とでもいうべき要素ではないだろうか。
それをまざまざと感じさせる筆致である。
そしてまた、この空想が「笑いの壺」と地続きであるということに、よりいっそうの興味が唆られるのである。
◾️ 書誌情報
ASIN:4101356319|出版社:新潮社|発売日:2002/4/25|言語:日本語|本の長さ:362ページ|ISBN-10:9784101356310|ISBN-13:978-4101356310
▼ 目次・所収
短編二十二篇
琥珀|見送り|虎列刺|一等車|晩餐会|風の神|髭|進水式|羽化登仙|遠洋漁業|居睡|風呂敷包|清潭先生の飛行|老狐会|飛行場漫筆|飛行場漫録|嚏|手套|百鬼園先生幻想録|梟林漫筆|阿呆の鳥飼|明石の漱石先生
貧乏五色揚
大人片伝|無恒債者恒心|百鬼園新装|地獄の門|債鬼
七草雑炊
フロックコート|素琴先生|蜻蛉玉|間抜けの実在に関する文献|百鬼園先生言行録|百鬼園先生言行余録|梟林記
解説:川上弘美